将来より今(笑って死にたい)

将来より今
過去は変えられるという話をした
・今度は未来。未来をどう考えるか

笑って死にたい
・よく言われる
・ただ、そうしたいのなら、今笑うこと

・例えば、今が病気でとてもじゃないけど笑えない
・死ぬときに笑えればいい
・それは無理

・今笑えないなら、死ぬ時だって笑えない

今にしか生きられない
・このことは、「健康」「病気」についてだけではないだろう。
・そうなると、とても大きなテーマになるのだが、とりあえず、「健康」「病気」に限定する
・今をワクワクさせる。
・そして回りもワクワクさせる。
・「病気が治ったら」じゃなく順番を逆転。
・治ったらやりたいことがあるなら今やる。今でしょ。
・そうしたら、病気が治る。
・何に「気」を向けるのか
病気を「気」にしないということ

病気を「気」にしない

病気を「気」にしない
・今病気の人は、病気にばかり、「気」がいく
・全てをストップして、「治す」「治す」
・治ったあかつきには、あれやこれや
・それがいけないと篠原先生は言う

お医者さんなのに
・これってすごくないですか
・病気を治すお医者さんが、難病と闘う患者さんに向かって、「そんなに治そうと思わないで」と言うわけです。
・口ぽかん、ですよね。
・そんなことより、今やりたいことをやってください。
・そっちに夢中になると病気なんて忘れてしまう。
・そうすれば病気は治る。

・おそらく、医療界では異端児中の異端児なのでしょう。
・でも、「病気を治したい」気持ちが人一倍強く、
・日々行っている医療行為で「治らない」ことを感じてしまい、
・霊だの超能力だのちょっと変な方向にも回り道し、
・自身の家族にも先天的な病気で言葉がしゃべれない子供をはじめとして、病気の人ばかりで、
・その間も「不思議に治ってしまう」人に数多く接し、
・そして得た結論。

人が人を治すなんて不可能
・「症状を和らげる」ことはできる
・西洋医学でもこれは可能。
・ただ、そこまで。
・治す力=快癒力は本人にしかない。
・そしてそれは、本人が必死で頑張ることでは実現しない。
・病気を「気」にしなくなった時に初めて実現する。

信じる
・私はこの結論を信じる

索引はこちら
[快癒力]シリーズはこちら(少し下げてね)

病気を予防したり、治そうとしてはいけない

病気を予防したり、治そうとしてはいけない
快癒力で、ここまで過激な表現をしているわけではないが、その趣旨を表現すると「病気を予防したり、治そうとしてはいけない」となる

イメージするな
・特定の病気のためにいっぱいのエネルギーを使って、あの手この手で「予防」を測ったら、その病気になってしまうということ
・とても面白い実験の話がかかれている
・「皆さん、今から目をつぶってレモンを”思い浮かべない”でください」
・これを言われて実際にできる人はいるでしょうか。
・絶対に無理。
・病気もそれと一緒。
・特定の病気を思えば思うほどその病気の「魔の手」に陥ってしまう。

お母さんだって
・「この子は風邪をひきやすくて」と言っている母親は、一生懸命子供を風邪に導いているのも同じだということ。
・そりゃあ引きやすいですわね

病気を予防してはいけないという視点
・「病気を予防してはいけない」という視点は、とても新しい視点。
・よく、テレビで○○は糖尿病の予防にいいだの、食事や体操やいろんなことをやっていて、影響力のある番組だと店頭から納豆がなくなったりする。
・そんなこんなが全て馬鹿げた行動だということ。
・何と過激な
・ただ、篠原先生は、回り道しながらの自分の患者さんとの豊富な経験から、実感のある法則として導き出された。
・私には「正しいこと」と思える

病気の原因=過去は変えられる

病気の原因は過去にある
・これはあまり説明が要らないでしょう。
・原因があるから結果があって、原因は今より前

過去は変えられる
・ここは、ものすごく衝撃的でした。
・こんな考え方はしたことがなかった。
・「過去は変えられないから仕方がない。くよくよ考えるより、今と未来を大切に生きていこう」が前向きセオリーの基本でした。
・「過去を変える」は、じっくり快癒力の本を読むと「正しいこと」の積み重ねで、「そうだよね」「そうだよね」と読み進めていくうちに「確かにそうだよなあ」となる
・それを極めて豊富な例と共に説明してくれるので、是非、私のブログだけでなく快癒力の本を読んでください。

なぜ過去は変えられるのか
・根拠は、過去って自分の主観の中にあるということです。
・厳密に全てが全てそうなのかと聞かれると、例えば3.11のような事実そのものは変えられないので、いったん言い方を変えましょう
・今の自分に影響を与えている「過去の自分」と言うことにしましょう。
・過去の自分は他人には分からない、自分の中だけのもの
・例えばある人にひどい目に合わされた過去があったとしましょう
・「あのやろう」と思い続けるのではなく「今思えば懐かしい過去。彼は彼で必死だったんじゃないか。今なら会って挨拶くらいは出来るかも」と思ったとたん、過去は変わっているのです。

事実すら怪しい
・テレビの「あの人に会いたい」コーナーで、昔山中で助けてもらった旅館の美しいお嬢さんに会えた時のエピソードが書いてありました。
・実際に会ってみると当時の思い出としての事実はほとんどが事実とは異なっていたそうです。
・長い時間の間に「美しい思い出」に尾ひれがついていったのでしょう
・でもそれは「事実と違うじゃない」と非難されるべきことなのでしょうか。
・誰にも迷惑はかけていない。
・いずれにしても「事実」は「主観」を通してしか自分にはやってこない
・もし他人に迷惑をかけないなら、どんなに過去を「ねじ曲げ」ても他人にとやかく言われる筋合いのものではないだろう。

健康や病気でどういった意味を持つのか
・「病気ではありません」単純かつ極端に言うとそういうこと
・病気になってしまった人は、病気になった過去をねじ曲げてしまえばいい。
・「病気」は治そうとすることを通じてすら、「意識」してはいけないもの
・なぜなのかはこちら
・じゃあどうすればいいかはこちら