経営コンサルタントで感じた限界

社長の実感のある話を伝えていくようにしたこと。
「ロマンによる経営」や「ノウハウ集をベースにした経営」というオリジナルの経営ノウハウも体系立てて行くことで、
何とか経営コンサルタントとしても様になっていきました。

ところが、本質的なところで限界を感じてしまうことになります。

もどかしさ
経営コンサルタントである以上、根元的問題なのでしょうね

最初に、5年後へ向けての中期経営計画を立てて
それを具体的な課題達成スケジュールに落とし混んでいく

誰がいつどう進めていくかをスケジュールにする
毎月、我々コンサルタントが伺い、進捗を見ながら具体化させていく

○○さん、今月はどうだったでしょうか

うまく進まない
ごめんなさい、なかなか手をつける暇がなかったものですから

中期経営計画での課題って、日常的にやっている仕事とは別。
プラスオン
言い換えれば余分な仕事。

そんな戦略的な課題の担当者に割り振られるくらいの人だから、当然優秀な人。

横から社長が助け船

今月はわが社は繁忙期でして、彼は一番中心になって業務を回してもらっている訳でして

いつまでたっても進みません
やっぱり日常的な業務あっての会社ですから

ああもどかしい。
靴の裏から足を掻くような

新たな考え方
ああ、助けたい
余分な戦略の仕事を、超多忙な人にやらせること自体無理なことじゃないか

余分な仕事には余分な人材
例えば私のような人間が中に入り込んで推し進めていく

それなら、できるんじゃないか

常駐型コンサルタント

月に一回会議を持ったからって、残念ながら進んで行くことは無かったのです。

この人たちのためにもっと強く関わりたい

私に向いている会社
いつもチーフコンサルタントと一緒にうかがっていたのですが
会社によって違いが出てきていました。

肌で感じて分かります。
あっ、このお客さんはチーフのお客さんだな
私が何か言ってもすぐにチーフの方を見て話す

そんな中で「私のお客さん」がちらほら出てきた。
むしろ私の方を向いてしゃべってくる

そんな「私のお客さん」にはどんどん思い入れが強くなってきて、
関わりたい、と思ってくる

その傾向が一番強かったのが、13店舗を持ち、年商300億円だったパチンコホールチェーン

常駐型コンサルタントへ
その時のコンサルタント会社の社長に、常駐型コンサルタントという新しいスタイルを提案することにした。

2年の間、クライアント企業に入り込み、戦略的課題を強力に押し進める
ある程度目鼻をつけ、あとは抜けても大丈夫だって所まで仕上げ、
次は、違う会社にまた2年間常駐、と渡り歩いていく

ただ受け入れられないだろう事は分かっていた
分かっていたから根回しをした。

常駐型コンサルタントというスタイルを提案して、提案が通ったら、お宅に最初に伺いたいと思っている。
もし通らなかった場合なんだけど、コンサルタントの会社を辞めて、お宅に2年間就職したい。
どうだろうか

2年間という期限付きでパチンコホールチェーンに就職することになる
家族ごと、福島県に引っ越し

自分で言うのも何だけど、大成功をおさめることになる
このあとは、また次回

若くしてなった経営コンサルタント

経営コンサルタント
最初、社会に出て一番最初に入ったのは、今と同じIT業界(当時はITという言葉はなかったので、コンピュータ関連)
ただ、5年位してステップアップしたくなりました。
経営というものに興味がどんどん深くなってきたのです。
転職し、若くして、「経営コンサルタント」になりました。

若いということ
経営コンサルタントの会社に就職したということだが、どういう経営コンサルタントかというと、「戦略」のコンサルタント。
クライアントの会社の社長さんに、御社の経営はこれこれこうすべきですよ、と、お教えする立場。
今から考えると、何とエラそうな、無茶なことをやっていたのかと思いますが。
リーダーコンサルタントとペアになって仕事をするものの、相手の会社の社長さんは、若い私のことも「先生」と呼びます。

相手の立場に立って考えてみると「何なんだ、この若造は。自分の息子より若いじゃないか。こんなものが先生であろうはずがない」
そのコンサルタント会社には、私以外にも若いコンサルタントが他にもいたのですが、このどうしようもない根本的問題解決のため、「本を引用する」方向に向いた人がいました。
「ドラッガーの本には○○と書いてある」という具合です。
私は違うと思いました。
若いというデメリットをメリットに変えよう。
若いメリットは一つだけ。この先とてつもなく長い「時間」があるということ。
その「時間」で「実感のあるノウハウ」を流して貯めるのです。

実感のあるノウハウ
あるとき、若い私のいうことを真剣に聞いてくれたことがありました。
なぜ聞いてくれたか。
私が言ったことではないからです。
ドラッガーが言ったことでもない。
私がお伺いしている他の会社の社長さんがしみじみとしてくれた「実感のある話」です。
本とかに書いてある話ではなく、生々しい話です。
これこれの社長さんが話しておられたんですが「いやぁ、○○は△△です。やっぱり◆◆ですからね。やってみて初めて分かりました」
すると、反応がまるっきり違いました。
「なるほど。そうなんだ。実はね、私も……。」
1の話をすると、教えてくださいと言ったわけでもないのに、同じように実感のある話を1くらい返してくれる。
そうなると、2の実感のあるノウハウが手に入る。
次の社長のところで2の話をする。すると、社長は今度多い目の2くらいのボリュームの話をしてくれる。
次は4が8になり、16になり。
どんどん実感のある話だけで時間が過ぎていくことになる。
ドラッガーなんて入る余地がない。
それを、全てテーマ別に文章にまとめる。
瞬く間に、すごいボリュームになります。
普通のコンサルタントは、ノウハウを切り売りするので、ちびちびノウハウを出していくのですが、私はいきなり、どーんと提供する。
ノウハウを守ることが目的ではない。
実感のあるノウハウを同じだけ言ってもらうことが目的だから、最初に全部出さないと、いっぱいの実感のあるノウハウを語っていただけない。
また、全部出しちゃっても、日々更新されていくから、次訪問するときは追加された部分を持っていける。
実感のあるノウハウの運び屋に徹すれば、運び屋が若かろうがどうでもいい。
待ち構えていてくれる

分かったこと
ギブアンドテイクはギブが先。
ギブさえすれば、頼まなくても相手がギブ(こっち側からはテイク)してくれる。
そして、ノウハウをちゃんと形にして残していけば、倍々ゲームで増えていく。
自分は殺すこと。
「自分」が前に出ると、自分以上のことはできないから、倍々ゲームにはなりえない。
自分の経験した、経営コンサルタントの時の話をしましたが、今は経営コンサルタントをしているわけではありません。
この考え方は、すべてに通じる気がします。

「ありがとうございました」の前倒し

子供の頃の思い出とか、恋愛の思い出とかは書いてきましたけど、
仕事の事は書いて来ませんでした。

少しずつ、お話していこうと思います。

社会に出て初めての会社で
社会に出て最初に入った会社は大手電機メーカーの子会社でした。
今で言うIT業界です。

当時はパソコンってなかった。
オフィスコンピュータ、オフコンって言ってた。

お客さんのところでこんな業務でこんな管理をしたいということになれば、打ち合わせに出掛ける。
ああしたい、こうしたいを、コンピュータがわかる言葉に直してシステムとしてプログラミングをし、作り上げていく。
コンピュータが分かる言葉は、言語っていってます。
最初に習ったのは、コボルという名の言語でした。
それほど効率よく、プログラミングできるものではありませんでした。

私が社会に出て一年目です。
日本に初めてのUNIXとC言語というものが入ってきた。

かなりの大きな変化です。
うちの会社ではいち早く取り組むことになりました。

全員が取り組むのではなく、プロジェクトとして先行して学習する部隊を作ろうと言うことになりました。
ラッキーなことに一年目の社員としては一人だけ私がそのプロジェクトに入れてもらえることになりました。

C言語を習っていくと、どんどん工夫次第で効率のよい組み方が出来るようになっていきます。
ここでの経験で「効率のよい組み方」というのに目覚め、私のライフワークとなる「ノンプログラミング」の基礎になります。

「ありがとうございました」の前倒し
スイミングスクールのシステムを組んだことがあります。
その時、お客様の社長にある機能をつけてくれと言われた。
とても難しく、見積もりからすると不可能だと思われた。

できません。
とお断りした。

すると、社長は突然怒り出した。
すったもんだがあったあと、会社に帰ると会社にクレームが入っていた。

部長から呼び出された。

無理です。できません。
そんなことは私が判断する。やれ。
今から謝りにいくから一緒に来い。

とても納得いかなかったが、一緒に行って頭を下げた。

申し訳ありませんでした。

悔しくて悔しくてその後もずっと頭から離れない。
ようし何とかしてやろう。

最初にお話しした、「効率のよい組み方」をどんどんレベルアップしていった。
スイミングのシステムの納品が終わった後、2年ぐらい経過しただろうか。

「効率のよい組み方」はかなりのレベルに達し、同じ期間、同じ人数でも、できることが飛躍的に上がった。

あのとき、見積と比較して「できない」と思ったような機能も、なんなく取り込めるようになったのだ。

できません。
ではなかったのだ。
社長の言っていることの方が正しかった。

たまたま、その時、自分の組み方が未成熟だっただけ。
あの社長のおかげで、必死でレベルアップしたから。
そう、社長のおかげ。

心底、社長にありがとうと言いたくなった。
2年もたっている。
行けばいいだけの話だけど躊躇して行けなかった。

その時思った。
あの時、嫌々でも頭を下げていて本当に良かった。
お詫びと感謝で違うかもしれないけど、
せめてあのときの、頭を下げると言う行為を「ありがとう」と考えよう。

申し訳ございませんと頭を下げるとき、
全く納得できなくて、悔しくて仕方がなくても、何がなんでも頭を下げよう。
悔しければ悔しいほど、後々絶対に意味を持ってくる。
その時の「申し訳ございませんでした」は後々「ありがとうございました」に変わる。
その時、会いに行けるかどうかも分からない。
であれば、「ありがとうございました」と心の中で唱えつつ、頭を下げよう。

「ありがとうございました」の前倒し。

恋愛の思い出(そしてカミさんへ)

恋愛の思い出も最終章。
いよいよ、今のカミさん編です。

結婚情報サービス業
自己啓発セミナーに行ってやたらに舞い上がっちゃった私は、人といっぱい話がしたくてたまらなくなりました。
今もごく一部残っているようですが、結婚情報サービス業なるものが流行りはじめの頃でした。
アンケートのようなシートにいっぱい、情報を書き込んで登録しておけば、結婚相手の紹介をどんどんしてくれるというもの。

面白そう。
いっぱい、いろんな人と話が出来るかも。
ひょっとして、結婚なんてできちゃったら儲けもんだし。

切実に結婚したいというよりは、友達作り的ニュアンス。

データ
最初、週に1人ずつデータのシートが送られてきます。
本名も顔もわからず、イニシャルと、アンケートに答えたデータのみ。
もし、その中で会いたいなと思う人がいれば、お会いできませんか、私はこういうものです、的な手紙を書いて封筒に入れ、さらにそれを大きな封筒に入れて本部に送る。
本部は中の封筒を相手に送る。
送られた相手が会いたいと思えば、そこからは、直接連絡を取り合う。

正直、データでは全くイメージがわかない。
どうせ、それほど会ってくれることはないだろう。
よし、全員に手紙出しちゃえ。

ところが、予想に反して、かなりの確率で会ってくれる。
そのあと、またお会いしましょうか、的になったりすると、週末が忙しい忙しい。

いやあ、想定外。
ここまで大変だとは。
正直、ちょっと疲れてきた。

ちょっと体勢を立て直そう。

契約は、2年間なんだけど、途中、トータル9ヶ月まで何度か休会が出来て、その分契約が後ろにずれる。

休会しよう。

何故か
休会したので、もう、データは送られてこない。

はずだった。

でも不思議なことに、おそらく間違えてデータが送られてきた。

ラッキー。
この分は、只っちゅうことやね。

何としても会わねば。

お察しの通り、それがカミさんです。

会って
最初、池袋で会いました。
はっきり言って、只なんだから、ダメで元々。
言いたい放題。

色々話して分かったのが、彼女(カミさん)も不思議なほど、同じ経緯。

ホントに偶然なんだけど、全く同じ自己啓発セミナーを向こうの方がちょっと早めだけど受けていた。
カミさんも友達がいっぱい欲しくなり、友達作り目的で入会。
でも忙しくなってきたので、休会。

休会中にも関わらず、僕からの手紙が届いた。
もったいないから会ってみよう。

ここまで一緒。
とっても不思議。

初日に
恋愛の思い出シリーズを読んでいただいた方はお分かりかと思いますが、
今までの恋愛はちょっと変。
息ができなかったり、4年も文通だけで思いを募らせたり、ストーカーまがいだったり。

全く逆と言っていいのか、思い詰める的な感覚が見事になかった。

とっても自然に、会った初日に、
あっ、この人と結婚しよう。
おそらく結婚する。

皆さんはどうなんでしょう。
もちろんいろんなケースがあるんでしょうけど。
自分でも不思議なくらい、気負いがなかった。

おそらく近い内にプロポーズするんだろうな。
その時に、断られるようなイメージが全くわかない。

結婚って、そういう相手とするもんかも。

そして、決定的な決め手が、皆さんご存じのカミさんの田舎の話を聞いたとき。
ゴミを台風の日に?
これは、結婚せんと。

プロポーズ
気負いがないので、どんな場所で、何を言おうかなんてことは全く考えなかった。
ひとつだけ決めていた。
プロポーズの言葉は、何でも良いけど、大阪弁で言おう。

カミさんが今後の人生でやりたいことを話だした。
カミさんは看護師なんだけど、その時の職場は、未熟児専門。
未熟児について、もっと深く知りたいという。
未熟児学みたいなのがあって、圧倒的に進んでいるのがアメリカ。
アメリカに留学してもっと未熟児学を勉強したいと。

良いじゃない良いじゃない、応援するよ。

他にも、やりたいこともいっぱいあるしね。
私みたいな人は一生結婚できないと思うのよ。

ええっ?

『俺のこともかんがえてえなあ』

これです。
プロポーズの言葉のつもりで言ったんですが、ダメ?
カミさんからは、ずっと、プロポーズされてないと言われ続けてます。

その後、結婚後に留学してもいいよとか、結婚できない理由を一つずつ解決していった。

最後に、
ちゃんとご両親とかに、結婚するからってゆうといてよ。

確かにロマンチックのかけらもなかったね。
すみません。
反省。

今に至ります。