[徳川名参謀]4 家綱→保科正之。平和宣言

徳川名参謀シリーズ、保科正之の続きです。

幕府へ
家光38歳にして、ようやくお世継ぎに恵まれる。
ただ、お手柄、お蘭は産後の肥立ちが悪く
32歳で亡くなる。

産まれた竹千代(後の家綱)も、ずっと病弱。
発達障害となり、色々難しそうだなと。

気がかりでならない家光だったが
約10年後、自分も病に倒れてしまう。
何とか、家綱を誰かに補佐してもらいたい。

いよいよの時、正之を枕元に呼んだ。

竹千代を頼む

正之41歳にして、将軍補佐役となる。

家綱
家綱は偉大なる左様せい様
でしたね。

何せ11歳で将軍になったわけですから。

本格的にここからでしょうね。
江戸時代は、吉宗等のごく一部の例外を除いて
名参謀が政治を回していく。

でも、将軍シリーズで分かったこともある。
参謀に誰を選ぶかについては、ちゃんと将軍が自分の強い意思で選んでいる。
それさえあれば、とてもいいと思います。
左様せい様。

文治政治
とどめは綱吉が刺すのだけれど
もう戦いの世の中ではない、という文治政治は
家綱の時、保科正之によって、きっちり方向付けられる

1.末期養子を認め、お家断絶を和らげる
2.主君に従う殉死制度の廃止
3.大名同士の人質交換をやめる
4.玉川上水を開削し、飲料水の確保
そして、忘れることのできない明暦の大火が起きます。

プライベート
保科正之は、プライベートでは、あまり幸せだったとは言い難い。
子供は15人、頑張ったんだけど
ほとんどを幼くして亡くしてしまう。
奥さんにも先立たれる。

明暦の大火
江戸の町を焼き尽くす、明暦の大火がおきます。
その対応、復興に大きく手腕を発揮します。
その時、自分の子供も被害に会うんですが
それすらもかえりみなかった。

天守閣には火薬があったので、爆発して焼け落ちる。

回りのみんなは、将軍をどこに逃がそうか、大わらわ
でも
江戸城内で安全な場所を確保しますから
外には逃げないで下さい。
民衆が不安になります。

焼け落ちた天守閣をどう再建するか。
正之は
天守閣は、遠いところを眺める役に立つだけで
実戦の役にはたちません
そんな金があったら、江戸の町の再建に使いましょう

まあ、そういうわけにもいくまい

ならぬものはなりませぬ

変わりに作ったのが富士見櫓(やぐら)
ウォーキングイベントで見てきました
天守閣に比べると実にコンパクト
目的をひとつに絞った。
富士山を眺める

元々、天守閣はその役にしかたっていない。
これで充分。

江戸の町の大改造を行いました。
大火に強い町作り
道を広くしたり
火よけ地を設けたり。

最近見つかった資料で
天守閣は、思ったよりさらに大きかったらしいですね。
当然、江戸中どこからでも見えたでしょう。

それが見えなくなる。
今まであったものが、そこにない。
これは、江戸庶民にとって
とても大きな意味を持った気がする。

戦国の世の象徴である天守閣
それがなくなった。
なくなったということが、平和の象徴。
幕府は、自分のことより
民衆の事を大切にしてくれた。
その象徴。

保科正之の主導した平和宣言であり復興宣言

頑固
一筋に忠義を尽くす生き方

でも、その精神を受け継いだ会津は
幕府がとっくに諦めているのに
幕府に変わって最後まで戦うことになる
とても悲しい結論。

でも、保科正之の生き方を誰が非難できようか。

ある意味私の考え方とは違う。
お国のために死ねと言われたら
なんとしても逃げ隠れする
嫌なものは嫌だ。

ただ、保科正之の生き方は大好き。

正之は、幕府から何度も松平姓に変えるように言われた。
でも

私は保科です。

ならぬものはならぬものです。

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