[百人一首]由良の門を~

由良の門(ゆらのと)を わたる舟人 かぢをたえ
行方も知らぬ 恋の道かな

由良の海峡をこぎ渡る舟人が、
櫂(かい)がなくなって行く先も知らず漂うように
このさきどうなるかわからない私の恋だなあ

曾禰好忠
曾禰好忠(そねのよしただ)は、丹後国の掾(じょう)という役人だった。
「曾丹後掾」(そたんごのじょう)と呼ばれるようになり、
やがて、ソタンと略される。
キムタクみたいな感じでしょう。
本人はその呼び方が不満だったみたいですけど。

かなりの変わり者で
俗語や、万葉集の古語を使ったりして
斬新な歌を詠んでいる。

円融院の歌会に勝手に出て
つまみ出されたというエピソードが残っている

後世では評価されるが、
当事は、ただただ異端扱いされていた。

和歌は拾遺集時代すなわち十世紀の末から十一世紀の初めにかけて、
ひとつの頂点に達したそうです。
古今集時代に出来あがった智巧的表現は、
洗練に洗練をかさね、
これ以上どうしようもないというところまで磨きあげられて、
行き詰まった。

打開する方向性として二つ。
ひとつは、技巧に走らず、ゆったりと歌い上げよう。
もうひとつは、これまでに無かった表現を自由に駆使して、
新鮮な把握をめざすもの。
前者は藤原公任によって代表されるんだけど、
後者は曽禰好忠がひとりだけらしい。

異端というだけでは終わっていない。

鑑賞
櫂のない舟で心情を表している
確かに、櫂のない舟は不安なんてもんじゃないでしょうね。
由良という場所と、ゆらゆらという音を掛け合わせているところが見事です。

由良がどこかについては、二説あり
勤務地丹後の由良川。
もうひとつは、万葉集の頃から
和歌山をさす歌枕として使われていた「由良」
すなわち由良港。
曽禰好忠が万葉集に傾倒していたことから
和歌山じゃないかということなんだけど

異端児ソタンの事
本人に聞いたら
もちろん両方だよ、と言いそうな気がする。

[昭和歌謡]4 東京五輪音頭

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズです。

東京五輪音頭
三波春夫
作詞 宮田隆 作曲 古賀政男
1963年

♪オリンピックの顔と顔
ソレトトント トトント 顔と顔

競作
三波春夫の歌とばかり思っていましたが
競作だったんですね
最初は三橋美智也
それ以外にも、橋幸夫、坂本九、北島三郎、畠山みどり
そうそうたるメンバー

その中で三波春夫が群を抜いたんですね
不思議なことに、そうなると、
他の人が歌っている東京五輪音頭はイメージわきませんね
橋幸夫はなんとなくイメージできるけど
坂本九ってどうなんの?

三波春夫
三波春夫でございます。

三波春夫と言えば、関西人の私としては
万国博覧会音頭(世界の国からこんにちは)とのセットになります。

♪こんにちは、こんにちは、世界の国から
こんにちは、こんにちは、世界の国へ
1970年のこんにちは
こんにちは、こんにちは、握手をしよう

ああ、あの笑顔がもう一度見たい。
笑顔が素敵な人ランキングでは堂々の一位でしょう。

じゅんでーす。
長作でーす。
三波春夫でございます。
のレッツゴー三匹もやっぱりセットですね。

今度のオリンピックはどんな音頭で誰が歌うんでしょう。
やっぱり初音ミクかな
最も大衆的な歌手って誰なんだろう。
氷川きよしなのかなあ。

[徳川名参謀]1家康→本多正信

徳川十五代闇将軍、という本を読みました。

徳川15代将軍シリーズを以前やりましたが
感じたのは、
一部の吉宗とかを除いては
実質政治を動かしていたのは、
参謀としての老中だったりだなあという事実。

それは、悪いことではないし
かといって、将軍の個性が時代に反映しなかったかというと
決してそうではない。
お飾りではない。

ただ、将軍以上に世の中を動かしていた人たちがいたということ。

原則、将軍一人に対して一人ずつ、名参謀として紹介していきたいと思う。

引用元の本では、闇将軍という刺激的なタイトルをつけていますが
プラスの印象である、名参謀に読み替えちゃいました。

それでは、第一代から
本多正信(ほんだまさのぶ)です。

徳川家康
家康が征夷大将軍に任じられたのが1603年。
将軍職を秀忠に譲るのが1605年。
少なくとも形式的には、家康の在位期間は2年でしかない。
もちろん、実質的には大きな影響力は持つわけだが
あまり江戸にはいなかった。

やるべき事の二つの大きなテーマとしては
権力基盤の強化と、
江戸の首都基盤作成。

大きな方針は家康が決定するとしても
細かな施策の指示命令となると
二手に分かれる必要がある。

権力基盤の強化としては
まだこの頃、京都に居る方が都合が良かった。
京都の伏見城に拠点を置く。

一方の江戸は、秀忠ともうひとり、家康から全幅の信頼を寄せられている、
本多正信に任せる事になる。

本多正信
本多正信は、徳川四天王のひとり、本多忠勝とは、遠い親戚程度。

幼い頃から家康に仕えていたものの、25歳の時に逃げ出して行方をくらます。
ほぼ20年近くも。
何故か

三河一向一揆。
家康三大危機のひとつ。
まだまだ三河での地盤が完全には固まっていない頃
トラブルが重なり、一向宗の門徒が組織的な反乱を起こす。

家康の家臣にも、一向宗の門徒がいた
さあ、どっちをとる
主君か、門徒としての信仰か

熱心な一向宗の門徒であった本多正信
信仰に決まっとる。
一揆側の司令官として家康と敵対する。

家康は1年ほどで鎮圧。
領内の安定を図るため、寛大な措置を取ろうとする。
一定条件さえ満たせば不問にきしても良いよ。

ところが、その懐柔工作に、首を縦に振らない頑固者がいた。
そう、本多正信。
今さらそんな訳にいくかい。


逃げちゃった。

逃げちゃった、っていうのも面白いね。
それだけ覚悟を決めたくせに。

戻りたいなあ。
良いきっかけがないかなあ。

家康三大危機の最後が起きる。
本能寺の変。
堺にいた家康。
いかん、すぐに三河に帰ろう。
神君伊賀越え。
ここで本多正信が奔走し
無事に帰国できた。

仕事
その後、甲斐の国を監視する奉行として実績をあげたのを皮切りに
次々と成果をあげ、信頼を勝ち取っていく。

そして、秀忠付きの年寄というポジションを任される。
年寄とは、後の老中
江戸は任せたぞ。

とにかく家康とウマがあった。
ツーと言えばカー。
それが逆に周りの反感を買った。

正信も敢えて嫌われ役を買って出たようなところがある。
言いたい事が分かるので
家康の言いにくいであろうことを言ってしまう。

自分が嫌われていることが一番分かっているので
加増を提示されても絶対に受けなかった。
1万石が1万2000石へ
たったそれだけ。

どうも、家康は何かにつけて正信に相談していたので
家康のやってきたことは、かなり正信発案ではないかという話がある。
大阪夏の陣で約束を反故にして内堀を埋めちゃったのも
どうも正信がかんでいる。

大阪夏の陣で豊臣家を滅ぼし、いよいよこれからというときに
あっさり引退して、息子、正純(まさずみ)に譲っちゃう。

家康は大阪夏の陣の翌年になくなるんだけど
その50日後に正信も亡くなるんですね。
そんなところまで気が合うんだろうか。

仏像の見分け方。弥勒菩薩。

仏像の見分け方シリーズ
前回までは如来
釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来、毘盧舍那仏、大日如来
他にも如来はいるにはいますが
これだけ押さえておけば大体大丈夫かな

今回から菩薩(ぼさつ)シリーズに入っていきます。

如来は悟りを拓いていますが
菩薩は悟りを完全には拓ききっていません。
それでも、人々を救えるのだから大したもんです。

弥勒菩薩
弥勒菩薩(みろくぼさつ)は菩薩の中では一番格上だと言えるでしょう。
弥勒如来として表現されることもあるくらいです。

釈迦如来と同格だとも言えます。
釈迦如来は紀元前5世紀に生き、死んでしまいましたが
第二のお釈迦さまが現れるのではないか
現れて欲しいという強い願いが弥勒菩薩を作り出したのかも知れません。

お釈迦さまが死んだあと
56億7千万年後にこの世に表れ
釈迦同様に、人々を救ってくれます。

随分先ですね。
気が遠くなります。
もうちょっと短くても良かった気がしますが
誰が決めたんでしょうか。

救世主仏陀の再来が約束されているわけですから
その時点をとらえれば如来と言えるわけです。
でも、今現在で言うと、まだ如来じゃないという意味で菩薩。

見分け方
弥勒菩薩を見分けるのはとても簡単です。

その前に、弥勒如来となっている仏像もあるのですが
その場合は、如来統一パターンで表されます。

今回から菩薩シリーズになるので
如来統一パターンのように、菩薩統一パターンをお話しするべきなのですが
弥勒菩薩は、統一パターンとかなり違いますので
菩薩統一パターンは次回お話しすることにします。

さあ、弥勒菩薩ですが
半跏思惟(はんかしゆい)という格好をしています。

台座に腰掛けて左足を下げ、右足先を左大腿部にのせて足を組み、
折り曲げた右膝頭の上に右肘をつき、
右手の指先を軽く右頰にふれて思索する姿


今、弥勒菩薩は、兜率天(とそつてん)というところにいるんですが
そこで、56億7千万年後に、どのように人々を救おうか
考えている格好なわけです。

千葉の市川でウォーキングイベントやったとき
右手を頬に当てている仏様の石像があったんです。
当事、弥勒菩薩の半跏思惟を知らなかったんで
どうしたんだろうね、この仏さん
歯でも痛いのかなと、盛り上がりました。
あっちでもこっちでも見つかって
こっちも歯が痛いんだねと言ってました。
考えてたのか。

布袋さん
弥勒菩薩と言えば、七福神ファンの私としては
布袋さんの話は欠かせません。

一部で布袋さんは弥勒菩薩の生まれ変わりと言われています。
弥勒菩薩は、やって来るのがあまりにも遅いので
誰かが生まれ変わりになってくれるのは大歓迎ですが
布袋さんはない。

布袋さんは布袋さんとして魅力があるので
そんな大物と一緒にされると逆に庶民性がなくなってしまいます。
スマートで慈悲に満ちた弥勒菩薩のお顔と
デブっとしてガハガハ笑っている布袋さんではイメージがちょっと・・
布袋さんが弥勒菩薩のことが好きで、
ちょっと弥勒菩薩について書いたことがあるということだけですからね
繋がりは。

他の方、是非弥勒菩薩の生まれ変わりとなっていただいて
人々を救ってくださいませ。