[歳時記]2/22 猫の日

2/22
1987(昭和62)年、「猫の日制定委員会」が「猫の記念日」を募集したところ、
全国から9000通近い応募が殺到。
その中でダントツ1位だったのが「ニャン、ニャン、ニャン」をもじった2月22日。
そこで、この日が「猫の日」に決まった。

ちなみに2位は
「ニャー」の2月8日、3位は「ニャーゴ」の2月5日だった。

ただし、外国語では、猫の鳴き声はミュー(英語)、ミャウ(仏・独・露語)などが一般的。
この記念日は日本でしか通じないかも。

さて、昔から猫好きだった日本人だが、江戸時代中期以降になると、
とくに短い尾の猫を好むようになった。
浮世絵でも喜多川歌麿以降になると短い尾の猫がたくさん登場。

なかでも歌川国芳の作品は短い尾の猫だらけだ。

「牛蒡尻(ゴボウジリ)」などという方言で呼ばれた

牛蒡尻(ごぼうじり)の猫って聞くと、ゴボウが細くて長いので
尻尾が長いと思いがちですが
「五分尻(ゴブジリ)」がなまったんだと思われます。

逆に長い尾はヘビのようだと気味悪がられた。
年をとると先が二股に裂けて化けると信じられていたため、
尾を切り取ってしまう習慣さえあった。

長女
長女の嫁ぎ先のお父さんが正月あけすぐに亡くなりましたが
お母さんは、淋しくなって大変。
すぐに猫を飼い出したそうです。

そうなると、長女もこうしちゃおれないと
週3で向こうの家に通っているとの事
良い口実でコミュニケーションいっぱい取って、可愛がってもらえるとありがたいです。

可愛い猫の画像を集めてみました。



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[歳時記]2/19 郵便マークが〒になった日

2/19
現在使われている郵便のマークは「〒」
はい常識です。

ところが、マークを決定した当初は、
別のマークが使われるはずだったんです。

郵政省の前身は逓信省(ていしんしょう)と言います。

そのローマ字の頭文字からとった「T」。
でも、このマークには重大な欠陥があったため、
現在使用されているマークに変更されました。

1885(明治18)年に逓信省が新設されると、
新しい郵便マークが考案されることになった。
それまでは「日の丸に横一線」の徽章が使われていたが、
外国人に意味を尋ねられても答えられないため、
新しいマークをつくることになったのだ。

そして、1887(明治20)年2月8日の公示によって、
外国人にもわかりやすい「T」が採用されることになった。

ところが、なんとこの「T」は、
世界各国で郵便料金が不足している印として使われていたのだ。
それに気づいた当時の横浜郵便局長らが抗議したため、
急きょ別のマークに差し替えることになった。

だが、いったいどんなマークにしたらいいのか。
ええい、一本足しちゃえ

逓信省の「テ」だし、うまくいったんじゃない。

この顛末のおさめかたがすごい

最初からマークは「〒」のつもりだったんだけど
「T」と発表してしまいました。
間違い間違い

としたのが、1887(明治20)年2月19日

言い切ってしまえば、真実になります。

「〒」はカタカナ由来なので、日本でしか通じません。
ご注意を

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[歳時記]2/13 ワーグナー死去

2/13
ドイツの作曲家ワーグナーは、
少年のころにベートーベンの曲に感動し、作曲家になることを決意。
早くからその非凡な才能を発揮し、歌劇の指揮者となった。

チューリッヒでは、人妻との恋によって『ウェーゼンドンク歌曲集』や
『トリスタンとイゾルデ』などの名曲が生まれた。

1883年2月13日、イタリアのベネチアで狭心症の持病を持っていた彼が、
体に異を感じ、苦しみながら「医者と妻を!」とうめいたという。

妻のコジマが駆けつけて、いつも愛用していた薬を飲ませたが効果はなく、
妻の腕の中で息を引き取ったのである。

この人がコジマさん

彼の遺体は青鋼とガラスでつくられた立派な棺に入れられた。
そして、黄金の獅子をあしらったゴンドラに乗せられ、
私邸のあるバイロイトへと向かった。そのときに流れたのは、
自作『神々の黄昏』という葬送行進曲だった。

まさか、この日が来ることを予想していたわけではないだろうが、
なんとも用意のいいことだ。
自作の曲で送られるとは、ワーグナーも幸せだったにちがいない。

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[歳時記]2/1 テレビ放送記念日。このあたりでちょっと休憩

2/1
最近では一家に一台どころか、一人に一台の家庭さえあるテレビ。
NHKが日本では じめてテレビの本放送を行なったのは、
1953(昭和28)年2月1日のこと。
もちろん、画面は白黒だった。

当時の番組内容は、まず午後2時から「開局式」。
3時からは菊五郎劇団による「道行初音旅」の上演を中継した「舞台劇」。
続いて、3時半から「藤原義江ミュージカル ショー」となっている。

このあとがなんともユニークだ。
4時からはなんと1時間半の「休憩」があった。

当時は生放送ということもあり、
このあたりで休憩しなければとても最後まで持たなかったのかもしれない。

さて、休憩も終わり午後6時半になると番組は再開された。
「こどもの時間」を放送したあと、午後7時からは「ニュース映画」、
7時55分からは「天気予報」、7時20分 「ニュース」、7時半 「今週の明星」、
8時 「漫才」、8時15分「近代舞踏」と続き、午後9時には放送終了というメニューだ。

ちなみに、当時の受信契約数は868世帯で、受信料は月200円だった。

また、大卒の初任給が8000円程度の時代なのに、
14インチテレビが17万円もした というから、
一般の人が気軽に楽しむというわけにはいかなかったようだ。

NHKの放送開始に続いて、同じ年の8月2日には
初の民放である日本テレビも放送を開始
これ以降、テレビはどんどん家庭に普及していき、
戦後の日本人のライフスタイルを変えていったのである


ありましたねえ、ジェスチャー
おいといて、ってやつ

連想ゲームも思い出します。

子供の頃はテレビっ子で家にいるときはずっとテレビを見ていた
青春とはなんだ、とか面白かったなあ

不思議なことに、ブログを初めて以来、
とても忙しくなって、数年、自分からテレビのスイッチを入れたことがない
カミさんが見ているのを横から見たりはしますけど

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