大阪弁、その不可思議なるもの(あほ)

一番重要な大阪弁を、すっかり忘れておりました。
あほ、です。
大阪弁の中心であり、ベースであるあまりにも一般的な言葉です。
この言葉がなかったらと思うとぞっとします。

あほは褒め言葉か
この論争は、古くから続いています。
答えは時と場合による。なのですが。

この話自体が、遊びみたいなもので、他の地域の人と大阪弁を語る上で大阪弁をわろてもらおうかという
話のきっかけの定番であったりします。

よく「バカ」と比較されますが、自分から「バカ」を使うことがないので、正直「バカ」側のニュアンスが正しく分かりません。
少なくとも家族に「バカ」と言われてうれしかったことは一度もないので、褒め言葉ではないのでしょう。
バカ、と言われると

バカって言うな、あほって言え
何で?
あほは褒め言葉やがな

この一連の流れになります。

時と場合
積極的にほめている場合が3割りくらいでしょうか
とくにプラスでもマイナスでもなく口から突いて出る場合が5割りくらい
残りの2割がけなしている場合です。

3割の褒めている場合
褒めている場合の3割って、「あほ」と「面白い」がかなり近い意味で使われる場合。
その前に相手がぼけていて、突っ込んでほしい場合です。
自虐的ボケの場合は、当然、良いぼけやったよという賞賛のツッコミで「あほ」の入った文章が使われます。
あほなやつやで、とか、あほな人生や、なんてことをしみじみ言うと相手の人格を全面的に賞賛している最上級の褒め言葉になります。

5割の普通ゾーン
あまりにも、言葉の中に深く入り込んでいるので、特にどういうわけでもないというのが一番多いでしょうね。

ツッコミで「あほか」だけ言うと

すみません。
そのぼけが悪いわけではありません。
適切なツッコミが思い浮かびません。
とりあえず、いったんお返しします。
未熟な私をお許しください。

が、凝縮されています。

あほみたいに頑張ってんけどな

のように、どう考えてもあほと頑張るのは関係なさそうなのに使われたりします。
必死のパッチの言葉遊びのように、言葉が持っている何とも言えないコミカルな感じを使ってその場を和ませたい。
あちこちであほっちゅうときゃ、何とかなるやろ、的な感じです。

そこで笑ってもらおうというほどのレベルまで行ってないけど、今後いつ思いつくか分からない秀逸なぼけのために、ここはまず場を温めておこう。

そのためのホンの軽い小道具があほなので、会話のあちこちに顔を出します。
あほも休み休み言え、みたいなのはその典型ですね。

大きな範疇ではプラス的使い方ですが、褒め言葉というには言いすぎです。

2割のけなしゾーン
これが、一番難しい。
相手をけなしてダメージを与えようとしている。
その適切な言葉がないんです。
時と場合によって褒め言葉にもなるような「あほ」をけなす言葉として相手にぶつけると、たまに勘違いされたりします。
とはいえ、ばかは使い慣れてないので照れくさい。
本来的なあほを使わざるをえない。
語気や表情や補足説明で、必死で相手に、この場はけなしているんですというのを伝えねばなりません。
とりあえず、ドをつけて、ドあほと大きな声で言ってみます。

たいがいはこれで何とか分かってもらえるはずですが、不安なので何とかダメ押ししたくなる場合があります。
確実に相手を叩きのめす方法があります。

おもろない

関西人はおもろないと言われると奈落の底に突き落とされます。
こいつとは今後一切付き合わなくていい、と言うほどの覚悟が持てた場合にのみ使われます。

恋愛が絡むと
女性から好きな男性にあほと言うと、使い方によっては最高の愛情表現になります。

泣きながら、男の胸板を「ばかばかばか」と言いながらたたく。
そのニュアンスです。

もうっ    あほぅ
きゅっとつねる

たまりませんね

究極は、京都弁になるかもしれませんが、すかんたこ

もうっ いけずなおひと。
すかんたこ。

そんな、色っぽい人にも会ったことないですし、そのような場面づくりも不可能なので
当然聞いたことはない言葉です。

関西人、その不可思議なるもの(うどんとねぎ)

関西と関東で色んな、食文化の違いがありますね。
結構、関西を離れてから時が経つので、「今はそんなことないよ」みたいな突っ込みを入れてください。
前回、納豆の話をしましたが、今日はうどんとねぎです。

うどんそば
この話は、ちらちら色んなところで出した気がしますので、再度になるかな。
関西人が一番ビックリする食の違いはやっぱりこれでしょう。

東京って、うどんのつゆが真っ黒で、どんぶりの底が見えへんらしいで。
そんなアホなことあるかいな。
冗談も休み休み言え。

最初に食べたのが、大学の学食。
きつねうどんでした。
食券を買って、並んでカウンターへ

そばですか、うどんですか

(何怒ってはるんやろこの人、きつねや、ゆうてんねんから、うどんに決まっとるがな)
うどんですけど。

関西では、きつねというと、うどんしかありません。
おあげがそばにのったら、たぬきそば。
てんかすがのるのは、てんかすうどん。
基本はてんかすはサービスやから、てんかすうどんはめったにない。
昔はそうだったけど、今は関西でも違うんかなあ

そもそも、うどん屋でそばを扱うなどという節操のないことがあり得ない。
うどん屋はうどん屋、そば屋はそば屋。
プライドはどこいってん、ちゅう話です。
チケットに、うどんそばと両方書いてあるて何ですの。
チケットにラーメンとカレーの両方書いてあったら、パニックですよね。

そして、いよいよご対面。
ほんまやった。
あいつすごいわ。ものしり博士か。
でもあいつも、ほんとのこの黒さは分かっとらんと思うで。
俺は、これから、この、底が見えへんうどんと、向き合っていこう。

と、気合いを入れましたが、
食べてみると

う~ん、こういうもんと思えば、おいしいんちゃう。
いとも簡単に慣れてしまうのでした。

ねぎ
大学の研究室で、先輩方が、どういう経緯からか、ねぎの話に。
ねぎの緑のところはどうせ捨てるのにもったいないなあ

たまらず割って入った私。
先輩、今、何と言わはりました?
ねぎの緑のとこ捨てたら、どこ食べまんのん。
むしろ、白いとこなら捨てますけど。

えっ、お前は何という事をいう。
白いとこを捨てたらどこを食べるの。
大丈夫か、お前。

私は、今まで、先輩の事を尊敬してきました。
なのに、なのに。
ねぎの緑のとこを捨てるだなんて。
何を頼りに・・・

もうお分かりですね。この論争。

数日後、スーパーに行って、我が目を疑いました。
ねぎが白いっ。
しかもぶっとい。

関西人、その不可思議なるもの(納豆)

多くの関西人にとって、納豆は未知なるもの。
今でこそ、関西でも納豆が食べられるようですが
私の小さい頃は納豆は遠い世界の存在でした。

東京に行く前の納豆について知っていた情報は。

1.甘納豆ではない。
2.豆が腐っている。
3.箸を回しながら食べるらしい。

これだけの情報を引っ提げ、いざ東京へ。

おばさん
大学で東京に出てきてすぐは、親戚のおばさんのところにご厄介になることに。

何か食べたいもんある?
なっとーっ
そんなんでいいの?遠慮せんでええんよ。
なっとーというものを、食べてみたかったんよ。

一番高い、藁につつまれたやつを買ってきてくれました。
うわあっ。なにその臭い。豆が腐ったような。

その情報は分かっているはず。

これ、食べなあかんのん?
あんたのリクエストでしょうに。

失礼極まりない、甥っ子は、近づくことができずに、撃沈。

挑戦
その後、独り暮らしを始めることになりました。
男子学生のビンボーな独り暮らし。
安くて、調理不要で、栄養がある。
納豆は何としても克服すべき大きな課題です。

よしっ、今日は体調もいいし挑戦してみるか
やっぱり臭いだけで、ひと粒も食べられず断念。

よしっ、今日は体調もいいし挑戦してみるか
えいっ。
やったー、一粒食べれたぞ。
ああ、でもだめ。息が続かん。

よしっ、今日は体調もいいし挑戦してみるか
3粒だっ。
ぷはーっ。息苦しい。

という事を1ヶ月くらいごとに繰り返し。

いよいよその日が
挑戦を始めて6ヶ月くらい経ったと思います。
なんだろ、このひきわり納豆っというのは。
たれつきと書いてあるぞ。
よしっ、今日は体調もいいし挑戦してみるか

こ、これはっ。
うまいやん。

神様、今まで見守ってくれてありがとう。
私は納豆が食べられるようになりました。

好物
それから、急に好物へと変化します。
ひきわりでなくても大丈夫。

食事時でなくても、寝る前とかに、デザートとして食べます。
欠かさず毎日です。
せっかく苦労して食べられるようになった納豆。
飽きてしまっては困ります。
付いてくる小袋のからしは、基本入れないようにして、
このままでは飽きてしまうかもという危機感迫るときのみに入れるようにします。

しかし、なんでこんなに納豆っておいしいんでしょうね。
安いからこの位置に甘んじているけど、
もし高かったら、世界三大珍味の一角を担ってもおかしくないと思います。

里帰りした時
ねえねえ、お母さん。
納豆やけど、
子供の時、なんで納豆が出てこないか聞いたとき、
一回買ってきたけど、あんたらが食べんかったからやってゆうてたやん。
うん。
東京で、納豆食べられるようになったで。
もう食卓に出してもええで。
ああ、あれな。
ふん。
うそや。
えっ。
うそて。
私が嫌いやから買わへんねん。
自分の子供をだましたんかいな。
そうや。あんなもん、食べられるかいな。

なんと素直であっさりした告白。
反論のしようがありませんでした。

火花を読んで

火花良かったよ
土曜日、ウォーキングの仲間と雑談しました。
その中で
火花読んだけど私は面白かったよ。
独特の世界観があって良かったよ。
と聞きました。
ずっと気になっていました。
関西人として「読むべき」小説でもあります。

よしっ、読んでみよう

好きだわ
私が好きなタイプの小説です。
村上春樹も好きですが、村上春樹が好きな人は好きになるかも。
小説について詳しい訳ではないので、めったに小説を読まない、単なる平凡な読者の一感想として聞いてください。

題材
題材が、ある種「反則」に近いほどの題材。
普通の文章ではない、若干の冒険的、はみ出し的な言い回しで独特の世界観を作っていくわけでしょうけど、「漫才」という題材は、これ以上ないでしょう。
そう来るか、的なことが、笑いのためという筋が通っているために、かなりの納得感を得られる。
この理屈っぽさで、お客さんは本当に爆笑するのかなという単純な疑問はありつつも、
関西から東京に出てきていることで、いけるかも、的な範疇に収まっている。

ここええな
基本的には、主人公と、その敬愛する師匠(神谷さん)とのやり取りでずんずん進んでいく。
随所に、ここええな、と思えるところがある。

雨が降ってきたので喫茶店のマスターが傘を貸してくれる。
これしかないのですが、返さなくていいので。
その気持ちに感激しつつ、傘をさす
しかし、次第に小やみになり、結構すぐにやんでしまう。
気づくと、2人だけが傘を差し続けている。
神谷さんが、空に向かって
「どのタイミングでやんどんねん。なあ?」

関西人的価値観
関西人は漫才師ではない一般人でも、「うけてなんぼ」と思っている。
経済的な成功等の人生における成功がもしなされないにしても、うけたらそれでよしという価値観を持っている。
本来の失敗が、その失敗を笑ってもらえることで、「うけたんやからええやん」と成功に転じる。
救いの哲学。
私は、宗教的とも言えるほどのこの価値観が大好きで、東京に来てからも「関西人」を名乗り続けている。

設定が漫才師なので、「うけること」と人生の成功がイコール。
若干のニュアンスの違いはあるものの、展開される「変わった行動」に納得性が強くある。

酔いつぶれた主人公が寝ている布団を彼女と一緒に日差しの強い窓際に移そうとする。
徳永の顔面にブラックジャックみたいな日焼けあと、作ろっと
気づいた主人公が
それの、何が面白いんですか

行動基準はおもろいかどうかにある。
大人的いちびり

クライマックス
成功するんか失敗するんかは、読んでのお楽しみにしておくとして、最後にとんでもないダメ押しがある。
うけたらええやん。
むっちゃ唐突感はあるんだが、これが芥川賞なのかもしらん。

自信あるんやろなあ
最初にこんなん出してもうたら、あとどうするんやろ。
一番の得意分野。

私のコラムで言うと「千川へは行けません」を最初に出したようなもの。
(それが最高かいっ)

でも、逆に自信の表れのような気がした。
もっともっと引き出しがあるのだろう。

こんなん、序の口でっせ
みたいな