[歳時記]5/9 アイスクリームの日

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夏はもちろん、最近では一年じゅう食べられているアイスクリーム。

このアイスクリームが日本ではじめて販売されたのは、1869(明治2)年5月9日のこと。

町田房造という人が、横浜の馬車道通りに氷水店を開店。
アメリカで学んだ製氷技術をいかして
「あいすくりん」というネーミングで売り出したとされている。

そういうと、子供の頃、海水浴場に「アイスクリン」というのぼりを立てて
売りに来ているおじさんがいた。
シャリシャリっとしたシャーベット的なので美味しかったなあ

そうか、あの人が町田房造さんか

これを記念して、社団法人日本アイスクリーム協会は、
1964(昭和3)年にこの日を「アイスクリームの日」に制定した。

だが、町田が氷水店を開いたのは旧暦の6月で、新暦の7月のことだったともいわれている。
あれれ?
でも、7月ではPRには遅すぎるため、
「アイスクリームの日」を7月ではなく、5月にしたという一説もある。

発売当初のアイスクリームの値段は、女子工員の給料10日分もする超高級品であり、
庶民には高嶺の花だった。

そのため、なかなか売れず、町田の氷水店は一時閉店に陥ったという。

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[歳時記]5/6 エスカレーターが登場

おもしろ歳時記から

5/6
デパートや駅などでおなじみのエスカレーターは、
1889年のこの日、パリの万国博覧会会場に登場した。

原理的にはそれより前に坂道が動くものはありました。
動く坂道に横から飛び乗る危険なもの

階段が動くように改良され、正面から乗れる。

実用化されたのはもう少しあとで、
1896年、ニューヨークのコニーアイランドの埠頭に設置されたもの。
実業家のジェシー・W・レノが特許を取ったこのエスカレーターは、
足を乗せる部分が木製で、手すりはゴム製だった。
原理は、いまのエスカレーターとほとんど同じで、「動く階段」として大人気となった。

とはいうものの、慣れない人にとってはやはりこわかったのだろう。
1898年にロンドンの百貨店ハロッズにエスカレーターが設置されたが、
これに乗って気分が悪くなった人のために気つけ用のブランデーが用意されたという。

日本で初めて
日本で初めては?
はいっ。任せてください。

上野公園のウォーキングイベントの時も説明しました。
これ

1914(大正3)年3月、東京・上野公園で開催された
「大正博覧会」会場に設けられたもの。
長さ10m
上野公園内は急坂ですから
1回乗ると10銭です。

あまりに大人気になったので早速実用化
同じ年に東京、日本橋の三越百貨店本店に設置されたものが第1号だった。

デビュー当時には相当の話題を呼んだものと思われますが、
残念なことにわずか9年後の1923年、関東大震災によって焼失をしてしまいました。
ちなみに日本初の電動式エレベーターが設置された「凌雲閣」も、
関東大震災で受けた被害がもととなってとりこわされており、
日本におけるエレベーターとエスカレーターの歴史的建造物は、
ともに同じ年に失われたことになります。

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[歳時記]5/5 子供の日。大切なこと

おもしろ歳時記から

5/5


5月5日は「子どもの日」。
男女を問わず「子どもの人格を重んじ、子どもの幸福をはかる」
目的で制定された国民の祝日だ。

一番分かりやすい祝日と言えるでしょう

男女を問わず、ではありますがこの日に鯉のぼりを立てたり、
武者人形を飾る風習があるために、どちらかというと「男の子の祭日」のイメージが強い。

女の子の祭日として、3月3日の「ひな祭り」があることも、
こうしたイメージをさらに強くしているようだ。

ところが、5月5日のルーツをたどれば、あらびっくり
意外にも女性のための日だった

旧暦の5月は田植えの月。
その5日に、田植えがうまくいくようにと、女性が「田の神」の使いとなって、
家にこもる風習が昔の日本にはあった。

この日は、女性たちは炊事や洗濯をすべて男たちに任せて、
自分たちは身を清めて日じゅう静かにしていたという。
つまり、女性の休日だったわけだ。

イメージ的には母の日に近いでしょうか

そんな5月5日が変化したのは、武家社会になってから。
中国では、5月5日を五節句のひとつ「端午の節句」とする風習があった。

これに武士の風習が加わり、男子の無事と成長を祝う行事となった。

この日を中心に、 やぶさめなどの勇ましい行事が盛んに行なわれるようになり、
また、「菖蒲」の花と 「尚武(武事を大切にすること)」をかけるなど、
5月5日は男の子の節句に変わっていったのだ。

端午の節句については、こちらも見てね
[小満] 5/21 端午の節句と蛍狩り

子供の日
子供って良いですね
見てるだけでほっこりします。
人類にとって必要なことが何かを教えてくれる
最大の先生だなと思います。

未発達だから大人が導いてあげる、なんてとんでもない
子供から教わる事のなんと多いことか

そういうことを踏まえて、祝日にしたというのは
発想として素晴らしいと思います

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[歳時記]5/4 ラムネの日。コレラに効く?

おもしろ歳時記から

5/4

昔なつかしい炭酸飲料水のラムネ。
若者の間でもレトロな感覚がウケるなど、今でも根強い人気を誇っている。

ラムネは1872(明治5)年5月4日に、東京の千葉勝五郎という人物が、
日本ではじめて製造した。
彼は、横浜に住んでいた中国人のレモン水製造技師、憑建を雇って、
その製法を勉強したといわれている。
一説では、それ以前にもラムネを製造した人物がおり、
たとえば築地で中国人がラムネ屋を開店したという話もあるが、詳しいことはわかっていない。

「ラムネ」というネーミングは、「レモネード」がなまったものだといわれている。
ただし、発売当初は「ジンジャービア」などと呼ばれていて、
思ったようには売れなかったらしい。

それが、ある出来事をきっかけに、驚異的なヒット商品に成長したのだ。

1886(明治1)年の夏、東京はたいへんな猛暑に襲われた。
おまけに、全国でコレラが大流行。
この年の患者数は、全国で約15万5000人、死者1万余りというから、
なんとも凄まじい勢いだ。

コレラは当時の人びとにとって不治の病だった。
それだけに、日本中が パニック状態になったのだ。

そんな中で、新聞にこんな記事が出た。
「炭酸ガスを含んでいる飲み物を飲めば、おそるべきコレラを予防できる」
というものだった。
炭酸ガスには、菌類の増殖を抑え、腐敗・変質の防止効果がある、というのがその理由らしい。

この記事を読んだ人びとは、急いでラムネを買いに走った。
ラムネにはもちろん炭酸がはいっている。
それを飲めば、死の危険もあるコレラを予防できるというのだから当然だろう。
おかげでラムネは大流行。製造元では夜も寝ないで製造を続けたが、
それでも間に合わなかったという。

注文量が多くなると、これまでのようにコルク栓を打ち込んだり、
針金で締めたりする人手のかかる作業では追いつかない。
そこで、製造元では新たに玉入りのビンを使って、
自動的に密封できるように工夫したのだ。

当時、使用されていたコルク栓にはいくつか欠点がありました。
コルクが高価であることと、 炭酸が抜けてしまうという点。

それらの欠点を解決したのがビー玉栓。

独特の形をした瓶とビー玉栓は、1872年にイギリスで発明されたもので
「コッドネックボトル
(Codd-neck bottle コッドは 瓶を発明したハイラム・コッドから来ています。)」
と呼ばれていました。

炭酸の力で自動的に閉まってくれるから人手要らず。
ラムネ独特のあの玉入リビンは、コレラの流行によって登場したというわけ。

こうして、ラムネは庶民の飲み物として親しまれるようになった。

ビー玉
子供の頃、何度もゆっくり傾けてみては、どうにも分からん、とギブアップした
「ビー玉はどこから入れんねん」問題

良い時代になりました。
ネットで検索すれば答えが分かる
ほれっ

長年の疑問がスッキリ

ところで、ラムネとサイダーってどう違うの?

これも調べました。

答えは、
一緒

最初はレモン味がラムネ、りんご味がサイダー
りんご味の方が高かったので、サイダーは高級、ラムネは庶民って感じだったそう

でもすぐにその違いがなくなって
実は中味は同じもの

ラムネは容器にインパクトがあるので
ビー玉容器に入っているものをラムネと呼ぶようにした

今は、ビー玉がないプラスチック容器のラムネも売っているので
結局「昔なつかしい」で売りたいときはラムネ
そうじゃなきゃサイダーって事でしょう

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