粋といなせはどう違う?

粋といなせはどう違うんでしょう

いなせ
諸説あるようなんですが
元々は鯔背(いなせ)
いなというのはボラへの成長過程のいなっこ
背びれがスッキリしてかっこいいという事から
その形のまげをゆった若者をいなせと言うらしい

神田
立川談四楼さんの本で紹介されているのが、佃節という歌

粋な深川、いなせな神田、人の悪いは麹町

神田は鳶や大工を始めとする威勢のいい職人の町
そんな人たちのまげ、たたずまい、気っ風を含めていなせという

あと、よく例に上がっているのが日本橋の魚河岸
魚がらみですからね

侠気と書いていなせと読ませることもある

粋といなせ
粋は大人
少なくとも落ち着いてます。
いなせは若者
威勢が良い


彼らが歳を重ねると粋な大人になるんでしょうね

あれっ
ちょっと最初思ってたのと違って来ました

粋の語源って、活きが良い、のいきだと思ってた

でも、刺身で言うと、
とれたて切りたてはいなせで
粋は昆布でしめた感じ?

もうちょっと調べたくなってきました

粋(いき)と粋(すい)
調べていくと、すいというのが出て来ましたよ
同じ粋と書いて、上方(関西)ではすいと読む
純粋のすいですね

関西人の私としては結構のおどろき
今まで生きてきて聞いたことなかった

同じく始まった概念が、違ったふうに変化していくと

すいは、純粋ってぐらいだから極める
これでもか、ってね

逆にいきは抑える
ぐっ、とね

面白かったのがこの解説。

江戸の「いき」は吐く息に通じる
不要なものはため込まず、サッパリ・スッキリとこそぎ落とす。
引き算の美。
しかし、見えないところにお金をかけるのが江戸っ子。

それに対して、上方の「すい」は吸う息に通じる
何でも取り入れ、蓄積していく足し算の美。
着こなしも身のこなしも優雅にはんなりとやるのが二枚目。

分かる
見えないところに金をかけるなんて、そんなもったいない

吐く息と吸う息も呼吸法やったからよく分かる
吐く息は副交感神経が優位になって気持ちが落ち着く
吸う息は交感神経が優位になって興奮する

明石家さんまなんて、笑う時まで吸うてます。
ああ、もったいないってね

なんで?
違うって何となく分かるとして
一体なんで、そういうふうに変わっていったの?

自分なりに考えたんだけど
ある一つの背景が見えて来ました。
ひょっとしてこれ?

長くなりますので、ここからは次回にします。

索引はこちら
[江戸の文化]シリーズはこちら(少し下げてね)

在原行平、立ち別れ~、気骨のある堅実派

立ち別れ いなばの山の 峰におふる
まつとし聞かば 今帰り来む

別れて因幡に行く私だが、その稲葉山の峰にはえる松のように
「待つ」とみんなが言ってくれるのを聞いたら、
すぐ帰るからね

送別会で
在原行平は、在原業平のお兄さん
次回在原業平の予定なので、兄弟セットね

在原行平は、因幡の地に転勤が決まる
じゃあ、一杯行きますかって事で
送別会が開かれる
その時の歌がこれ

いつでも戻っておいでよ

嬉しいなあ、帰ってくるからね
って歌

因幡と往なば
松と待つが掛詞で
因幡は松の名所として名高いから

よう考えてあります。

在原行平という人
平城天皇の孫
父、阿保親王も皇子で場合によっては自分が天皇となってもおかしくない身分です。
でも、父は薬子の変に巻き込まれて阿保親王は失脚。
天皇の系統は嵯峨天皇(平城天皇の弟)に完全に移行します。
ややこしいことになりそう。
阿保親王は、皇位係争に巻き込まれないようことを恐れ、
在原氏を賜り、臣下となって生きる道を選びます。

超男前でプレイボーイな弟・業平と違ってとても堅実派
藤原氏でない人としては異例なほどの出世。
最終的には中納言になります。
藤原基経に意見するほどの気骨のある人だったようです。

猫返し
この歌の下の句
まつとし聞かば今帰り来む

猫がいなくなった時に、書いて置いておくと
帰ってくるまじないになるそうです
ぜひお試しあれ。

カルタとして
百人一首で読み上げる時は
マットシッカバ
となって、なんとなくコミカルなリズム
好きでしたね、この札

8代吉宗は、ぶさいくが好き?

吉宗の後半です。
将軍になってから

やったこと
これは、あまりにも有名で
様々な改革を成し遂げます。
破綻しかけていた財政の復興などをしたことから中興の祖と呼ばれています。

皆さんご存知だと思いますので、ごそっと省略
私は、ちっちゃなエピソードを中心に紹介することにしましょう

奥さん
吉宗の正室はやっぱり宮家からもらう
真宮理子(さなのみやまさこ)

ただ、お世継ぎに恵まれることもなく、
早くになくなってしまう。
その後、正室はもうもらうことはありません。

お世継ぎを産んだのは側室のお須磨
長福丸、後の家重です。

ところが、その後早くにお須磨さんも亡くなってしまう。
こりゃいかんということで
また側室を探そうと思いますが
家重を育てるという事があるので
お須磨さんと親戚関係の人が良いでしょうという事になります。

頑張って探します。
ようやく見つかった女性がお古牟(おこむ)さん
ところが、吉宗への報告に躊躇します。

いくらなんでもというお顔立ち。
言い方を変えますと
へちゃむくれ

恐る恐る
あのぅ

構わんよ
貞淑で嫉妬深くなければそれで良い。
顔なんぞは2の次

次男小次郎(のちの田安宗武)を産む

いよっ
さすがは吉宗。

美女探し
いよいよ、将軍になれることになり
江戸へ向かうときのこと。

器量良しを探しておくように

これはっ。
いよいよ、本格的に側室選定かっ

みんな色めき立ちます。

すったもんだあったでしょうね
50人がリストアップされます。

これは、自信がございます。
いずれ劣らぬ器量よしでございます。

そうかご苦労であった。
それほど器量よしか。
では、その者達に、明日から暇をつかわせ

ええーっ、そりゃまたなんでー

吉宗の大改革が始まった訳です。
まずは大奥の大リストラ。
大幅人員削減です。

器量よしであれば、
大奥におらずともどこでもやっていけるであろう。
ただ、そうでなければ、嫁にもいけるまい。

本人たちもこれには参りますね
あんた美人だからクビ
って言われちゃあ
文句の言いようがない

そこをなんとか
そんな吉宗にも、気に入った女中が現れます。

御年寄を通じて打診。

ところがです。
うまく行かないもので

折角のお申し出ではございますが
私には、国に、この人とといういいなずけがございます。

御年寄も再三の説得を試みますが首を縦に振りません。

仕方なく正直に話すと
怒るどころか
それはめでたいと
暇をつかわしてお祝い金を300両

素晴らしいですね。

御三卿
御三家とは別に御三卿(ごさんきょう)というのを作ります。
この理屈が私も最近まで分かりにくかったので、ちょっと解説

徳川は、長男が継いでいくので
次男以降は外に出ちゃいます。
よく、松平って出てきますけど、
あの姓がそれ。
松平になっちゃうと次期将軍候補ではなくなっちゃう。

吉宗としては、自分の跡が途絶えても、紀州系で繋ぎたかった。
そこで、先程話が出た、次男の小次郎に、松平ではない、別の姓を作り出した。
田安家として田安宗武
さらに、三男にも一橋家というのを作って、一橋宗尹(むねただ)

そうなると、例えば会社の組織で言うと
第一部(徳川宋家)
これは、自分が養子に入ったので実質、紀州家
 ここに課を作る
  第一課 これは自分と直系の子孫
  第二課 田安家
  第三課 一橋家
  第四課 清水家 これは次の家重の時に更に追加します。
第二部 尾張家
第三部 紀州家
第四部 水戸家

そうすると、自分の一課が途絶えても
第二部の尾張家より、第一部の第二課田安家や第三課の一橋家の方が近いことになる。
この二課三課四課が御三卿と呼ばれます。

実際に、10代家治のあと、また途絶えてからは
11代家斉が第三課の一橋家から
14代家茂は第三部の紀州から
15代慶喜は第四部の水戸家から第三課の一橋家に養子に入って継いでおり
 その一橋家からという事になります。

氏、姓、名字、苗字、実は全く別のもの

名字図鑑という本を買いました。

近所のスーパーで安売りしていた。

パラパラっとめくって、心をぐっと掴まれました。
色んな名字のルーツが書いてあります。

最初は、佐藤さんから
だったんだけど
そこに書いてあったのに驚いた。

藤が付くのは全部藤原氏
あんまり増えすぎたので、区別がつかなくなった
仕方がないのでアダ名を付けた

加賀の藤原氏は加藤さん
近江の藤原氏は近藤さん
神様を祀る、斎の宮という職業の藤原氏は斎藤さん
という具合。

むちゃくちゃ実感。
歴史の勉強してると藤原氏だらけ。
これでもか、というくらい
あんまり増えすぎたので、って分かる分かる
ほんまかーって感じ。

このあと、ひとつずつ、名字のルーツを紹介していきますね。

という感じで楽しもうと、読み始めたんだけど
なんとこの本、それどころじゃなかった

全く知らなかったむちゃくちゃ面白いことを教えてくれた
びっくりポンでした。

氏、姓、名字、苗字
加藤だの田中だのって、なんでしょう

何でしょうって、名字に決まっとるがな
とお思いでしょう?
ところがぎっちょんちょん

氏名の氏
姓名の姓
名字
苗字

色んな言い方がありますね

色んな言い方っちゅうたって
言葉に色んな言い方があるのは当たり前
要は名字でしょう
とお思いですか?
へへへーっ

実は、4つとも違うもんなんです。

話が長くなります。
長くなりますので、2回に分けます。
それほど奥深いんです。

さあ行きますよう


一番古いのが氏、うじとも読みますね
時代的には古代です。

一族、すなわち、血族が集団をなすようになります。
子供、孫と生まれていって、近い場所にどうしても住むので当然ですね
名前を付けたくなります。
阿部一族、みたいな感じです。

この段階ではあくまでも自分たちで勝手に名乗っているだけです。

するとリーダーシップを発揮する人が出てきますね。
これも自然の流れです。


次に姓です。かばねと読みます。

朝廷からすると、人々をおさめていこうとすると
一族のリーダーをうまく利用したほうが良い。

そこで、あんたんとこの氏は公認にしましょう。
その印として公認のマークをつけたげましょうという事になります。
自転車に信頼のBAマークがついてるのと一緒ですね

蘇我氏は大臣(おおおみ)という姓
物部氏は大連(おおむらじ)という姓

蘇我大臣(そがのおおおみ)というような言い方になります。

そして、政治の要職に付くには姓がないといけないという事になります。

で、氏と姓がだんだん一緒くたになっていきます。

源平藤橘
代表的な姓は4つあるんですが、それが源平藤橘(げんぺいとうきつ)と言います。

源氏、平氏、藤原氏、橘氏
氏とついてるから氏みたいですけど、これ姓です。
あくまでも朝廷から授かった正式なもの。

そして面白いのが
天皇の子孫に姓がついていくところ

昔はなかなか成人まで健康に育つことが難しかった。
仕方ないので
結構死んじゃう前提で
バンバン産んどこうという事になります。

でも長男が健康に育ったりすると
えっ生きてんの?
じゃあ僕らどうする?
みたいなことで、次男以降は仕方ないので姓もらって
今後は天皇家じゃないからね、という事になる

百人一首の源融(みなもとのとおる)が
陽成天皇の後釜の天皇に立候補したとき
おいおい、君、もう源だよ、というふうに断られた話しました。

それは、この姓の話になります。

清和天皇の血を引く「清和源氏」
宇多天皇の血を引く「宇多源氏」
桓武天皇の血を引く「桓武平氏」
みたいにいっぱいあります。

名字の発生
いよいよ、名字が出てきます。
長くなりましたので、
ここからは、次回にしますが
ちょっとだけお話しておきます。

名字は、氏や姓とは全く異なる流れで発生します。
田んぼの名前です。
藤原さんは姓だけど
田中さんは名字なんです。

という予告編をした上で、次回にね