来ました!いよいよ江戸の寿司

蕎麦、鰻と来ました。
待ってました!いよいよ江戸の寿司です。

江戸の寿司
昔、寿司といえば、なれ寿司
魚を米麹によって発酵させた保存食です
鮒寿司なんかがそうですね

江戸時代でも中期まではその発酵させた寿司でした

笹巻きけぬきすし
人気寿司店の見立て番付の中、現在も続く老舗があります。
東の前頭にあげられた、笹巻きけぬきすし、です

創業は赤穂浪士の討ち入りで江戸が騒いだ、元禄15年(1702)年です
現在、千代田区神田小川町にある店は、東京に存在する最古の寿司屋です。

毛を抜くように、丁寧に魚の小骨を抜いたのが店名の由来です。
かつては、シャリとネタを笹に巻き
発酵させて作っていました

元禄時代の名残を残す笹巻きけぬきすしの酸味を再現した味は、
今も昔も江戸っ子を唸らせています。

大発明
江戸時代後期になります。
一人の男のアイデアが、世の中を変えます。

握り寿司の発明です。

寿司職人、小泉与兵衛

江戸は、毎日豊かに魚があがる街
わざわざ発酵させるというのは何とももったいない
でもなあ
発酵させてこその酸味のある味
この味がなきゃお客さんは納得しないだろう

ひょっとして、あれが・・

目をつけたのが、その頃出回り始めた「粕酢」
米から作る酢は高すぎて何ともなりませんでしたが
粕酢なら、安くで手に入ります。

シャリに粕酢を加えて酸っぱく味付け
これを適当な大きさに握り
江戸前の新鮮な魚をのせて売り出した。

ある意味、発酵させるのが面倒だという
手抜き料理ではあったのですが
「早い、うまい、魚が新鮮」の三拍子

最初は岡持ちに入れて行商していたのが
屋台へ
そして、両国に華屋という店舗を構えるまでになります。
華屋与兵衛

華屋自体は昭和5年に廃業していますが、あやかった名前のチェーン店がありますね

またたくまに真似をする店だらけになり
発酵させた寿司の店はほとんど絶滅します。

鰻の時もそうですが
新たな調味料の台頭は
食文化を大きく変えてしまうんですね

どでかい
江戸東京博物館に行ったときも
深川の江戸博物館に行ったときも
寿司がどでかかった

何でこんなサイズで展示してあるんだろうと思っていましたが
理由が分かりました。

当時はそのサイズだったんです。
シャリの大きさが今の3倍

三倍 三倍

何故か

当時の人は大食いだったからです
力仕事に携わる出稼ぎの男性が多かったというのもあるんですが
一日五合の米を食べたと言われています。

粕酢でシャリ3倍の江戸の寿司
一回食べてみたいと思いません?

実は食べられるんです。
門前仲町にある「鮨 三ツ木」
当時の寿司を再現して提供しています。

先ほど、新鮮な魚をのせて、という表現をしましたが
完全に生の魚を扱うようになったのは昭和の初期から
当時は、酢でシメるとか、醤油につけて漬けにするとかはしていました。
「鮨 三ツ木」でもそういうお寿司になります
行ってみたいですね

高級化
華屋に遅れること6年
松の鮓という店がオープンします。
差別化のため、高級路線をとるのですが
どんどんエスカレート

それでも、人気は衰えなかったと言います
とうとう、一人前が18万円という寿司まで登場した

そうなると、もちろん庶民が手を出せるものではありません

特別な用途に使われます
一つは賄賂
また、大富豪が遊女を口説き落とす最後の手

おそらく、ひとつひとつの食材を遠くから持ってくるこだわりで高くなった

これ、松の鮓ではないんだけど
浅草の高級料亭八百善で、超高額な料理
水をどこまで汲みに行ったか
正解は玉川(多摩川)だったんだけど
そこまでは行かんやろと、お茶の水にして不正解でした

そこまでではないにしろ
回りのお店もだんだん高級志向へ
せっかくの庶民の寿司が手を出せなくなってしまいます。

そこに待ったをかけたのが
水野忠邦(みずのただくに)
天保の改革です。
極端に贅沢を禁じ何一つ良くなかったイメージだったけど
良いこともあったんですね

200軒もの店が手鎖(てぐさり)の刑に処せられる
手錠をかけられ、一定期間、自宅で謹慎
この時は小泉与兵衛も捕まっちゃったらしい

寿司の値段が適正になり
江戸庶民のグルメに戻った

めでてえな

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