IT業界の不思議なところ

私の人生のシリーズもとうとう、今現在のIT業界に入ってきました。

色んなエピソードに入っていく前に
そもそもIT業界ってどんななの?
という事をまとめてみたいと思います。

特色
会社で使う業務システムを作る前提でお話しします。

なんといっても、プロジェクトだという事でしょうね。
こういうシステムを作ってお納めしましょうという受注生産。

そうなると仕事の山谷が大きくなる。
注文取れたとなってから人をかき集める。
納品が終わったら、そんなに人がいたら大赤字なので、解散。

核になる人材は、社員さんと言われる、
お客さんと契約した大きめの会社の社員さん。
でも、それ以外は、協力会社と言われているところからくる人たち。
私は、こっちです。

その協力会社ってどうしているかというと
そこの会社の社員の人もいれば
契約社員として、
仕事が出た時だけ声かけるね。
私は、形式的にはこっち。

もっと言うと、他の協力会社に声をかけて
いい人いない?
そこでいますよとなると、間のマージンをとって、行ってもらう。
3社、4社入っていることも珍しくない。
月当たりの単価はかなり高いんだけど
本人に入るのは引かれて引かれてあまり残らない。

でも、この最後に言った、協力会社が複数入る話は嘘ね。
法律的には違法なので、有っちゃいけない。
嘘という表現にさせてください。

取締り
業界全体の特色として、仕事の山谷を
いわゆる非正規雇用の人達でまかなっているという
この事実をどう考えるか。

何かにつけて政治家たちは、
こう言ったことが労働者を不安定にさせる諸悪の根源。
新しい法律を作ったり、取締りを強化させて無くそうとする。

そりゃあ、社員として安定的に仕事をやれる方が良いに決まってます。
切実に感じています。

でも、取締りが強化される度に
仕事がもらえなくなってしまうかなりの数の人がいることも
分かってほしい。

この諸悪の根源は、取締りとかじゃなく
根本的な解決をはかるべきであって
じゃあ、どうすべきなのか、
このあと、私の考えを、何度か話していきたいと思います。

一から
とても不思議なんですけど
人をかき集める段階で、毎回一から始める。

IT業界は、極めて大きなメリットがあって
ソフトウェアって全く材料がなくて生産できる唯一のもの。
鉄だの、木材だの、セメントだのの材料が要らない。
パソコンは何?って言われると
道具ではあっても、材料ではない。

ある部品としてのソフトを
人件費をかけて開発しました。
そこで採算が合いました、と仮定する。

次に、その部品たちを超短期間で
組み合わせるだけで欲しいソフトが出来るとすれば
原価がゼロになる。

だから、グーグルさんなんかは
ただで色んなものを使わせてくれたりする。

毎回そういうふうに作れば良いですよね。

残念ながら、そうはしない。
会社で使う業務のシステムって前提ですが
ホントに若干の部品を使うけど
その部品をどんどん良くしていこうとしない。

何故か。
毎回納期ギリギリで、採算的にもギリギリで
次にどうのと考える余裕もなく
次がやって来るから。

それでも前向きな社員さんが
頑張って作った部品。

新しくかき集められた人達は
短い時間にその部品の使い方を一から勉強しないといけない。

昔は
昔は状況的には今より良かったと思います。
かき集められる人側で前向きな人も部品を持ってたりしていた。

ああ、そうしたいんですね。
なら、良い部品持ってますよ。

ここ10年くらいでそんなことが一切出来なくなった

個人情報保護ってやつ。

昔は、家に持ち帰って仕上げてきます
っていって作りかけのソフトを持ち帰って仕事。
その中で、この辺良いなと思ったところを切り取って
次に使いやすい部品として仕上げておく。

今は、持ち帰ったり持ち込んだりの全てが、
犯罪になってしまった。

この業界をダメにした一番大きな要因だと思う。

どんどんこの傾向が強くなってきた。

昔はサテライトオフィスなんてなこと言って
会社に出勤しなくても、自宅のパソコンで仕事しましょうなんて
言ってた頃があった。

今は全くあり得ない。
仕事場に集められ、
この場所でこのパソコンでないと仕事しちゃダメ
開発用のパソコンでは、
外にメールを送ることも外からメールを受けることも、一切ダメ

かき集められる人達は
家で復習しようにも何の情報も持ち出せない。
意欲のある人にはとてもやりにくくなってしまった。

その時間だけいりゃあ良いんでしょ的な傾向が
どんどん強くなってきた。

どうするか
いけませんね。
今いる業界の話だと、愚痴っぽくなってしまいます。
私の本意はそういう事ではありません。

良くする方法がある。

その辺りの事を、次回以降で
実際にどうしていったかを踏まえてお話ししていきます。

菅原道真、このたびは〜

百人一首シリーズです。

このたびは、ぬさもとりあえず手向山(たむけやま)
もみじのにしき かみのまにまに

今度の旅では、ぬさの用意も出来ぬままに、慌ただしく出発してきてしまいました。
ですから、この手向山でたむけるぬさと致しましては
今ここに見事に織りなされているもみじの錦を、私の捧げ奉るぬさとして、神の、みこころのままにお受け取りください。

解説
この歌の詠まれた段階はまだ失脚前。
宇多上皇のお供をして、奈良に旅をした際の作。

ぬさって何かなんだけど、
当時、旅人は、路傍の道祖神の前で、
ぬさと呼ばれる細かい色とりどりの紙片や布片を撒き散らして神に捧げ
道中の無事を祈るのがならわしだった。

そのぬさを準備し忘れてしまいた。
とりあえず、というのがそれなんですが
今使われる、「とりあえずビール」のあのとりあえずではありません。
準備しわすれたという意味です。

でも良くみると、紅葉があたかもぬさのように色とりどり
このもみじをもって、ぬさをたむけたとさせてください。

ぬさはかなり重要なことで、法皇と御一緒する旅で
菅原道真ほどの人が準備し忘れるとは思いがたい。

美しいもみじを見て、
忘れたふりをして、もみじをぬさに見立てた方が
興がのると判断したのでしょう。

ともすれば、重要な忘れ物を非難されかねないリスクをおかしつつ
宇多上皇の風流心から
おお、道真よ、今日のぬさは最高だ
と言ってくれるはず
と読んだ自信。

さらにこの度とこの旅をかける掛け詞
神のまにまに、という絶妙のフレーズ

紅葉が美しかったら
こっちの作戦でいくぞと
あらかじめ歌も詠んで準備していたかも。

菅原道真
菅原道真は超有名ですね。
一度、このコラムでもお話ししましたが
おさらいしてみましょう。

菅原道真は、当時、藤原氏ばっかりの世の中で
藤原氏以外で出世した数少ないひと。

宇多天皇に重用され、さらに次の醍醐天皇にも。
順調すぎて、藤原氏が面白くありません。
藤原時平が、醍醐天皇に、
菅原道真があなたを陥れようとしていますよ、と根も葉もない耳打ち。
太宰府に飛ばされてしまう。

大事にしていた梅の木が、
道真を追いかけて飛んでいった飛梅の話は有名ですね。

天神さま
菅原道真は、浮かばれることなく、失意の内に太宰府で生涯を閉じる。

問題はここからです。

まずは藤原時平が、不審な病死。
その他にも関係した人が次々に病死。

さらに、関係者が多く会議していた、清涼殿に、まさに会議中に落雷。
死傷者が多く出る。

その後、間もなくして醍醐天皇も病死。

これは、どう考えてもたたり。

何とか、道真の怒りを鎮めるため、
お祀りしましょうと
北野天満宮を作ってお祀りする。

普通に考えて不思議だなあと思うのが
天神さま、という神様としてお祀りするというところ

関係者としては、次は私の番?
みたいなことで、お祓いしたいという位のところまでは分かるけど
神様とするって不思議ですよね。
明らかに人間です。

昔から怖いものって、怖れ多いと言うことで
神様として拝む対象。
山なんかは、暗くて怖いので神様が住んでいる。

典型的なのが雷。
災害をもたらすし、ゴロゴロドッシャーン。
こんな怖いものはないけど
雨がわんさか降るので
農作物にはメリット膨大。
これは神様でしょうと。

清涼殿落雷事件で雷が絡んだことで一気に神様になっちゃった。
天神さまで天の神様。

桑原町
桑原町は京都のど真ん中。
でも誰も一人も住んでいない。
何故なら、幅の広い道路が通っているその上だけだから。

何でそんなところに町名が付いているかというと
元々菅原道真のお屋敷が有ったところだから。

京都中に雷が落ちまくったときにも
桑原町にだけは雷が落ちなかった。
だから、くわばら くわばら、って言うんですね

雷が怖いときはぜひ桑原町に逃げてください。

11代家斉、ガンガン行きます

出ました、家斉(いえなり)、超大物です。

長さ
何がすごいって期間の長さ。
51年は将軍の中で最長です。
さらに、引退後も大御所としてさらに4年君臨します。
そこまで含めると、55年。ものすごい長さです

子作り
家斉と言えばこれですね
ガンガン行きます。
男子25人、女子27人
合計、52人
あと、即日死去が一人、流産2人
実はもっといるという説も
側室は17人です。
とてつもないガンバリ屋さんですね

どうですか皆さん。
50人以上子供作ったことあります?

まずは
まず最初の6年間は松平定信に寛政の改革をやらせる。
将軍になったのが15歳だったからまだその時は素直だったんでしょうね。
お父さんに言われたからなのかな。
自分と全く逆の性格の人を良く起用したなあと思う。

自分の親に大御所という称号を与えようとして、松平定信に怒られる。
大御所って将軍になったあとの人ですから。

さらに同時期、同じような感じで当時の光格天皇が自分の親に太上天皇の尊号を贈ろうとする
光格天皇は養子に入って天皇になったので、親は天皇じゃないんです。
これも松平定信は大反対。

この二件で、家斉と松平定信は対立が決定的となる。
家斉は失敗したと思ってたでしょうね。
この時は家斉は刀に手がかかったといいます。

松平定信は、よくある、やめてやる攻撃。
他に務まる人がいないと分かっている場合に有効な手段。
6回使いますが、6回目にはほんとにやめることになっちゃいました。

そのあと
不思議なのがそのあと。
家斉としては、超カタブツガがやめてせいせいしたはず。
さあ、羽を伸ばすぞと。

ところが、です。
くそまじめ路線が継続するんです。

寛政の遺老と言われる松平定信の弟分。松平信明たち。
松平定信は、6年だけでしたが、その後同じ路線は20年以上も続く。
とても不思議ですが、ある程度評価していたんでしょうか。

松平信明が死去し
いよいよゆるゆる路線に大転換します。

水野忠成(ただあきら)
老中は水野忠成になります。
田沼意次の息子、意正(おきまさ)も復権します。
女狂いの贅沢好き、家斉は完全にたがが外れ、やりたい放題です。

水野忠成という人物。
正直誉められた人物ではない。
政策の中で一番大きなのが、大幅に金の含有量を減らした文政小判を発行したこと。
その結果、貨幣流通量は46%も増加して幕府は550万両にも及ぶ出目(差益収入)を得たものの、激しいインフレを引き起こす原因となった

結果
家斉は女狂いの贅沢三昧。
任せた老中もどうなのよ、となれば
今までの徳川将軍シリーズ
できるだけ良いところを見るようにしてきましたが
いよいよ、この将軍だけはどうにもこうにも
となりそうです。

ところが、世の中というものは全く不思議なものです。

文化文政時代
江戸時代はどこよ
って言われると文化文政時代。
時代考証の人の本も読みましたが、
特に指定がなければ、文化文政時代を前提に考えるとのこと。

この家斉のゆるゆるの時代です。
最も江戸らしい、一番良い時代。

なんでそんなふうになったのでしょう。

経済
卑怯な方法ではありますが
小判の品質を落として、
差益で幕府は裕福になった。
そして、将軍が贅沢三昧。

江戸庶民の側からして、それがどういう意味を持つかです。
裕福な幕府が貯め込む訳じゃなく散財する。
何か作れば買ってもらえる。
どんどん、庶民の側に金が巡ってくるわけです。

財政主導型の景気浮揚策
戦後の日本の基本的な考え方と同じですね。

残念ながらあとのない一回きりの方法ですけどね。

化政文化
文化文政時代で裕福になった庶民の間で
化政文化と呼ばれる文化が花開きます

十返舎一九(じっぺんじゃいっく)の「東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)」
滝沢馬琴(たきざわばきん)の「南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)」
小林一茶(こばやしいっさ)や与謝蕪村(よさぶそん)。
錦絵(にしきえ)といわれる多色刷りの版画は流行り、
喜多川歌麿(きたがわうたまろ)の美人画。
東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)の役者絵。
歌川広重(うたがわひろしげ)「東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)」
葛飾北斎(かつしかほくさい)「富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)」
川柳もいっぱい
学問的にも花開く。

すごいっ。
綱吉の時の元禄文化は、なんだかんだいって上方中心でしたけど、
化政文化では完全に中心が江戸に移る。

家斉にあなたの無駄遣い、結果的には良かったかも知れませんね
と言ったら
何を言うか、全て計画的じゃ
と言うんでしょうね。

ああ、永六輔さんが

永六輔さんがお亡くなりになられました。

なんで寿命なんてものがあるのか。
永さんにだけは特別扱いできなかったのか。

特別な最後の人
TBSラジオのファンです。
宅配寿司をやってたときは、ずっとラジオかけてましたので。

土曜ワイド、永六輔その新世界
良い番組だった。

ああいう番組を作るのはもう無理でしょうね。

聴取率ずっとトップのお化け番組。

もちろん、永さんがいてからこそ。
粋、そのもの。
何でも知っている。
特にふだん馴染みのない、落語とか浄瑠璃とかの芸能の世界。
反戦の人。
全国行脚の人。
知識のベースが本とかだけでなく、
実際に全国を歩き回っていることから来ている。
すごみがちがう。

作詞
数々のヒット曲を作詞していますが
やっぱり
上を向いて歩こう
見上げてごらん夜の星を
明日があるさ
京都大原三千院
黒い花びら
こんにちは赤ちゃん

リバイバルだ、コマーシャルに採用だ、3.11でみんなに歌われて
といまだに何かにつけて話題になります。

あるとき、ラジオリスナーからの質問で
○○の歌詞で、こういうふうに歌う人が多いんですけど
本当はこっちですよね。

永さんの答えは
ああ、良く分かりません。
もう、私の歌ではありませんから。

普通、あれほどのヒット曲をもっていると
何かにつけて、そちらに話を持っていこうとしますよね。
永さんの頭の中では完全に自分の手から離れている。

リスナーは色々聞きたいんだけど
永さんから話し出したのは、結局一度も聞いていない。

反戦
反戦をつらぬいた人
戦争体験を語り継ぐということを続けなければと
ずっと最後まで運動していた。

3.11の前日、3/10は東京大空襲の日
どうしてもこの2日が近づくと思うことが多くなって
ある時、大空襲の話の中で感情を押さえきれなくなり
泣いてしまった。
あの日の放送は忘れることが出来ない。

お仲間
特に仲の良かった小沢昭一さん、
野坂昭如さんが先に逝ってしまった。
とてもきつかったろうなと思う。

パーキンソン病
昔の永さんは本当にすごかった。
見事に何でも知っていたし
聞いているものを独特の世界に引き入れてくれた。

ところが
パーキンソン病を発病。
自らそれを公表。

そうなると切れ味の鋭い喋りが出来なくなる。
超一流の喋りのプロから、その喋りが失われる。

残念だったね
昔はすごかったねけどね
となりそうなところ
そうはならなかった。

言っている事が良く分からない。
よほど、そばだてて聞かないと聞き取れない。
なのに
聴取率が落ちていかないんです。

私は、発病前の番組も大好きでしたが
発病後の番組の方がもっと好きでした。

永さん大好きなリスナー達が
なんとしても続けて欲しくて
一生懸命耳をそばだてて聞く。
永さんの声が聞けさえすればそれだけでいい。

うちの家族も
今日の永さんちょっと聞き取りやすいね

ありますか。こういうラジオ番組
聞き取りにくいラジオ番組なんて破綻しています。
でも、補って有り余るだけの愛情に満ち満ちていた。

永さんは本番中に、こっくり居眠りしたりしちゃうんですけど
そうすると、リスナーから
永さん、大丈夫ですか?
もうちょっとだけ起きててくださいね、というメール。

呼ばれるゲストも毎回、第一声が
まあ、永さん、お元気そうで。

発病前は、永さんが引っ張っていった番組だけど
発病後は、リスナーみんながもり立てた番組。

大丈夫、俺たちが何とかするから
永さんは絶対にいてもらわないとダメなんだからね
声だけ聞かせて、それだけでいいから
寝てても良いから、起きたら何か喋ってね。

そんな番組ありますか
低い聴取率ならまあ何とかあり得ないわけでもないかも。
でも、ずっと続くんです。
何年もその状態が。
後にも先にもあり得ないと思う
私は、そんな番組を聞けたことが幸せだと思う。

見上げてごらん 夜の星を
小さな星の 小さな光りが
ささやかな幸せを うたってる

見上げてごらん 夜の星を
ぼくらのように 名もない星が
ささやかな幸せを 祈ってる

手をつなごう ぼくと
追いかけよう 夢を
二人なら 苦しくなんかないさ

見上げてごらん 夜の星を
小さな星の 小さな光りが
ささやかな幸せを うたってる

見上げてごらん 夜の星を
ぼくらのように 名もない星が
ささやかな幸せを 祈ってる