宅配寿司のデリバリーはこうする

この前メイキングの話をしたので、今度はデリバリーの話です。

今のデリバリーと当時のデリバリー
今のデリバリー業界は楽でしょうね。
劇的に進歩した。
スマホで地図が見れて、ナビまで付いている。
こんな短期間でここまで進歩しようとは。
スティーブジョブズとGoogle様様です。

当時、携帯電話はありました。
高校生でもほぼみんな持っていたので、店のを貸し出す事はほとんどしなくて良かった。

ゼンリンの住宅地図をどどーんと大きく壁一面に張ります。
そこで、行くべき住所、お宅の名前を確認し、頭の中で行く道を組み立てていざ出発。

理屈でいうと、こうなんですが、アルバイトがみんな、そんなにすんなり行き着けるわけではない。
迷うと電話かけてくれればいいんだけど、なかなか電話もかけてこない。
迷ってしまうと自分がどこにいるのかも分からない。

ここはほんとに苦労しました。
当時は少なくともデリバリー業界の肝だった。

ピタッと着けるためのノウハウ
どうしたか。
ありがたいことに、私はIT業界出身コンピュータのプログラミングが出来る。
注文伝票にそのお客様への道順が出るようにする。

まず、主要な交差点に名前をつけます。
信号があって、その下に名前が出ているのは、その名前
なければ、その交差点に立ってぐるっと見渡して、一番目につく看板の名前にします
地蔵前Sとか○○運輸Kとか
そこから始めて、どっちの方角に行くか、北なら「北へ」
全てのバイクには方位磁石が付けてあります。
そのあと、「1右2左左3件目」のように続きます。
地蔵前S北へ1右2左左3件目
とあれば
地蔵前の信号つき交差点を北へ向かって進み、1つめの右に入る道を入り、
曲がった後、2つめの左に入る道を入り、その角から数えて左側の3件目の家
という意味です。

全く新規のお客様は無理なんだけど、最初のデリバリーの時に、
そのルールで書いてもらう。
で、道順の項目に、入力。
そうすると次回から
はい、左3件目、でパッと表札見るとちゃんとそのお宅。
感動しますよ。

完全にうちのオリジナルのやり方。
当時は自慢だったんですけどね。

まさかこんなに早い時期に地図が住所から特定できて
しかも無料でその地図が見れる時代が来ようとは。

全く、自慢のシステムが意味なくなっちゃいました。

集中
日曜日の夕食時に極端に集中する
そこで、どう効率良くデリバリーするか
それが勝負。

注文の伝票がどんどん貼り出されていく
うちでは近いお客様ごとに伝票を繋げて貼る
例えば3件だと3件持ち、という言い方をしてたんだけど
3件分を一緒に持ってグルっと回って帰ってくる
一回一回のピストンじゃ、集中したとき回らなくなりますから。゜

バイク
以前ちょこっとだけ書いたと思うけど、
最初はキャノピーって屋根つきバイクだったんだけど
最終的には、カブに全台変えちゃいました。

どうしても思いから、すぐ壊れる。
たらったらしか走れなくなってくる
修理しても修理しても。

キャノピーとカブ、両方あるとき
アルバイトは、キャノピーに乗りたがるかと思いきや
快適な方がいいんでしょうね。
みんなこぞって、カブに乗りたがる。

バイトは高校生が多いんだけど
デリバリーのバイトをしたがる高校生は
元々バイク好きが多い。
バカチョンで乗れるキャノピーより
ギア付きのカブの方が良いみたい。

雨の日ですら、キャノピーに乗ろうとしない。
カッパ着てまでしてカブに乗る
これは、全く意外でした。

雨の日と雪の日
デリバリーって、雨の日とか雪の日は注文の多いんだろうなと思っていた。
外に食べに行きたくなくなりますからね

確かに、雨の日は注文が多くなる。

ところが意外だったのが、雪の日。

減るんです。注文。

こんな日に配達してもらったら悪いと思うのか
そもそもやってないと思うのか。

注文の電話も、大丈夫でしょうか、から始まりますので。

古街道(鎌倉街道)の見つけ方

昔、道はどこをどう通っていたのだろう

誰がどういう思いで、その道を通ったのだろう

宮田太郎さん
古街道研究家

「街道で読み解く日本史」
「鎌倉街道伝説」

の2つの本を読んだ

古街道を見つける
古街道を意識して生活はしていない。
ただ、そんなこと言ったら、歴史ということ自体の意味合いが分からなくなる

ああここで、あの人がこんなことを。
今、ウォーキングでいろんな場所に行き、思いをはせる
どんどん、繋がっていって、面白味が増してきた。

道というキーワードで、強烈にロマンを追い求めている人がいた。
宮田太郎さんの情熱ってなんだろう

古街道から歴史を掘り起こし
いや、行政や自治体に働きかけて、文字通り、街道自体を掘り起こしてしまう。

共に歩く
ウォーキング同好会で、宮田太郎さんをお招きし
教えていただきながら、現場を歩く企画をたてました

5/8(日) 小田急線 鶴川駅北口改札前に9:30集合
町田市を歩いて
実際に、ここがほら、昔街道だったんですよ
街道の見つけ方はね
と、詳しく教えていただきます。

興味のある方はご連絡下さい。
ご一緒しましょう。

古街道の見つけかた
例えば、今回は、鎌倉街道で教えていただくんですが
まず、文献から、こういう道があると推定

鎌倉街道だと主なものは、山ノ道、上ノ道、中ノ道、下ノ道、あと早ノ道

新旧2つの地図を用意します。
一つは今の地図
二つ目は明治の頃の地図
「明治時代の二万分の一地形図」というのが、図書館などでコピーできるんですって。

複数の伝承から仮の線を明治の方の地図に線引き
同様の線を今の方にも書き入れる
両方見比べて、一部残存しているか確認
緑地などが残っていれば、そこに鎌倉街道跡が発見できる可能性がある


現地に行く
あっ、ここ、線引いたとこ、そのまま、窪んでるじゃない。
発見したときは興奮するでしょうね

こういうことをして、地道に線を引き続けるているのが、宮田太郎さん。

ここはってところは、調査棒を差し込んで、止まるとこまで計り
下はこういう風になっているんだなと

もっと、ここは、ってところは自治体に働きかけて
ここは鎌倉街道が、こう、走っていたはずなんです
発掘しませんか。

実際に町田市立総合運動公園の建設予定地であることが分かり、
造成前に発掘調査をしてもらえたんですって。
宮田さんの情熱が行政を動かした。

発掘したときの写真が出ていますが、
きれいに道になっている。
等間隔に、小穴と言われる穴が開いている

すごいっ、ものすごく広い道

もちろん、上ノ道という言葉すら今回初めて知った、私のようなドしろうとは
複数の伝承を元に仮の線を引いてみましょう、などができるはずもなく
宮田さんのような専門家が地道に発見した場所を見せてもらい
おおおーっ、これがっ
という「興奮」のところだけ、かいつまむという
お手軽、かつ、失礼きわまりない企画を立てたという訳です。
快く了解いただきました
実際には、うちのウォーキング同好会のメンバーが
交渉から何から全部やってくれたんですけどね

何とか、当日、晴れてほしい

八百屋お七は、哀しき16歳

前回、振袖火事の話をしました。
哀しき16歳。

そちらは作り話っぽいのですが、
お七の方は実在。

つながった
元々は、ウォーキング同好会の皇居のイベントについて調べていたことから。

江戸城の天守閣ってかなり早い段階(4代将軍家綱の時)で焼け落ち、あえて再建しなかった。
明歴の大火。
この大火については、色々資料をあたった。

もうすぐ行う東海道を日本橋から歩くイベント。
一回目で行けるかどうかは分からないけど、鈴ヶ森刑場。
江戸時代に罪人が処刑された場所。

調べると、丸橋忠弥。由井正雪の乱というクーデターの江戸での主犯。
へえ、そうなんだ。
その時、読んだ資料では、その他にも有名人では、八百屋お七や・・・
その時は、そういう人もいたのね、程度。

忘れてしまっていましたが、別の本を読んでいると、八百屋お七の話が出てきた。
そういうと、この人鈴ヶ森だった。

つながった。

その本には、振袖火事の話ものっていた。
16歳の女の子。
えっ、これが明歴の大火なの?

つながった。

あれれ。
さっきの八百屋お七の火事も16歳の女の子だった。

今度は、両方から真ん中で、
火事と16歳の女の子という2つのキーワードで
つながった。

東京をウォーキングし始めて、一年になる。
最近、いろんなことが、どんどんつながり始めた。
点ではない。
ウォーキングは、道なので、線。
だからつながる。

さらに、歴史という軸は3次元でものごとをつなげてくれる。
イベントも20回を超えた。

最初の頃に行った、隅田川テラスと築地
去年の冬に行った明石町や佃島。

皇居の時からはまった、文明開化での「ツキジホテル」でその2つのイベントが
つながった。

面白い。

おっと、忘れておりました。
八百屋お七でした。

八百屋お七
前回の振袖火事って、色んな資料を読んだけど、少しずつしか違わない。
でも、この八百屋お七はかなり違う。

実話だから、逆にそうなるのか

実は、実話として分かっているのは、
16歳の女性が、火あぶりの刑で処刑されたという事実だけ。

そのことを元に、井原西鶴の、好色五人女をはじめとして
少なくとも3つの物語として描かれる
そして、人気を不動にしたのが、歌舞伎
はたまた、浄瑠璃

本当は八百屋だったかどうかも不明。
物語だと、お七は放火するのだけど
歌舞伎では、放火すらしていない。
火の見やぐらに登って半鐘をたたくだけ。

共通するのは、恋い焦がれた美少年に会いたい一心。
相手の名前さえ、実は様々なのです。

ややっこしいので、
お許しをいただいて、一番メジャーな話を元に、
でーこん流のストーリーにしちゃいましょう。

そうそう、
前回のコメントで、犯罪者を美談にしちゃだめというのがありました。
全くおっしゃる通り。
あくまでも、物語としてのみ、お楽しみください。

八百屋お七は
八百屋お七は、超美人
お七が通ると歯磨きの粉を挽く臼の縁を叩いてはやしたてたという、川柳が残っているくらい。

1682年、12月28日
駒込片町の大円寺から出火。
火は翌日まで燃えさかり、お七の家も焼け落ちた。
仕方なく、家族は菩提寺円乗寺に身を寄せた。

そこに、寺小姓として、2歳歳上の小野川吉三郎がいた。
2人は目を合わせただけで、ときめきを感じた。

ある時、お七は、吉三郎の小指に刺さったトゲを抜いてやる

これは、いけませんね
意識しあっている若い男女。
トゲを抜いちゃあダメでしょう。
予想にたがわず、恋に落ちる。

でも、時は無情。
翌年、1月25日に八百屋の仮店舗が完成。
戻れますよ、良かったですねって。

会いたい
会いたさが募る
文の交換。
でも、やはり会いたい。

そうだ、火事にさえなれば。

自宅の塀に火を放つ。

幸いにして、すぐに見つかり、すぐ消し止められる

お白洲
南町奉行、甲斐庄正親(かいのしょうまさちか)
江戸に火事は影響が大きすぎる
一ヶ月前にいよいよ、放火犯は火炙りの刑と、改められた。

罪状は明らか。
どうしようもない。
あとは、年齢だけ。
今でいう少年法。

奉行は祈るように尋ねる
たしか15歳であったな

いいえ、もう16歳でございます。

処刑
3/18日から開始。
まずは陸さらし。
見せしめ、ということ。
放火犯は全てにおいて扱いが重い。
通常の3倍以上の10日間

役人の一人が桜の小枝を獄衣の襟元に差してやる
お七が少し微笑む

処刑の前日
吉三郎は自殺を図るが、和尚に取り押さえられた。

そんなことをしてどうなる
あなたにはやるべきことがあるのではないか

吉三郎のその後
前回の振り袖火事のとき、とても詳しく、その後について
コメントで教えていただきました。
ぜひそちらをご覧ください

生涯をかけて、供養の日々が続くのです。

天智天皇、秋の田の~

秋の田のかりほの庵(いほ)の苫(とま)をあらみ
わが衣手(ころもで)は露にぬれつつ

おそらく一番良く知られている歌

何故なら第一首、一番目の歌だから。
ようし、百人一首覚えるぞ、となるとこの歌から覚え始め
途中で諦めちゃったりする。

いやあ、知らなかった。
この歌が、まさかあの、天智天皇の作だとは。

天智天皇
天皇の中でも5本の指には入るでしょう。
まあとにかくすごい人

何せ中臣鎌足(なかとみのかまたり)とともに大化の改新というクーデターを成功させた、
中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)こそが後の天智天皇。

天智天皇はとても不思議な人で、
クーデター後すぐに天皇になると思いきや、なかなか天皇にならない。

あまりに謎なので、
理由について、かなりいっぱい説がある。

面白いのでいうと
弟のはずの天武天皇が実は兄だったから、というのまで。

根拠は天武天皇の方が年上だから。
ちょっと待ってよ、それなに?
年上だったら、そりゃ兄でしょ。

ここ、いったんスルーするけど
この兄弟のバトルはどれだけ続くか
天智天皇が死んだ直後、天智が選んだ次の継承者、息子の大友皇子を殺したのが弟(天武天皇)。
壬申(じんしん)の乱
そして、その後も、天武天皇が死んだ後もずっと、
天智派と天武派のバトルは続くのです。

天皇になってからは何をしたか。
大津宮遷都。
水時計を作ったので、6月10日が時の記念日。
朝鮮は百済(くだら)に救援軍を送り、白村江の戦いで唐と新羅(しらぎ)の連合軍に大敗。

歌の意味
実りの秋の田に設けられた仮小屋
お粗末な苫ぶきなのだが、苫の編み目も粗いので
そこにこもって番をしている私の衣の袖は、
はげしい夜露にしとどに濡れて、
まんじりともできない事である

解説
かなり歌として綺麗な良い歌なんだとか
の、が、4つも続いたり

でも、でも
違和感だらけ
ちょっと待ってよ

天下の天智天皇、高貴もなにも。

なんでお粗末な苫ぶきの仮小屋で番をして
まんじりとも出来ないって
いくらなんでもおかしいでしょ

これは、労働歌です。
刈り取りの作業は最も忙しいので、仮小屋を作って寝泊まりするのは
農家ではよくあること。
ああ、大変だなあ。
でもここをのりきらねば。
頑張るぞっ、て歌。

天皇が、頑張る必要がない。

解説の橋本先生も、これは天智天皇の作ではないでしょうと。

栄えある一つ目の歌が、違うでしょう、って事なのね。

300年の時を経て、これを天智天皇の作といたしましょう、と
天智天皇は民の気持ちの分かる良い天皇だったんですよ。
なんつったって有名人ですから、第一首とすることに異論はありませんね、皆さん
という事なんでしょう。

だとしても、もうちょっとそれっぽい歌にした方が良かった気はしますが。