円楽の大江戸なんでも番付、蕎麦屋から

円楽の大江戸なんでも番付
という本を読みました。

BS朝日で、放送されている番組だそうです。
前に楽太郎だった円楽が司会です。

相撲の番付表がありますね。
あれになぞらえて、江戸時代に
色んなジャンルの色んな番付が色んな人から出されました。

一枚ペラでいいし、白黒でいいので
とっても手軽。
何かというと番付表。

いやあ、俺だったら、こっちを入れるね
と、話題が広がって、ひとしきり楽しめる。

そんな色んな番付を紹介しようというもの。

今日はその中から蕎麦屋を紹介しましょう。

蕎麦屋
江戸で蕎麦はソウルフード

江戸時代には、何かというと蕎麦で
今の喫茶店の、「茶でも行く?」に近い感覚だったらしい

おお、久しぶり
そばでも行く?

1600年代は屋台が中心
次第に店型も増えていき、
江戸後期の万延元年(1860年)に刊行された「守貞謾稿(もりさだまんこう)」によると、
江戸市中に蕎麦の店屋が3763店
一町あたり3軒になります

番付には江戸三大蕎麦が紹介されています

砂場
江戸三大蕎麦の中で一番老舗なのが、砂場です。

うちは東久留米なんですが
うちの近くにも、2年くらい前に出来ました。

砂場?
変な名前
と思っておりましたが
そんなに有名な店だったとは知りませんでした。

時代は、豊臣秀吉のころに遡ります。
大阪城の築城で大量の人が集まり、トンテンカン

砂が大量に積み上げられている、砂場がありました
その近くに蕎麦屋を出したのが始まり
大にぎわいになったようです。
店の名前は、砂場ではなく、いづみや
お客さんには、店の名前より「砂場」と呼ばれていた。
今も、いづみやの跡地には「ここに砂場ありき」と書かれた石碑が立っています。

そもそも、三大蕎麦のうち、一番の老舗が
大阪で始まったとはビックリです。
なんでうどんじゃないんだろうとは思いますが
うどん屋はあまりにありすぎて差別化できなかったのかも

江戸に進出したのが、文政元年(1818年)
今も、本店の南千住砂場では、「ここに砂場あり」の石碑の文字と同じ書体で
のれんに書かれています。
江戸では店の名前も砂場にしました。

更科
これは良く聞きますね
江戸三大蕎麦の中では最も高級志向

信州生まれの布屋萬吉が寛政3年(1791年)に東日本橋の薬研堀(やげんぼり)に
信州更科蕎麦処、を創業
さらに芝の増上寺の門前に移転。
ここは、江戸の富裕層が集まっています。

蕎麦の実の中4分の1の中心部分だけを使う。
そこに熱湯を入れてこねる
そして、かなり細く切る
つゆは濃厚な甘めのつゆ
場所柄、汗をかく労働者が多くないので、塩辛くする必要がない
さらにいうと、甘いのは当時かなり高級

さらにさらに
変わり蕎麦、という名物を作った。
抹茶を練り込んで鮮やかな緑色
赤じそで、ゆかり切り、という薄紫の蕎麦
卵をふんだんに使って、卵切りという黄色の蕎麦
80種類を超える変わり蕎麦があったらしい

藪そば
最後はこれも有名、やぶそばですね
3つの中では最も後発です。
天保初期(1830年代)

実は藪蕎麦も店の名前は、団子坂つたや
砂場みたいにあだ名があって、竹藪の蕎麦屋
縮まって、藪蕎麦

なんで竹藪なんでしょう。

すでに後発
全く新しいコンセプトを打ち出そう。

蕎麦はさっと食べられるファーストフードというそれまでの概念を打ち破った。

ようし、一日楽しめる、レジャーランドにしちゃえ

土地300坪で広い竹藪を作る
離れや庭園、そしてなんと、大浴場

まず入浴して浴衣に着替え
庭を見ながらゆっくり蕎麦を味わう。

お風呂の王様かっ

大受けして大繁盛。
貸し出す浴衣は150枚でも足りないくらい。

さあ、蕎麦の味は?
今度は更科と逆で濃い目の辛口。
ちなみにその丁度中間が砂場ね

最初の店は千駄木の団子坂
今、その味を受け継ぐのは神田淡路町の神田藪蕎麦
行きました行きました

神田は職人の町だから、塩辛い味が丁度良い

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