[植木等]6 青島幸男と言います。

[植木等] 物語の始まり
[植木等]2 小学生が檀家を回ってお経
[植木等]3 いたんだねえ。あいつが
[植木等]4 コミックバンド?へえ、そう
[植木等]5 クレージーな猫たち完成
の続きです。

クレージーキャッツ始動
植木等が昭和32年に加盟してクレージーキャッツも少しずつ仕事が増えてきた。
植木は32歳。とても分かりやすい。
植木は昭和と共に生まれたから、昭和の何年かがすなわち植木の年齢。

クレージーキャッツの定番ネタ「枯葉」

(植木等)
♪枯葉よー 枯葉よー
(ハナ肇)
ひらひらと散っていく一枚の枯葉。一枚が二枚、二枚が四枚、四枚が八枚
八枚が十六枚、十六枚が三十二枚・・
(植木等)
はいおし「まい」

基本、こういった他愛もないものだけど
笑いって、そもそも理屈どうのこうのより
誰がどういうシチュエーションでどういう言い方するか
というような事の方が大事なんだろうなあ

植木等って小学生の時に、お父さんに換わって檀家を回っていたくらいだから
肝が据わっている
どんな舞台だろうが一度もアガったことがないらしい

例えば日劇のステージ
何かの歌を歌っているとき、間奏終わって二番を歌おうと思ったら歌詞が出てこないのね
とっさにメロディに乗せて、口上なんて言ったりして
本日はお忙しい中、クレージーキャッツのショウを見に来ていただいてありがとうございます。
実は、この曲、今日はじめてで二番を覚えておりません。
従って、三番から歌います。
ところが、三番の歌詞も全く思い出せない。
いいや、ってんで、もう一回一番歌って終わらせちゃいました。

渡辺プロは芸能プロダクションとしてははじめて、給料制を採用
タレントを使い捨てではなくて長く育てて行こうという考え。
クレージーキャッツとしても仕事は選り好みできなくて、何でも挑戦していく事になる

もともと浮き沈みのある仕事だから、
仕事のないときは、給料の資金を用意するのに四苦八苦。

渡辺プロの渡辺晋の奥さんで共同経営者の美佐
お金をつくるために主人はポーカーをやって稼いだり、
私の実家に借りに行ってたわ。
借金に行く時、主人は必ずハナちゃんを連れて行くの。
面白い話をして、充分に笑わせたところで、
すみません、こいつに払う金がないんですねと切り出す。
両親は主人とハナちゃんが玄関に立つと、
また金がなくなったのかとがっくりしたそうです

昭和33年。ジャズブームが過ぎ、ロカビリーブームがやって来る。
クレージーキャッツの所属する渡辺プロもそれなりに潤ってくる

おとなの漫画
皇太子と美智子妃の結婚祝賀パレードを機に、一気にテレビが普及した昭和34年
フジテレビが開局
同時に始まったのが、おとなの漫画という帯番組
クレージーキャッツの初のレギュラー番組。
その日の朝刊のネタをもとに、お昼に5分間、コントをやるというもの
ちょっとしか時間がないのに、台本作りから打ち合わせからリハーサルまで
録画技術がまだないので、毎日毎日生放送

当時の売れっ子のライター、キノトール、三木鮎郎、永六輔が狩り出された
補欠として、もうひとり

ところがもう始まっているというのに、基本方針が何から何まで決まっていない。
三人の売れっ子ライターが全員逃げ出しちゃった。

補欠が一人で台本を書いている

ホンはどこ?

なかなか思い付かなくて

何を呑気な事言ってんだよ

呑気とかじゃなく事実を言っています。

良い度胸してんな
見慣れない顔だけど、お前は誰?

青島幸男と言います。

毎日が戦争になった。
結局リハーサル的なことの余裕はなく、毎日がぶっつけ本番

青島幸男は大奮闘
でも、もう無理ーって日もある
そんなときはピンチヒッターの登場
TBSの音楽番組担当ディレクターの砂田実もその一人

フジテレビの番組をTBSのスタッフが手伝うという無茶苦茶な話

配役は全てハナが決めるの
学校の先生だの警察官だの
だいたい一人とんでもない奴がいるのね
酔っぱらいだったり、無責任な男だったり
不思議と全てそれを俺に回してくるんだよなあ

ハナは気配りの人
先ほどのTBSの砂田が書けなくてウーンと唸っていた時も
砂ちゃん大丈夫だよ。いざとなったら洗面器降らしときゃなんとかなるんだから

ハナを悪く言う奴は一人もいなかったよ
ガキ大将みたいなところはあったけど
みんなのために一生懸命やってくれていることは分かっていたからね
リーダーらしいリーダーだったよ

ブレイク
そして、昭和36年。
ブレイクする時がやってくる

6月4日。「モーッ」という牛の鳴き声から始まった。

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[植木等]5 クレージーな猫たち完成

[植木等] 物語の始まり
[植木等]2 小学生が檀家を回ってお経
[植木等]3 いたんだねえ。あいつが
[植木等]4 コミックバンド?へえ、そう
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シティスリッカーズ
フランキー堺がシティスリッカーズというコミックバンドを作ったんだけど
ギターに抜けられて困っちゃっていると言う

とにかく一回見に来るだけと言われて行った。
そこで、谷啓と桜井センリがいた。

フランキー堺が、
ありがとう。頼む。

急に日劇のステージにあげらされた。
譜面はどこにあるか分からない
仕方ないので、弾いている振り

だんだん飽きてきた
何だか手招きされる
何の意味だろう
どうせ一日限りの他人のバンド。どうでもいいや。
横にあったマラカスを持って前に出て、デタラメな歌を歌ってみた。

シャバダバタ ウー

バンドのメンバーもお客さんも大爆笑

いやあ、助かったよ。ぜひ来てくれよ。

すみません。自分のバンドがあるもんですから。

そちらを解散して、メンバーが全て行き先が決まるまで待つから、頼む

そこまで言うならと、入ることにした。
真面目なジャズからコミックバンドへの転身
それも意外にすんなり行った。

もともと人を楽しませるのは好きだったしね
谷啓と出会って友達になれたのが、何よりも大きかった。

シティスリッカーズは、越路吹雪やペギー葉山などの前座バンドとして
日劇に出ていた。

食うには困らず、少しずつ生活も上向いて行った。

お父さんが、家を買うから金を出せ、と言ってきた。
お母さんに先立たれたので寂しくなり、一緒に住もうと思ったらしい。

いくら?って聞いたら、70万円だって。
そんなにある訳ないだろう。

いくら貯金があるんだと聞いたから
6万円

何だたったそれだけしかないのか

じゃあ、親父は貯金いくらなんだよ

そんなの一銭もある訳ないだろう

結局何とか70万円を工面してその家に家族で住むことになった。
後日談だが、数年後、植木がテレビに出るようになり、人気が出ると
ファンがやって来るようになった。
煩わしいと思ったお父さんは、勝手に家を売っちゃった。
売れたのが420万円
たった数年で、350万円儲かった。

シティスリッカーズは他のバンドと一緒に地方回りもした。
良く一緒になるバンドが「シックスジョーズ」
渡辺晋がそのバンドのベースマンだった。

シティスリッカーズの演奏の時、決まって渡辺晋が一番前で見て大笑い

良く同じネタで毎回毎回大笑いできるなあ

そんな渡辺晋はマネージャーの曲直瀬(まなせ)美佐と結婚する。
3年間プロポーズし続けての結果だった。

関西で松竹芸能を立ち上げた勝さんに
僕はお笑いとかをやるから
晋さんは東京でジャズとかのプロダクションをやればいいのに。

渡辺晋と美佐が、芸能界というものを確立した渡辺プロダクションをスタートさせる

一方その頃、ハナ肇は、浜口庫之助の子飼いのバンドでドラムを叩いていた。
ところが正月いっぱいで解散、ってことになったから
自分でバンドを立ち上げた。
「ハナ肇とキューバンキャッツ」
メンバーは以下の通り

ドラム ハナ肇
ベース 犬塚弘
クラリネット 萩原哲晶
ピアノ 橋本光雄
テナーサックス 稲垣次郎
ヴォーカル 南晴子と筑波礼子

ある日、渡辺晋が、植木等と谷啓に言った。

ハナちゃんが、コミックバンドを組んだんだけど入らないか

「ハナ肇とキューバンキャッツ」は渡辺プロに所属していた。
そもそも渡辺プロに所属していたのは、
渡辺晋自体のシックスジョーズとキューバンキャッツの2組だけだった

ともかく一回見に来いよ

しつこく誘われて、植木等と谷啓は見に行った

ステージが終わって、谷啓に聞いた

おい、どうする?

う~ん。行こうかな。

えっ。

すんなりは行かなかった。
シティスリッカーズの所属事務所は、やくざまがいだった。

おまえたち、抜けるってことは無いよな

はい。とんでもないです。

植木は軽く答えたが
谷啓はそう言われるとむしろ反発して、とっとと移ってしまった。

おい、植木、いつ来るんだよ。

分かってる、もうちょっとだけ待ってくれ

何度も引き延ばし、とうとう一年

その間、キューバンキャッツは、なぜかクレージーキャッツと名前を変えていた。

メンバーも、数人入れ替わっており、植木等が加わった段階でのメンバーは

ドラム ハナ肇
ギター、ヴォーカル 植木等
トロンボーン 谷啓
ベース 犬塚弘
ピアノ 石橋エータロー
テナーサックス、クラリネット 安田伸

後に、石橋エータローが体を壊して、1年間休養
代わりに入ったのが、シティスリッカーズにいた桜井センリ
1年後、石橋エータローが復活した時、桜井センリもそのまま残留
ピアノが二人という不思議な形

それまで、色んなバンドを渡り歩いてきたメンバーたちだが
クレージーキャッツになってからは全く入れ替わっていない。
こんなに長く入れ替わりのないバンドはそうそうない。
さらに言うと、クレージーキャッツはいまだに解散していないのだ。

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[植木等]4 コミックバンド?へえ、そう

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ハナ肇

ハナ肇との出会い

がさつだけど、親分肌のいい奴だったよ。
ハナは、初対面の時から僕には何でも話したね

14~5歳の時、こんな事があったんだって。
外に出たら寒かったので
「お袋、マフラー」って言った
聞き間違えて、お母さんが枕を持ってきた。
何だよこれ、って枕を投げつけたら
運悪く父親に見られ
こっぴどくぶん殴られた。
あんまり痛いもんで、その場でうんこ漏らしちゃったんだって。

翌年、川崎登美子さんと結婚。
その年の秋、植木の歌が初めて電波に乗った。
NHKのラジオ番組

奥さんとお父さんに良いとこ見せようと、スタジオに呼んだ

それでは、植木さんどうぞ。

すると、スタジオの隅に座っていたお父さんが、すっくと立ち上がった。

これにはビックリしたねえ。

自分が呼ばれたような気がしたんだって。
自分も植木さんだからね。

芸能の道を進み始めた植木だったが、あとが続かない。
ハナとやっているボーヤの仕事だって食っていける訳ではない。

天性のポジティブな性格と、貧乏になれている植木はそんなことではめげない。

子供が生まれるってことになって
歌だけじゃ厳しいなあ
そうだ。楽器を練習しよう。

選んだのはギター。
簡単そうだったから。
友達から、10回の分割払いでギターを買った。

その頃同じような理由で、ハナはドラムの練習を始めていた。

全くの自己流だったけど、
センスがあったんでしょう。
メキメキ上達し
二年後には、スイングジャーナルで新人ギタリストとして紹介されるまでになる。

そんな植木の前に、本格的に歌を教えてあげる、って人が現れる。
芸大の声楽科を出た、平山美智子さん

あなたは声が良いからちゃんと勉強すれば良い歌手になる。

ボイストレーニングってやつ

人の声は頭蓋骨の中で響いて出てくるんだけど
人それぞれ響く場所が違うの
その場所を意識しながら声を出すのよ。

言われるがままに、アーとかウーとか声を出すんだけど
頭蓋骨のどこで響いているかなんてわかりっこないよ

でも、基本的に真面目な植木は一生懸命練習する。

転機が訪れる。

楽譜が読めて、安いギタリストを探しているという
植木は平山のお陰で、楽譜も読めるようになっていた。

オーディションに出掛けていくと
8人編成の「デュークオクテット」というバンドだった。
率いるのは萩原哲晶(はぎわらひろあき)
後に青島幸男と組んでヒットを連発する。

すんなりOKになる

驚いたのは、あいつがいたこと。

なんでお前がいるんだよ

知らねえのか。
このバンドのドラマーは俺さ。

相変わらず偉そうに。
うんこ漏らしたくせにね。

進駐軍のクラブを回る日々

演奏は良いんだけど、それだけじゃ間が持たないから喋るんだけど
日本語が全く通じない。

進駐軍回りで知り合いになった、曲直瀬美佐(まなせみさ)に英語を教えてもらった。
美佐は後に渡邊晋と結婚し、共に「渡辺プロダクション」を立ち上げる事になる。

萩原哲晶、通称デクさんは、とても変わった人だった。

ある日、ストーブのそばで新聞を読んでいたら新聞に火が燃え移った。
さらに、オーバーコートにまで
でもそのまま、新聞を読んでいる。

デクさん、火ついてますっ

知ってますよ

また、ある時、崖の前に前向きに車を止めていて、車を出した。
車と共に消える

ギアをバックに入れちゃったみたいですね。

二年ほどたって、ジャズが一大ブームとなる
にもかかわらず、デュークオクテットが突然解散する日がやって来る。

みなさん、話があります。
今月いっぱいで私は辞めようと思います。
あとはみなさんでよろしくやってください。

メンバーだったらそれもあるだろうけど、リーダーですよ。
みんな開いた口が塞がらなかった。

メンバーはバラバラになった。

植木は「ニューサウンズ」というトリオバンドを組んだ。
小さいが自分がリーダーの初めてのバンド。

他のメンバーも食うに困る事はなかった。
ジャズのブームで食っていく位は何とかなった。

ただ、暮らし向きが良くなるところまでは行かなかった。
四畳半で5人で暮らした。

翌年、お母さんが亡くなる。

一番の後悔だね。
お袋には、苦労ばかりかけて
売れる前に亡くなっちゃったからね。
何度考えてもそれだけが悔しいよ。

さらに翌年、ハナから

フランキー堺のバンドで、ギターがいなくて困ってるらしいんだよ。
ちょっと顔出してやってくれないか

俺は今、自分でバンドをやってるんだよ

いいからいいから

ホントに顔だけ出すつもりで行った。

シティスリッカーズという名のコミックバンドだった。

コミックバンド?
音楽と笑いを融合するんだと。

へえ、そう。

今一つ実感が沸かなかったが
その考え方に引かれて、既に名の通ったトロンボーン奏者が
自分のバンドを辞めて参加したという。

谷啓との出会いだった。
ピアニスト、桜井千里もいた。

続きは、シリーズの次回ね。

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[植木等]3 いたんだねえ。あいつが。

[植木等] 物語の始まり
[植木等]2 小学生が檀家を回ってお経
の続きです。

真浄寺
植木等が修行に入ったのが、本郷の真浄寺
住職の寺田慧眼はヒューマニストでとても優しい
ただ、先輩の坊主たちは新入りに辛く当たった。

へまやると先輩にぶん殴られる。
ぼんやりしてたら殴られるし、ぼんやりしてなくても殴られる。
なんでもかんでも殴られる

でも、卑屈になることはなく、素直な性格はそのままで、5年の修行を終える。

大学時代
お父さんの徹誠がようやく出獄
ミキモト時代の知人に呼ばれて東京に出てきた。
等は、東洋大学を受験して合格

5年ぶりに家族と暮らす家は、西新井のお大師さん辺りの借家だった。

東洋大学では、陸上部に入った。
足の速さは、父譲りで自信があった

ただ、これだけでは飽きたらない
色々メンバーを集めて、軽音楽同好会を作った。

さあ、「植木等」の第一歩

自分のパートはボーカル
ピアノやアコーディオンのメンバーを集めた。

レパートリーは、ラジオ歌謡に軍歌、シャンソンにタンゴ等々何でもござれ。
「ラ・クンパルシータ」や「枯葉」を日本語で歌っていた

それで、都内に三ヵ所あった軍需工場に慰問に行くわけ。
これが、女工さんたちからもてたのなんのって
やっぱり坊主の仕事って面白く無さそうだったし
楽しく人生をおくれた方が良いよな、って漠然と思った。

ただ、すんなりは行かなかった。
昭和20年3月10日、東京大空襲
植木家も丸焼けになり、焼け出される。

まあ、生きてれば何とかなるから。
等が、母や妹を励ます。

大空襲から2ヶ月がたった5月
等は北海道に狩り出される
「援農」ってやつ
近所の人が、もう会えないかも知れないと、送別会をやってくれた。
女っ気がないのはさみしいと、女の子も数人呼んで。

北海道に、その内の一人から手紙が届いた。

今そちらはどうですか。何をされていますか。

川崎という娘
後に、等の奥さんになる

北海道で3ヶ月がたった時
ラジオから、雑音だらけで聞き取りにくい声が聞こえた。

これからどんな時代になるのか
多くの日本人がそうだったように
等にも皆目見当がつかなかった。

芸能界
翌年の昭和21年1月、テイチクレコード本社で新人歌手コンテストが開催された。
敗戦後1年経っていない訳です。
すごいですよね、このバイタリティ。
新人歌手コンテストをやりますか。

1500人も応募があった。
等も応募して、オーソレミヨを日本語で歌った。男の純情と。
4人が合格。
等も見事にその中に。

君には、先輩歌手の前座で歌ってもらおうと思う。

それは無理ですね

えっ、なんで?

学校行かないといけませんから。

何だとぉ。何しに来たんじゃあ。

それで、自分は必要とされていると分かったのね
自分は本当に歌がうまいのかも知れないって。

歌で食っていきたいと思った。

父親に話す。

生意気言うんじゃねえ
と、殴られた。

父が若いとき同じことがあって
義太夫のプロになりたかった。
思いきり反対されて断念した。
全く同じ言い方

殴られたけど、それで終わった。

大変だったのはお母さんの方だった。
寺に修行に出し、自分の寺を継いでもらえると思っていた。
仏教の大学にも合格したのが嬉しかった。

ご先祖様に申し訳がたちません
と、泣き崩れる。

真浄寺の住職さんも思いきり反対
あなたは何のために辛い修行に耐えてきたの。

父は断念したけど、等は断念しなかった。

そんな等の耳に、海の向こうから心地よい音楽が届く。
ジャズ

ボーヤ
ボーヤ(バンドボーイの俗称)を探しているという噂を聞きつけて「刀根勝美楽団」を訪ねた

そこに、いたんだねえ。

ボーヤの先輩。

俺の言うことを聞けよ。絶対間違いないんだから
とエラソーに

何なんだこいつは。
歳を聞いてみたら、自分より3つも年下。
ぶんなぐってやろうかと思ったよ。

野々山定夫
後のハナ肇だった

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