11代家斉、ガンガン行きます

出ました、家斉(いえなり)、超大物です。

長さ
何がすごいって期間の長さ。
51年は将軍の中で最長です。
さらに、引退後も大御所としてさらに4年君臨します。
そこまで含めると、55年。ものすごい長さです

子作り
家斉と言えばこれですね
ガンガン行きます。
男子25人、女子27人
合計、52人
あと、即日死去が一人、流産2人
実はもっといるという説も
側室は17人です。
とてつもないガンバリ屋さんですね

どうですか皆さん。
50人以上子供作ったことあります?

まずは
まず最初の6年間は松平定信に寛政の改革をやらせる。
将軍になったのが15歳だったからまだその時は素直だったんでしょうね。
お父さんに言われたからなのかな。
自分と全く逆の性格の人を良く起用したなあと思う。

自分の親に大御所という称号を与えようとして、松平定信に怒られる。
大御所って将軍になったあとの人ですから。

さらに同時期、同じような感じで当時の光格天皇が自分の親に太上天皇の尊号を贈ろうとする
光格天皇は養子に入って天皇になったので、親は天皇じゃないんです。
これも松平定信は大反対。

この二件で、家斉と松平定信は対立が決定的となる。
家斉は失敗したと思ってたでしょうね。
この時は家斉は刀に手がかかったといいます。

松平定信は、よくある、やめてやる攻撃。
他に務まる人がいないと分かっている場合に有効な手段。
6回使いますが、6回目にはほんとにやめることになっちゃいました。

そのあと
不思議なのがそのあと。
家斉としては、超カタブツガがやめてせいせいしたはず。
さあ、羽を伸ばすぞと。

ところが、です。
くそまじめ路線が継続するんです。

寛政の遺老と言われる松平定信の弟分。松平信明たち。
松平定信は、6年だけでしたが、その後同じ路線は20年以上も続く。
とても不思議ですが、ある程度評価していたんでしょうか。

松平信明が死去し
いよいよゆるゆる路線に大転換します。

水野忠成(ただあきら)
老中は水野忠成になります。
田沼意次の息子、意正(おきまさ)も復権します。
女狂いの贅沢好き、家斉は完全にたがが外れ、やりたい放題です。

水野忠成という人物。
正直誉められた人物ではない。
政策の中で一番大きなのが、大幅に金の含有量を減らした文政小判を発行したこと。
その結果、貨幣流通量は46%も増加して幕府は550万両にも及ぶ出目(差益収入)を得たものの、激しいインフレを引き起こす原因となった

結果
家斉は女狂いの贅沢三昧。
任せた老中もどうなのよ、となれば
今までの徳川将軍シリーズ
できるだけ良いところを見るようにしてきましたが
いよいよ、この将軍だけはどうにもこうにも
となりそうです。

ところが、世の中というものは全く不思議なものです。

文化文政時代
江戸時代はどこよ
って言われると文化文政時代。
時代考証の人の本も読みましたが、
特に指定がなければ、文化文政時代を前提に考えるとのこと。

この家斉のゆるゆるの時代です。
最も江戸らしい、一番良い時代。

なんでそんなふうになったのでしょう。

経済
卑怯な方法ではありますが
小判の品質を落として、
差益で幕府は裕福になった。
そして、将軍が贅沢三昧。

江戸庶民の側からして、それがどういう意味を持つかです。
裕福な幕府が貯め込む訳じゃなく散財する。
何か作れば買ってもらえる。
どんどん、庶民の側に金が巡ってくるわけです。

財政主導型の景気浮揚策
戦後の日本の基本的な考え方と同じですね。

残念ながらあとのない一回きりの方法ですけどね。

化政文化
文化文政時代で裕福になった庶民の間で
化政文化と呼ばれる文化が花開きます

十返舎一九(じっぺんじゃいっく)の「東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)」
滝沢馬琴(たきざわばきん)の「南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)」
小林一茶(こばやしいっさ)や与謝蕪村(よさぶそん)。
錦絵(にしきえ)といわれる多色刷りの版画は流行り、
喜多川歌麿(きたがわうたまろ)の美人画。
東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)の役者絵。
歌川広重(うたがわひろしげ)「東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)」
葛飾北斎(かつしかほくさい)「富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)」
川柳もいっぱい
学問的にも花開く。

すごいっ。
綱吉の時の元禄文化は、なんだかんだいって上方中心でしたけど、
化政文化では完全に中心が江戸に移る。

家斉にあなたの無駄遣い、結果的には良かったかも知れませんね
と言ったら
何を言うか、全て計画的じゃ
と言うんでしょうね。

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