[歳時記]10/10 ファーブル死去。『昆虫記』を出したときにはすでに80歳を越えていた

10/10で二つ目です。

10/10
「ファーブル死去」

『昆虫記』でおなじみのフランスの昆虫学者アンリー・ファーブルは、
1915年のこの日に亡くなった。

彼は大器晩成型の見本のような存在といっていい。
はじめ中学校で数学と物理を教えていたファーブルが、
昆虫の研究を始めたのは30歳をすぎてから。

その研究熱心さは人並みはずれていた。
人目も構わずに畑の真ん中で腹ばいになったり、地面に身をかがめたり、
拡大鏡を取り出しては一心不乱に昆虫を観察していた。

ちょっと、危ない人ね
良い?あの人には近づいちゃダメよ

奥さん方は、子供にそう言った事でしょう。

そんな努力が報われたのは、1910年に『昆虫記』第10巻が完成してから。
彼の名はたちまち世界じゅうに知れわたり、
ロマン・ロランやメーテルリンクなどの有名人までもが『昆虫記』のファンになった。

このとき、すでに80歳を越えていた。

彼が貧乏だと聞いて為替を送ってくる市民も多かったが、
無欲なファーブルは、それらの金を送り返したり、貧しい人びとに配ったという。

昆虫記
子供の頃、夢中で読みました。
昆虫には、全く興味なかったんですが
そんな私にも、昆虫記はダントツに面白い本だった

フンコロガシ
そのような昆虫は見た事もなかったけど
執念とも言えるような観察力にグイグイ引き込まれていった。

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[歳時記]10/10 缶詰の日。任せとけっ

10/10
10月10日「缶詰の日」

家庭の食卓に欠かせない便利な缶詰。
日本缶詰協会では、 1987(昭和6)年に毎年10月10日を「缶詰の日」に制定した。
これは、 1877(明治10)年10月10日に北海道開拓使が、
石狩町に日本ではじめて鮭の缶詰を量産する工場を開いたことを記念したもの。
この工場を皮切りに、北海道には5ヵ所の缶詰工場が建設され、
魚類の缶詰を製造するとともに全国から研修生を募集して、
技術を広めていった。

缶詰の誕生自体はもう少し古い。
1871(明治4)年、長崎の外国語学校である広運館の司長として勤めていた松田雅典という人物が、
お雇い教師のフランス人レオン・デュリーから
イワシの油づけ缶詰をごちそうしてもらったとき、
そのおいしさに感動したという。
そこで、製造法を伝授してもらい、自分でも試作した。
これが、日本初の缶詰である。

その後、松田は明治10年に缶詰業の必要性を長崎県庁の北島秀朝に説き、
缶詰試験場の設置を願い出た。
現在、その試験場跡には、「日本缶詰発祥之地」という碑が建てられている。

缶詰
不思議ですよね、缶詰
なんで腐らないの?
ずっと疑問に思っておりました。

調べて見ると、製造過程の順番の問題らしいです。

缶詰の製造工程では、缶を密封した後に加熱殺菌によって、
缶詰内にある食品の腐敗の原因となる腐敗菌を殺滅している。
この「密閉した後に殺菌」という流れが重要なポイント

殺菌した時点では既に密封されているため、缶の中に雑菌が入ることができないのです。
「殺菌してから密封」では、
「殺菌」と「密封」の間に腐敗菌が缶の中に入り込む可能性があるので、大きな違いです。

ちなみに、食中毒をおこす原因の細菌で「最強」と呼ばれているものは、ボツリヌス菌。
ボツリヌス菌の胞子は熱に強いため、
120℃4分間(あるいは100℃6時間)以上の加熱をしなければ完全に死滅しません。
そのため、通常缶詰は「120℃4分間」の殺菌を行っています。
偉いぞ、缶詰

先週末、賞味期限が2018年の鯖の水煮缶が見つかりました。
そういうときは、私の出番です。

缶詰に限らず、賞味期限切れのものや
カレーが腐りかけていてちょっと危ないなんて時は、
任せとけっ

我が家の中で、この時ばかりは頼りになる存在となります。

ほとんどの時は大丈夫。
たまぁに、その日の晩にお腹を下しておトイレに起きることになります。

でも、おトイレの中で数分頑張ればスッキリ解決

こうやって腸内細菌に試練を与え、鍛えてありますので
病気なしです。

鯖の水煮缶は、チャンチャン焼きにして食べました。
美味しかったです。

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[歳時記]10/8 入れ歯デー。入れ歯の神様申し訳ございません。

10/8

全国保険医団体連合会などは、1992(平成4)年に10月8日を
「入れ歯デー」に制定した
「保険でよい入れ歯を運動」の一環として設けられた記念日で、
この日になったのは、10月8日の1、0、8を「入れ歯」と読む語呂合わせ。

入れ歯の歴史は古く、紀元前4~5世紀頃に古代エトルリア人が、
ウシの歯を利用した義歯を使っていたと考えられている。
これらは、切歯と側切歯の役割をさせたものらしい。

エトルリア人の行動から、そのほかにもエジプト、ギリシャ、アッシリア、インド、中国などで
同じような義歯があったと考えられている。
これらはいずれも、今日で言えばブリッジに相当する義歯だったようだ。

本格的な総入れ歯はひょっとすると日本が最初
現存する最古の総入れ歯は、1538(天文7)年に死去した仏姫が使用した、
柘植製の木床づくりの上あご用のもの。

なんと室町時代でございます。
イッコーさんは総入れ歯、と覚えましょう
(覚えなくていいっ)

床(しょう)を顎の粘膜に接若させる方法で、
木製であることを除けば、現在の総入れ歯と機能はほとんど同じだ。

ほかにも、羽間弥次兵衛の下あごの総入れ歯や
柳生宗冬の上下あごの総入れ歯などが発見されている。

これらは、17世紀中ごろにつくられたものと考えられている。

ヨーロッパで総入れ歯が実用化されたのは、
これから100年以上たった1800年頃だといわれている。

勝った!

近世歯学の父と呼ばれるフランス人ピエール・フォーシャルが、
現代のものに近い総入れ歯を考案した。

これが広まって、本格的に総入れ歯が使われるようになったようである。

懺悔
入れ歯の話題は、私は穴があったら入りたくなります。
懺悔致します。

10年くらい前になるでしょうか
上の奥歯が2本ずつ無くなったタイミングだったかなあ、と思います。
奥歯用の入れ歯を作り、パカッとはめる感じ

ところが、はめると違和感があるというか痛いというか
どうにも耐えられなくなって、1日たたずに途中で外すと言うこともしばしば
合わなければ直します、と言われても
調整して直るというレベルではなく
とうとう全くつけなくなって、今に至ります。

辛抱のできない、あかんたれでございます。
どこかで入れ歯の神様にお会いしたら
誠心誠意謝る所存でございます。
申し訳ございません。

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[歳時記]10/1 赤い羽根共同募金スタート

おもしろ歳時記シリーズ、10月1日の2つ目は赤い羽根共同募金

10/1
赤い羽根共同募金は、毎年10月1日から1ヵ月間行なわれる。

その第1回は1947(昭和2)年に行なわれた。
街頭募金で 「赤い羽根」をエリに差すのは、受領証代わりに考えられたものだが、
第1回で使われたのは稲穂をあしらった金属バッジだった。

しかし、コストがかかるうえに、金属は統制物資で貴重であり、
しかもピンが人の指を刺す危険性があることなどから、
評判がよくなかった。そんなときに、アメリカのカタログに赤い羽根があることを知り、
これを代わりに採用することにした。

もともとアメリカやヨーロッパでは、赤い羽根は勇気をあらわす象徴で、
1946年には全米共同募金会議が「赤い羽根」をシンボルマークにすると決定していた。

こうして日本でも赤い羽根が使われるようになったわけだが、
当初は「いい大人がそんなものはつけられない」とか
「吹けば飛ぶ羽は縁起が悪い」「赤は日本人の好みに合わない」といった反発もあった。
それでも、次第に定着し、いまでは共同募金と赤い羽根は、
切っても切れない関係になっている。

日本での始まりって、GHQの指示だったそうです。
GHQって色んなことに関わってたんですね

私の中では赤い羽根見ると、就職活動ってイメージ
それまでの大学生活とはうってかわって、身だしなみをきっちり整えて
スーツには赤い羽根
おおっ、今年も頑張っているな若者よ、
って感じ

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