言語障害、9代家重は女性?

9代の家重は一番色々あります。

徳川将軍は健康上まともな人の方が少ないんですが
家重はその最たるものです。

異常な環境でずっと代々続いていくと、おかしくなるんでしょうか

言語障害
言語障害でほとんど誰も言っていることが聞き取れない。
唯一言っていることが分かるのが、酒井忠光
という事で老中にまでなります。

考えてみればとても便利ですよね
自分以外は誰も聞き取れない

上様はこれこれと言っておられます。
(エヘッ、うそ言っちゃった)
、という事が可能ですもんね

でも、酒井忠光はとても真面目だったそうです

お墓
家重は増上寺に埋葬されています。
という事は墓を掘り出しての調査が行われた訳ですね

ちゃんと分かるんですね
家重は、極度の歯ぎしりをしていた。
言語障害とも関係あるのかもしれません

ちょっとやそっとではなく、
かなり長い間、いつもいつも歯ぎしりしていないと出来ないような
歯にできた歯ぎしりの後です。

そして、増上寺の将軍のうち、唯一、正座で葬られています。

頻尿
非常におしっこが近い。
あまりに頻繁に尿意を催していたせいで、小便公方とあだ名を付けられます。
江戸城から上野寛永寺へ出向く道中(資料によっては日光だけど)に23箇所も便所を設置させた

女性?
実は墓を掘り返したことで、不思議な説が生まれる。

家重は女性だったんじゃないか

すごいこと言いますね
リボンの騎士かオスカルか

先程お話した、正座ってこと
正座は通常女性の場合

頭蓋骨も骨盤も、女性と言われれば
そうとも言えるかなって感じ
DNA鑑定やっておけばすぐ分かったんですけどね

いくつかポイントがある

そもそも、声をほとんど誰も聞いていない。
あまり人前にも出ていない

トイレ23箇所って
男性ならいくら頻尿でもその為の器具? があるので
トイレをそこまで作る必要がない。
女性だとそうは行かない

吉宗が後継者争いにリードする為
女の子を男の子として育て、
はい、跡継ぎもいますからねと

ただ、面白い説だけど総合的にはやはり厳しい

吉宗の動機については、
家重を産んだタイミングではまだまだ、
徳川宗家が絶えるような状態ではなく
吉宗がそこまで考えていたとは思い難い
その後、次男三男も生まれる訳だし
そんなに無理しないといけない状況ではない

家重は頭の油の匂いが嫌いだったので
頭の髪の毛が乱れっぱなしで
髭もぼうぼうだったという記述がある

女性説だと、この記述もカモフラージュのためという事になるが
カモフラージュでわざわざそんな逸話を書くかな、と思う

歴史の楽しみ方
こうなってくると
私のような名も無き一般市民は
歴史に対してどう向き合うかという問題

学者じゃないので、
言い方悪いですけど、
真実がどうだったか、それほど重要ではない

ある本に、歌舞伎等で歴史が扱われ、それが俗説として定着してしまったら
否定するのにとても大きなエネルギーを要すると書いてあった。
特に、忠臣蔵なんて、とても大変と。
学者さんの身になると、大変なんだろうなとは思う。

ごめんなさい、学者さん
だけど、面白い説大歓迎。
歴史を題材に、どう思いを巡らせるか。

家重が女性?
そんな訳ないじゃないと思いつつも
考えるのがとても楽しい。

じゃあ、子供の家治は誰の子よ、ってね

女性説の人の中では2つに分かれる
ひとつは吉宗が誰かに産ませた子供
もうひとつは、自分自身で産んだ。

後者の方がいいけどなあ
お腹が大きくなってからは隠れてた。

安藤美姫だって知らん間に子供産んでたんだから、いけるんじゃない?
一緒にすな、って?

レトロな飲み物、そりゃあラムネ

飲み物って、色んなのがあって
レトロな思い出があちこちにある

でもレトロな飲み物と言えば基本中の基本
ラムネでしょう

ラムネ
日本にラムネが最初に登場するのは
実にペリーの黒船来航まで遡る

交渉にあたった浦賀の奉行らが初めてラムネと出会ったという
ラムネを開けた時の「ポン」という音に驚き
思わず刀に手をかけたらしい。

当初はその音から「ポン水」と名付けられた

この時は外国で製造されたラムネですね

日本初の製造
なんと明治元年に清国のアリンという人が京橋に製造所を作る
そして、すでに翌年にはその弟子として働いていた鈴木乙松が独立
築地で洋水舎を設立
「ジンジンビア」という名で製造を開始している

明治維新と文明開化を調べるといつも驚かされる
やることなす事、とにかく早い

そして、明治末期には70件を超える製造所ができていた

ラムネの瓶
実は最初はビー玉は入っていなかった。

栓はコルクを針金で止めたものというから
スパークリングワインとかで見かけるスタイルかも

瓶はキュウリのような形をしていたから
キュウリ瓶と言われていた。

ビー玉の入ったラムネ瓶を開発したのはイギリス人のハイラム・コッドという人
日本で最初に製造に成功したのは明治20年
徳永玉吉という、冗談のような名前の人。

どういう原理かというと、中の飲料を充填したあと、
すかさずひっくり返すと
中の炭酸の圧力でビー玉がゴムパッキンに押し付けられるという
なんとも頭のいい考え方

コルク栓に比べるとメリットが多かった
ただ、その後に登場する王冠の栓にはかなわず
瓶も次第に減少していく

ちなみに、ラムネとサイダーがどう違うかだけど
いずれも特定のメーカーだけで売られているのではなく
普通名詞となっているので
それぞれのメーカーでどう違うかによる
ただ、基本、ビー玉瓶だとラムネで、王冠瓶だとサイダー
全く中身は一緒ですという事もあるようです。

どうやってビー玉入れるの?
この話題は、一度はしたことがあるでしょう
絶対疑問に思いましたよね

答えはガラスがまだ熱いうちに広い口から入れ
その後入り口にゴムパッキンをはめて口を締める

滋養飲料
当初は疲労回復に効果があると思われていた
清涼飲料水というより、滋養飲料として飲まれていた

コレラに効くと新聞に書かれたこともあり
大流行りする

ただ、アメリカからコーラが入ってくると
急速に数を減らしていく。

ちなみにラムネという名前は
レモネードが訛ってラムネになったらしい

思い出
最初に飲んだ時のことはうっすらと覚えている
何度も何度も傾けてみて
振ってみて
あの、ビー玉が山を越える角度も何度も試して
かなり長く遊べた

小平のウォーキングイベントのとき
ラムネあります
の看板掲げてるお店に立ち寄ったんだけど

そこのおじいさんが
最近のプラスチック製のラムネは良くない
このガラス瓶とは全く味が違うと自慢していた。

確かにとっても美味しかったです。

オリンピックエンブレムは、粋の提案?

粋を考えて来ましたが
最近、どうも背景があるような気がして来ました。

奢侈(しゃし)禁止令
前回、粋といなせの話を書いた時
いなせをもうちょっと調べたくて
ウェブをちょこちょこ見ていたら
気になる言葉を見つけたんです。

テーマとしてはファッションです。
「四十八茶百鼠」

江戸時代には何度も贅沢の禁止令が出たので
茶とねずみ色と紺色しか、着るものには使ってはならなかった

そんな馬鹿な
そう言われると紺は多い気がするけど
ほんまかな、それ
わざわざ幕府がそんなことに口挟むんだろうか

いくつか調べましたが
結論的に言うとホントでした
幕府はとてもお節介でした。

何度も贅沢を禁じる奢侈(しゃし)禁止令が出ています。
最初は農民に対して、身の程を知らせる、みたいな趣旨で、着るものの素材の制限
次第に、他の階級にも広がっていき
最終的には将軍の正室の着物に至るまで金額制限がかけられることが有りました。

一番対象になるのは商人に対してですけどね

ひょっとすると、悔しかったんじゃないか

武士の世の中になったはいいものの
平和になっちゃうとやる事なくなっちゃいます。
なまじっか士農工商みたいにしちゃったもんだから
昔のように、武士が土地耕したり商売したりできなくなった

慢性的な貧乏。
贅沢なんてしたくてもできない

悔しいから、町人に対しても
お前らも贅沢すんなよな

今回のテーマは奢侈禁止令が出て
町民たちはどうしたか

紫色、梅色が禁止され
実質、茶色と鼠色と紺色しか使えない。

町人の粋な対応
茶とねずみ色と紺色でうまく楽しんじゃう

その三色の微妙な色の違いに名前をつける
「四十八茶百鼠」

派手な柄も禁止されたから
江戸小紋って言って
とっても細かい柄にして、よっぽど近づかないとただの無地にしか見えない

裏地みたいに見えないところに凝ってみたり

反発じゃない
おそらく反発じゃない。
単純に反発したいのなら、派手にすればいい

理由があります。

実は私も最近知ったんですが
例えば違反したとしても逮捕されないんです。

町人の人口が50万人
それに対して、今で言う警察官の、同心の数がなんと24人
どうやったって取締は無理です。

同心に出会うのは宝くじに当たるより難しい。

にも関わらず、年に2~3件しか殺人事件が起きない
極端に治安のいい街

全部自主運営なんです。

主には、大家さん。家主と言います。
大家と言えば親も同然、店子と言えば子も同然
自分たちで、教え諭しながら律していく。

凄くないですかこれ。

受け入れ
すすんで守ったとしか思えない
でも、守り方をちょっとひねる
確かに贅沢は良くないよなあっていうのが
ベースにはあったんじゃないかなと思う。

奢侈禁止令が出て
そのまま受け入れ何もしないのが、野暮
それならそれで私なりに楽しむからね、ってのが粋
やり過ぎちゃうと気障(きざ)

なんか分かってきた気がする

下手に騒ぐんでもなく
懐が深い大人として対応する

バランスを楽しむのが粋なんですね

仲間内で、
いよっ、粋だねえ
って分かってあげる

気づいてくれたかいってね

オリンピックのエンブレム
だからあれなんですね

ひとつ、どうしても避けなければ行けないことが、盗作問題だった

とすれば、逆転の発想

似たようなのを持ってこられた時

そりゃあ似てますよ
江戸ではこれしかダメだったんだからね
正露丸が一般名詞のように
この色と模様は一般の色と模様

ほら、微妙に違うだろう
微妙な違いを楽しむのが粋なのさ

お互い粋にオリンピックやりましょうや
ってね

名字がいよいよ出てくるよ

前回、氏と姓までは話しました。

今日は名字からです。

名字って、氏や姓とは全く違う流れからおきてきます。

土地
土地って律令制度の元では、全てが朝廷即ち国のものとされます。
ある意味社会主義に近いですね

でも、なかなかうまく行かない。
そこで
新しく農地として開墾したところは、自分のものとして良いですよ。

そうなるとがんばりますね
農地が広がっていきます。
名田(みょうでん)と言います。
それを代々受け継いで行くことも許されます。

自己主張する必要が出てきます。
この辺からこの辺まで代々うちのもん。
という事で名前をつけます。

西の方にあるから西田
真ん中へんだから田中
頑張って日照り対策の池まで横に作っちゃったら池田

あくまでも自分でつけた名前
それが、その地域を表す地名として定着していきます。

そうなんです。地名が先なんです。

そういった地名は
もともと自分たちがつけた名前だから愛着が有ります。

あんれー、西田んところの太郎さん?
はい、西田の太郎ですぅ。

農地という事だから、農民だけの話と思いきや
当時一番金持ってるのは貴族だったから
貴族が金出して、人雇ったりして開墾していくことも多かった

そして、開墾された名田を守るために、武士が生まれる
即ちほとんどすべての人に名字は関わってくる

ニックネームな訳だから
姓を持ってる人は本名とニックネーム、両方持ってることになる

ピンキーと今陽子みたいですね
ふるっ

藤原は本名の姓だけど、
増えすぎたので区別するための
加藤とか佐藤とかはニックネームである名字という事になります。

苗字へ
土地の名前が、名字でした。
ところが、長い間たつと、引越しだってある

武士の世の中になってくると、領地みたいなことで
あっちはご褒美に君が治めなさいと言われたり。

最初は別の土地に行ったら、今度は南田の太郎です
とか言ってたんだけど
愛着のある元の名字を使いたくなってくる

そして、名字が土地とは離れその一族の名前となる
区別するために、それを苗字と呼ぶ。

なんだかぐるっと回って元の氏に近くなった気もしますね

権威づけ
武士の世の中になり、少し状況が変わってきます。
武士としての権威付けが欲しくなったんでしょう
対象に苗字が選ばれます。

武士だけは正式に苗字を名乗っていいよ
面白いですね
姓のようです

最終的に色んな要素がくっついて、ひっくるめて
苗字になるんですね。

でも面白いのは、農民だの町人だのも
正式でないなら名乗っていい
取り上げちゃうわけではない。

大改革
そして、最終的に大改革が行われます。
明治維新です。

明治維新で四民平等
すべての人から税金を取れるように
戸籍を作る
すべての人に苗字が義務付けられるのです。

色んな要素もくそもない
ただひとつの、そして、完全にすべての人に正式な
苗字の義務付けです。

大騒動になりますね
どうしよう。
いきなり苗字をつけなさいって言われても。

でも、実はほとんどの場合、
思ったほど大変ではなかった。

分かりますね
今まで、色々ありましたから
ご先祖様を辿っていけば、何かが付いている場合がほとんど

例外的に面白い例としては
相談されたのが漁師の網元さんだったために
村中全員、魚の名前になっちゃったっていうのがあるんですけどね

次回から、
いよいよ、ひとつずつメジャーな名字を解説していきますね