[宇宙] 太陽は何が燃えているのか

何も燃えていません。

太陽が生み出している熱と光は、核融合反応によるもので
何かが「燃えて」いる訳ではありません。

酸素がないから燃えるのは無理

そんな、殺生な
理系の人の言うことは何とも身も蓋もない

♪真っ赤に燃えた~ 太陽だから~

美空ひばりが嘘を言うとも思えません。

そこを何とか燃えていることにしていただいて。

直径が地球の109倍もある太陽の中心部では
1500万度、2000億気圧というとんでもない環境の中で
水素原子4個が合体し、1個のヘリウム原子に変わっています。
これを核融合反応と言いますが
その際に、膨大なエネルギーが出るのです。

うーむ。
そこまで言うのなら。

100度でもあちち、なのにその15万倍と言うとります。
むっちゃ熱いですね
(ざっくりでした)

どのくらい巨大なエネルギーかというと
TNT火薬に換算して、毎秒1000億トンの爆発に相当する

そんな事言われても、TNT火薬が爆発しているのを見たことがあるんだかないんだか

西部警察で爆発しているのを毎秒1000回やれば良いんでしょうか。

ここはまた、ざっくりと

大爆発!

太陽の誕生と終末
太陽は、ガスやチリが集まって、50億年前に生まれた
お互いの引力で少しずつ縮んでいき
圧縮されて高温に
もっともっと圧縮されてとうとう核融合

ラッキーです。奇跡です。

核融合で、むっちゃ熱い太陽と
核融合せずに、表面は冷えている地球

たまたま太陽との距離がちょうど良く
お陰で程よく暖かい。


生命が生まれる

ほどよい気温だから、物が出来るって
そういうこともあるんかな、って感じだけど

そこに魂とか霊とか心とか
目に見えないものが加わって生命

そこも太陽のお陰でしょう
不思議以外の何物でもないですね

心ってエネルギーと関係あるようでないようで。
少なくともカロリーはゼロ

なんでそんなものが、エネルギー大爆発の太陽のお陰でぽこっと降って涌いたように出来るのか
ああ、今日は眠れそうにありません。

あと、太陽は50億年は大丈夫だそうです。
ああ、良かった。

めったやたらに長生きしたって大丈夫。

最後は太陽が膨張して巨大になって
地球が飲み込まれてしまうそうです。

50億年前に生まれ、50億年後になくなる

ちょうど折り返し地点。
ラッキーのてんこ盛りです。

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川本幸民。日本で初めて作ったのは、ビールとマッチとカメラ

江戸の理系力シリーズ、長くやってまいりましたが、一旦最終回とします。

川本幸民
かわもとこうみん 化学者 

わが兵庫県、三田藩の藩医として生まれた幸民
早いうちから抜きん出た才能をあわらし
参勤交代に伴って江戸に入府します。

江戸では蘭学者・坪井信道の塾に入門し、緒方洪庵らとともに蘭学を学びます。

大きく花開くかと思いましたが、大事件。
1836(天保7)年、刃傷事件を起こしてしまいます。
事の詳細は分かりませんが、殺しちゃったか、巻き込まれたか

数年間の謹慎蟄居を余儀なくされます。

1841(天保12)年に謹慎が解けると、
その数年後にのちの薩摩藩主・島津斉彬と知り合います。
出たっ。科学大好き斉彬
1853(嘉永6)年に薩摩藩に転籍します。
さあ、そうなると薩長です。新政府側です。
あれもこれもやらせてもらえる斉彬で、色んな事できて
そのまま明治維新になだれ込みます。

超ラッキーではありますが
反面、先程の謹慎もあり、
生涯で三度も大火に会い、その都度家を焼け出されているので
順風満帆な人生とは言いがたいかも。

マッチ
嘉永元年、幸民がある裕福な商家に往診に出かけた

その主人が
西洋にマッチというものがあって、擦っただけで火がつくらしい

ほう、そりゃまた素晴らしい。

どうじゃ、先生なら作れるんじゃないか
もし作れたら、五十両差し上げますぞ

幸民の実験の日々が始まります。
当時のマッチは材料に発火点の低い黄燐を使っていたため、製作は爆発の危険と隣り合わせでした。

負けるもんか

いよいよ完成。

見ていただけますかな

商人の前でマッチで着火
ぼわっ

おおおっ

ということで五十両

あっ、あれか
あれは冗談じゃ

いいえ、払っていただきます。

なんとか逃れようとする商人でしたが
この話がどんどん広まっていき
引っ込みがつかなくなって、泣く泣く五十両を支払いました。

化学新書
化学新書という本を、1861年に出版
宇田川榕菴の舎密開宗と並び江戸時代末期の代表的な化学書です。

ビール
この『化学新書』に、ビールの醸造方法が書かれています。
それも、とても詳しく。

幸民がビールを作ったということが、明確にどこかに書いてある訳ではないので
100%ではないんだけど
基本的に実験しながら書いているので
まず、日本で初めてビールを作ったことは確実です。

たとえば「上泡醸法」と「下泡醸法」では、発酵温度や仕込時間、貯蔵期間などが異なる事が書いてある
上泡醸法は今、イギリスのエールなどで行われている製法と同じで
下泡醸法は、ドイツ風ビール。こっちは当時まだ確立したばかりなのになんで分かったんだろう。

1853年のペリー来航で、ペリーがおみやげで持ってきたビールを真似た、とも思われるけど
それだけで、「上泡醸法」と「下泡醸法」の違いなんてところまで行くだろうか
謎です。

カメラ
カメラもおそらく最初。
多才過ぎてクラックラ来ますね。

1830年代フランスで発明されたとされるカメラをためしに作り、
日本で最初に撮影に成功した。
このことは、遠西奇器述(えんせいききじゅつ)に書かれています。

初期のカメラは、色んな方式があり
それぞれ一長一短あった。

自分が最初に開発してから10年後
咸臨丸の使節団の中に滞米中に写した複製写真を持ち帰った者がいた。
おっ、これは違う方式、湿板写真だな、とすぐに分かり
その湿板写真式カメラも作っちゃった。

その湿板で幸民が取った写真が2枚残っている。
一枚は自分を撮ったものだけど
もう一枚は、これ

川本秀子さん。
奥さんです。

苦労かけたね、って事でしょう。
奥さん、嬉しかったろうなあ。

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サルビアレウカンサ

花カレンダー始めました

宇田川榕庵。江戸時代に化学を究める

江戸の理系力シリーズ。
天文学、数学、医学、遺伝学、機械工学、博物学、本草学と進めてまいりました。
そういうと、化学って出てませんでしたね

江戸時代に、試験管とかフラスコとか無さそうだし、
いくらなんでも無理なのかな

いえいえ、どっこい

宇田川榕庵
うだがわようあん 化学者 1798-1846

江戸時代後期の津山藩(岡山県津山市)の藩医です。

元々は、大垣藩の藩医の息子
参勤交代制度のメリットだと思うんだけど
江戸に住んでいる、江戸詰め、と言います。
お父さんは、同じく江戸詰の藩医、宇田川玄随が師匠です。

息子さん、優秀ですね。養子にちょうだい。
はい、どうぞ。

ってことで、14歳で養子になったので、宇田川姓
岐阜から、あっという間に岡山です。

哥非乙(こうひい)説
化学者と言いつつ、他の事から話し始めるのは気が引けるのですが
色んなことやっています。

いっぱい本も出しているんですが、まずは19歳の時に出した本。
「哥非乙(こうひい)説」という本です。
コーヒーの産地、効用を説いたものです。
ハイカラですね
Coffeeの日本語表記である「珈琲」は、宇田川榕庵が最初。

喫茶店の珈琲館は宇田川榕庵を恩人と崇めないといけません

『西説菩多尼訶経』と『植物啓原』
ショメルの百科事典を読んだ宇田川榕庵はびっくり。

日本では、植物と言えば、観賞のための園芸として、より奇異なものを作り出すための品種改良
あるいは、本草学、すなわち薬草として有用なものを探す。

西洋には全く視点の違った植物の学問があるじゃないか

植物自体の構造や生理を探求する

物事には、それが形作られ、働きを持つさらに元となる仕組みがあったのか

分類や効用や改良は散々行ってきたけど
「植物学」と呼べるものに体系立てていくのは、榕庵からだと言って良い。

西説菩多尼訶経(ぼたにかきょう)って変な名前でしょう。
本が、お経のように折り本形式になっているから。
「菩多尼訶(ぼたにか)」というのは、ラテン語で植物学を意味するbotanicaからとっています。
何ともハイカラなお経があったものです。

その後、もっと本格的な植物学の『植学啓原』を出版しています。

榕庵の特色として、さっきの珈琲もそうだけど
現在の学問で使われている言葉を思いっきりいっぱい産み出している。
雌花、雄花、花柱、葯、柱頭などの訳語は全部、榕庵です。

舎密開宗
さあ、いよいよ化学ですよ。

物事のもう一つ元の研究という視点をおそらく日本人で初めて持った榕庵
化学に興味が向いていくのは当然の流れでしょう。

イギリスの化学者ウィリアム・ヘンリーが1799年に出版した Elements of Experimental Chemistry を
J・B・トロムスドルフ(de:Johann Bartholomäus Trommsdorff)がドイツ語に翻訳、増補した
Chemie für Dilettanten を、
さらにオランダの Adolf IJpeij がオランダ語に翻訳、増補した
Leidraad der Chemie voor Beginnennde Liefhebbers

うーんややこしい。
「それ」を読んで訳したのが「舎密開宗」(せいみかいそう)

日本の化学の夜明けでございます。
やりました。
イッヒリーベボクノフネですね

単純な翻訳ではなく、その他のあっちこっちの化学書から
あれやこれやを追記しているから
新たなオリジナルの化学書といっても良いくらいのもの

「舎密」とはオランダ語の「セーミ」に当て字をしたもので、開宗とは開くという意味。


さあ、ここで作り出した言葉は?

酸素、水素、窒素、炭素、白金といった元素名
元素、酸化、還元、溶解、分析といった化学用語
細胞、属といった生物学用語

すごいです。
何から何まで。

何と日本ではじめて、現在の化粧せっけんに近い石鹸を製造しています。

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トラディスカンタナ シラモンタナ(白絹姫)

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丹羽正伯。日本全部を元気にする方法。

江戸の理系力シリーズ

丹羽正伯
にわしょうはく 本草学 1691~1756

丹羽正伯は元禄4(1691)年、紀州藩領の伊勢松坂(三重県松坂市)に生まれます。

お父さんがお医者さんだったもので、あとを継ごうと、京都に行って修行
でも、だんだん興味が医学より、薬種の方に向いていきます。

稲生若水(いのうじゃくすい)に弟子入りします。

聞いたことある名前

貝原益軒も稲生若水に師事したんでした。

貝原益軒と丹羽正伯は生まれた年が61年も離れています。
本来出会うことのない二人。

ところが、貝原益軒は自分より25歳も若い、少年のような稲生若水に教えを乞い
丹羽正伯は36歳も年上の稲生若水の弟子となる

稲生若水を介して繋がるんですね
嬉しくなります。

稲生若水ってどんな人かというと、京都に生まれ京都で塾を開くんですが
加賀藩主、前田綱紀(つなのり)にとても気に入られ
飛び飛びで良いからこっちにも来てねと特別扱いで加賀藩に召し抱えられる。
京都と加賀を行ったり来たり。
そんな中で大書「庶物類纂」(しょぶつるいさん)に取り組む
何と362巻です。
びっくりしますね。362巻って
残念ながら、未完成のうちに生涯を閉じてしまいます。

吉宗に
時代が変わって、幕府にお世継ぎがいなかったので
紀州のお殿様が将軍に大出世
8代将軍、吉宗です。

地元大好きの吉宗は、地元から優秀な人材をピックアップ
植村政勝、野呂元丈、そして丹羽正伯

正伯は将軍に仕事を仰せつかったということで
単に学問をやっていれば良いという事にならなかった。

全ての学問は、みんなのためにあるわけだけど
もっと直接的に、全国民を元気にするという使命と仕事を賜る

必要な事を言ってみろ

そうですね
集めるだけじゃなく、育ててみたいです。

よっしゃ、土地を与える
好きなように使うが良い

与えられたのが、今の千葉県船橋に薬園台という地名があるんだけど、そこ
なななんと、30万坪

おそらく、そこに立って、吉宗の意図を感じたろう

分かっているな。お前にやって欲しい仕事はこういうレベルの事なんだ。

薬草を作って幕府に納める
それは、最低限の事だけど
「日本中を元気にする」ためにはそれだけじゃダメ
薬草を流通させて、普及させていく。

商人の力を借りよう
日本橋の薬種問屋、桐山太右衛門に協力してもらって
生産から販売までの仕組みを作っていく

行き渡ったとしても、使い方が分からないと宝の持ち腐れ
さらに、江戸だけじゃなく、全国がターゲットな訳だから
薬園台からの薬草が行き渡らないところまでなんとかしなければ

享保14(1729)年、林良適と協力し合って「普救類方」(ふきゅうるいほう)という本を書く
幕府が持っている医学薬学に関わる書物の中から
必要最低限の事をコンパクトに、誰でも分かるようなやさしい言葉でまとめ、格安の値段で販売
どこの地方でも入手可能な薬草と応急措置。
全国に普及させる。

前半は、体の部位ごと「頭之部」「面之部」「目之部」「鼻之部」みたいに
後半は症状ごと

例えば頭痛の対処法は
いたちささげを粉にして水にて溶き、こびんに付すべし
または、いたちささげを袋にして、枕にしてよし

家庭の医学、みたいな感じ

ネットで調べると、使い古してボロボロになったのが家にもありました、とか書いてあるので
よほどみんなに重宝がられたんだと思う。

享保16(1731)年から、冷夏とウンカという害虫の大量発生で、享保の大飢饉という大凶作になるんだけど
その時は、疫病が大流行したので、続編とも言うべき「救民薬方」を出す
どれだけの人が救われたことか。

まだ
これだけでも大天晴れだけど
正伯は満足しなかった。
享保の大飢饉で、バタバタと人が倒れていくのを目の当たりにしたからね

今後を考えると、もっと網羅的でもっと本格的なものを作らないと。
どうすれば良いだろう・・・

あーっ

吉宗へ
殿、お願いしたいしたいことがございます。
なんとか手に入れていただきたいものが・・

みなまで言うな
いつ言うて来るかと心待ちにしておったわ
もうすでにここに

と、殿ーーーっ

師匠、稲生若水の未完の大書「庶物類纂」362巻です。

何としてもこれを完成させるんだ
師匠、見ていてください

増補分638巻が完成
合わせると、実に1000巻にもなります。

膨大な仕事なので、もちろん自分一人ではないんです
どうしたか

今度は全国諸藩から、資料を提出させたんです。
どこでどういう薬草があるか
民間療法でどうしたら何にどう効くか

日本中を元気にするための仕事
日本中みんなで分担しようぜ

お陰で全国諸藩が医学や本草学に強く興味を持ち
それ以降優秀な人材がどんどん生まれることになります。

学者、政治
学者ってどうあるべきか、政治ってどうあるべきか
とても考えさせられます

一人でじゃなく、常に誰かに協力をあおぐ
一人でやった方が、「丹羽正伯の仕事」って手柄になるんでしょうが
そんなことしていたら、目的達成に時間がかかりすぎる。

「日本中」という視点で考えると
自ずとやることは違ってくるんでしょうね

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ゼフィランサス・シトリナ

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