江戸時代の庶民が狂乱した、おかげ参りとは

お蔭参り(おかげまいり)の背景となるお伊勢さんの話はしましたね
今回はお蔭参りがどういうものかを説明します
次回はなぜそんなことが起きたのか考えてみたいと思います。
そしてそのあと、ええじゃないかに続いていきます

「おかげまいりとええじゃないか」という本も読みました

お蔭参りとは
江戸時代にほぼ60年周期で3回起きた社会現象です
庶民が寄ってたかってどっとお伊勢さんに押し寄せた

1705(宝永2)年
1771(明和8)年
1830(天保元)年

補足的に言うと、その前やその間にも小型のものもあるにはあるけど
大規模なのはこの3つ

ぬけ参り
最初は「ぬけ参り」と言っていました
ぬけって、無断で、というような意味
普通は大旅行をするとなると
回りのみんなに話して準備しますよね
そんなことせずに、突然とりつかれたようにお伊勢参りに出掛けてしまう
勤め人は主人に断らず
奥さんは旦那に断らず

最初の宝永のおかげまいりは
少年層から始まっている
宇治茶で有名な宇治地方で突然始まる
6歳から16歳までで1万8千人くらいで全体の3分の1
またたくまに広がっていきます

4月から50日間で362万人
どえらい数

なぜか

奇跡が起きたからです

おかげまいりに
なんと空から、お札が降ってきた
空から雪は降っても、お札なんて降りませんよね
降るわけがない

でも降ったんです。
一ヶ所や二ヶ所じゃありません。
あっちでもこっちでも

それで「おかげ」参りになる
おかげ、とは神様に呼ばれたということ

神様が来いと言っている
仕事なんてしている場合じゃない

なにもかもほっぽらかして
お伊勢さんに行かねば
バチが当たる

とりつかれたように出掛け
踊りながら四方八方から行列をなして大混雑

おかげでさ、ぬけたとさ

お札は3回とも全てで降っています。

そして、病気が治っただの、バチが当たっただのの奇跡話は
山ほど作られていきます。

施行(せぎょう)
そうなると準備もなにもないので
着の身着のまま、金も持たずに出ちゃう
なにせ、神様に呼ばれた訳ですから

となると、これはかわいそうにということで
色んな人が援助するようになってきます
施行(せぎょう)と言うんですけどね

明和
一旦終わります
あれは何だったんだろう、
という感じなんでしょうね
さーっと引く

そして約60年後
60年ですよ、60年
産まれた赤ん坊がチャンチャンコ着ちゃいます

ずっと、語り継がれていたんでしょうね
お前はまだ若いから知らんかもしれんが
不思議なことがあってな

そして、突然に同じことが起こります
今度は、総勢200万人なんですが
前回が西日本中心だったのに対して
今度は広範囲になります
江戸にまで達します

天保
こうなると、人々は60年を意識するようになります。
そこから60年が近づいてくると
来るんじゃないか、来るんじゃないか

来ました!

天保のおかげ参りは
地域こそ又西日本中心になっちゃいましたが
なんと

500万人です
その地域の人口からすると5分の1

500万人の大移動って、想像つきます?

みんなが同じテレビをみて、とかいうレベルじゃないですよ
踊りながら何日も何日も歩いて旅行するんです。

どんなだったんだろう
その時代に生きて見てみたかった

道の向こう側に渡れなかったと言います
大袈裟じゃないでしょうね
500万人ですから

二つのこと
この3回目の天保では二つの新しい現象がつけ加わります
一つはひしゃく
ひしゃくを持って出掛け
施行を受ける
お伊勢さんにひしゃくを置いて帰る場所があり
大きな山になったらしい

もうひとつは、卑猥という要素
卑猥な言葉を旗に書いたり
卑猥なものを作って掲げたり

実は、この要素が、次のええじゃないかには
さらに増幅するんですが

何なんだろう
世界的にみた各種の暴動や市民運動とどう違うのか
その時、何が起きたのか
なぜこんなことが起きたのか
お札はなぜ空から降ったのか
あるいは降らなかったのか
これはいったい全体、宗教なのか
はたまた一揆なのか
誰かが仕掛けたのか
だとすると何のために
民衆はそれによって何かを得たのか

次回、色々考えていきたいと思います。

そして、さらにええじゃないか

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です