[迷信]山には空を飛ぶ天狗が住んでいる

天狗
中国から入ってきた流星=天狗(てんぐ)のイメージ

真っ赤な、そして異様に長い鼻、大きなうちわを持ち、
白い装束に身を固め、空を飛んで現れてはあやしげな術を使う。
天狗といえばそんなイメージを抱く人も多いだろう。

このようなイメージができたのは平安時代以降だと考えられているが、
それ以前にも天狗は存在していた。

「日本書紀」には、中国発祥の話として、「流星」と記されている。
古代中国では星を「天の狗(いぬ)」と呼んで恐れていたと思われる。
司馬遷の「史記」にも、天狗について「狗(犬)が吠えるような音をたてて落下する流星」
と説明されている。

星が地上まで到達すれば、大きな被害をもたらす。
そのことから「天狗」という言葉には、空から飛来してくる不吉なことや、
禍々しいことのイメージがあったのだろう。

そのイメージが日本にそのまま入ってきて、
「日本書紀」の記述になったと考えられる。

日本人が思い描いた天狗は、空から石を降らせたり、
天狗火などを飛ばしたりすると考えられていた。

ここには、かつて空から飛来した流星への恐怖が重ね合わされていたのかもしれない。

山伏
最初はそんな存在だった天狗が、
なぜ現在のようなイメージとなって語り継がれるようになったのか。

それには、いくつかの考え方がある。
まずひとつは、天狗とは山で遭遇することから、
山の変わりやすい天候のことをさすのではないかという説。

天狗は木の葉を降らせるなど、
荒れた天気を思わせる描写がつきものなのもそれを裏づける

天気の急変へのおそれが、天狗伝説となって語り継がれているという考え方である。

また、昔は山奥で人知れず修行を積む修験者が多かった。
山の中でそんな、いわゆる山伏に出会った人が、
その格好を見て天狗という存在を生み出したとも考えられている。

たしかに、今でも地方の祭りで見られる山伏の格好は、
多くの人がイメージする天狗の姿とよく似ている。
山奥で人知れず修行に励む修験者の姿が、
人々にとって不気味な存在に見えたとても不自然ではない。

ムササビ
そして近年注目されているのが、天狗とは山に住む動物だという説。
もともと天狗は「天から飛来する犬」の比喩だった。

何かの理由で山奥に入った人間が、
たまたま出会った動物を天狗としてとらえたというわけだ。

ワシやタカ、カラスやトビではないかと考えられたこともあるが、
なかでも有力なのがムササビである

ムササビは本州、四国、九州に生息する哺乳動物で、
けっして珍しいものではない。

最大の特徴は、大きな翼のようなものを広げて木から木へ飛び移るという習性である。
たしかにその姿は、瞬時に居場所を変えて人々を惑わせる天狗を連想させる。

また、ムササビには、直径3ミリくらいの糞を木の上からバラパラと降らせるという習性がある。
これがあたかも天狗が降らせる木の葉のように思われたのかもしれない。

ちなみに夜行性なので、出会うとすれば夜である。そのこと神秘性を与えたのだろう。
京都の鞍馬山や東京の高尾山に伝わる天狗も、
やはりムササビではないかと考えられている。

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[迷信]行きはよくても帰りはこわい「とおりゃんせ」

「科学で読み解く迷信・言い伝え」の本から

とおりゃんせ
「とおりゃんせ、とおりゃんせ、ここはどこの細道じゃ」で始まるわらべ歌には、
もの悲しいメロディのせいか、あるいは少し不気味な歌詞のせいか、不穏なイメージがある。

とおりゃんせの歌詞を読み解くと、キーワードとして
「天神さまの細道」と「七つのお祝い」が浮かんでくる。

天神さまの道とは、福岡県の太宰府天満宮や東京の湯島天満宮などの
天神を祀った神社の参道のことで、七つのお祝いは七五三のこと。

つまり、七五三のお参りに天神様に行くというおめでたい情景を譲ったものなのだが、
では「行きはよいよい帰りはこわい」のはなぜなのだろうか

ここで注目したいのが、近代までの七五三が持つ意味である。

子供の成長を祝う年中行事として受け継がれてきたものだが、
5歳で行う男児のお祝いを「袴着(はかまぎ)」、
7歳で行う女児のお祝いは「帯解き」と呼ばれ、子供の着物から卒業する儀式だった。
江戸時代の平均寿命は30~40歳といわれており、乳幼児のうちに命を落とした者も多かった。

子供が無事に成長することがどれだけむずかしかったかは、
厚生労働省が公開しているデータからも明らかだ。

統計が公開されているもっとも古い年は1899(明治32)年で、
その年の乳児死亡率は15.38%である。
10人に1人以上の乳児が命を落としていた。
乳児とは生まれて1年以内の子供のことをさす。

2019年の同死亡率は1.9%であったことから考えても、
100年前の日本の子供は、今とは比較にならないほど死と隣り合わせといえる状況だった。

日照りや水害などの天災、それにともなう飢餓、日頃からの栄養事情の悪さ、
さらには疱瘡(天然痘)や麻疹などの致命傷となる疫病は、
体も小さく体力もない子供の命を簡単に奪ってしまう

そんな社会状況からなのか、「7歳までは神のうち」という言葉も生まれた。
7歳未満の子供はまだ人間ではなく神の子であるから、
いつ神のもとに帰ってもおかしくはないという意味だ。

「とおりゃんせ」で謳われている情景を思い浮かべてみれば、
七つのお祝いに天神様に参ったら、その帰り道で手を引く子供は人間の子である。

神の子であるその生も死も天命だが、
帰りの鳥居をくぐって神社を出れば、
その子に降りかかる厄災から守るのは家族の役目だ。

天神様、今までありがとうございました。
無事にここまで育ちました。
これからは私がこの子をなんとしても育ててまいります。

天災や疫病など、7つを過ぎても子供を取り巻く環境はじつに過酷。
7歳を迎えたのは「よい」のだが、その先の人生は「こわい」

「こわい」は「覚悟」
こわいながらも とおりゃんせ

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[迷信] ぬりかべと白米の意外な関係

ぬりかべ
水木しげるの漫画「ゲゲゲの鬼太郎」に登場するのでお馴染みでしょうか

のっぺりとしたに目や手足がついた姿がもっとも有名だが、
昔の絵巻などでは、家の壁に鼻があるものや、
三つ目の犬のような姿でも描かれている。

このぬりかべ誕生の背景には、日本人の食生活の変化がひそんでいる。

古代より日本人は、長い間、玄米が食事の中心だった。
私も今、玄米白米1対1で混ぜています。

白米は飛鳥時代頃に食べられるようになったが、
身分の高い人々だけが食べることのできるぜいたく品だった。

それが、江戸時代になって食生活が変化した
農業技術の進歩や新田開発が進んで、米の生産量が飛躍的に向上した

また流通システムの改善などにより、
江戸では多く白米が出回るようになった。
その結果、当初は武士だけが口にしていた白米を
庶民も食べるようになった。

このことは日本の社会を大きく変えた。
「江戸に行けは白米が食べられる」ということで、
地方から江戸に人々が押し寄せ、人口が集中するようになった。
1日に3度食事をする習慣もこの時期に始まったといわれる。

栄養不足
同時に奇妙な病気が流行し始めた。
足元がふらついたり、妙に怒りっぽくなったり、
ときには床にふせって離れられないといった病人が急増したのだ。

不思議なことに、江戸での生活をやめて地方に帰ると、
それらの症状は消える
この原因がわかったのは明治時代になってからだった
食生活の中心が玄米から白米に変わったことにより、
栄養不足が広まっていたのである。

白米は精米の過程で玄米についているヌカを取り去ったものだが、
白米ではビタミンB1やビタミンAがとれない。
ビタミンB1の欠乏は脚気、
ビタミンAの欠乏は夜盲症などの病気を起こした

その両方の症状が重なると、
夜には前が見えにくくなり、足元もおぼつかないので、
目の前に壁が立ちはだかっているように思える。
自分の身に何が起こったのかわからない恐怖もあって
ぬりかべという妖怪が生まれたのだ。

ちなみに、白米100グラムに含まれるビタミンB1は0・1グラム、
玄米は0.5グラムであるのに対し、
米ぬかは2・5グラムもあるだから江戸を離れて地方に帰り、
昔ながらの玄米や野菜中心の食生活に戻ると
自然と回復した。

脚気は現在ではそれほど恐れる病気ではないが
昔は死に至る病気で
江戸に行くとかかるので「江戸患い」と呼ばれていた

14代将軍家茂(いえもち)は脚気で亡くなっている
家茂はぬりかべに立ちはだかれたことになる

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[迷信]山で急に動けなくなるのは 妖怪のせい

<spanstyle=”font-size:18pt;”>山で急に動けなくなるのは妖怪のせい
日本人は生活にまつわるさまざまな出来事を妖怪のしわざだとして受け止めてきた。

そのひとつにヒダル神がいる。

長旅の途中の旅人や、山を越える途中の人が激しい疲労感や空腹感に襲われて動けなくなり、
最悪の場合は命を落とす。
その悲劇は、人々の間で「ヒダル神に取り憑かれたせいだ」とされてきた。

ヒダル神は西日本を中心に伝承されている、妖怪の一種。
地方によってダラシ、ダル、ダリなど呼び方は違うが、
人間を行き倒れさせるという点では同じ妖怪だ。

やせこけた体にふくれ上がったお腹、ぎょろぎょろと際立つ目、
そのイメージは古くから絵や物語に描かれてきた。

旅の移動手段が徒歩だった時代には、
途中で行き倒れて命を落とす人はけっして珍しくなかった。
ヒダル神は旅人の間で恐れられてきた存在だった。

ヒダル神に憑かれたという人は、急な疲労感や空腹感に襲われる。
そのせいで立っていられなくなったり動けなくなったりする。

文献などで描写されているこの状態は、低血糖状態とすれば説明がつく。

長時間歩き続けることは、体に軽度の負担をかけ続け
有酸素運動にあたる。

有酸素運動の際は、血液中にある糖質がエネルギーに変わり、
それが足りなくなれば脂肪が分解されてエネルギーに変わる。

ただし、脂肪の分解には少し時間がかかるため、
血中の糖質が少ないと補給が間に合わずにエネルギーが枯渇してしまう。

これが低血糖になるメカニズムであり、
空腹で歩き続けると低血糖を起こしやすい。

低血糖を起こさずに歩き続けるためには、
糖質を含んだ食べ物をこまめに口にする必要があるが、
現在のように数多くのコンビニやスーパーがなかった時代は、
空腹を感じたからといってすぐに食べることはできないし、
歩みを止めれば日が暮れてしまう。

昔の旅人にとっては、多少の空腹で歩き続けることはごく当たり前のことだったはずだ。

旅装に身を包んで山谷を越え街道を歩く昔の旅の様子は
牧歌的にも思えるが、人知れずヒダル神に出会って命を落とす危険もあった。

この危険を人々は妖怪の姿で記して、
空腹を我慢しすぎ低血糖におちいらないように広く戒めたのだろう