仏像の見分け方。十一面観音。あっちゃもこっちゃも顔だらけ

前回は変化観音(へんげかんのん)全般の話をしました。

今回から、具体的な観音様に入っていきましょう。

一番バッターは十一面観音
修羅道担当でした。

十一面観音
分かりやすいよ、見分け方
頭の上に11個顔が乗っかってたら十一面観音。
きっぱりそれだけ。
分かりやすぅ

重たそう。首こるでしょうね。

顔が多くて派手な分
手はあっさり2本というのが圧倒的に多い

数が多い
変化観音の中では、最初に出来たのがこの十一面観音。
その当時は大ブーム
やっぱり派手ですもんね
その甲斐あって、変化観音の中で日本で一番仏像の数が多い

そう言われると、正月に行った雑司ヶ谷七福神巡りで毘沙門天担当の清立院
先日行った根津神社。
結構あります。

どんな顔?
11個の顔は全部同じという訳ではありません。

1-頭のてっぺんに仏の顔
2 3 4-頭上の前っ側に3つ 菩薩の顔。慈悲に満ちた顔。
5 6 7-頭上の左側(向かって右)に3つ 瞋怒面(しんぬめん)怒っている顔。
8 9 10-頭上の右側(向かって左)に3つ 狗牙上出面(くげじょうしゅつめん)
 牙を剥いているんだけど、怒っている訳ではなく励ましているらしい。
11-後ろに1つ 大笑面(だいしょうめん)
 ええっ。一番いいやつ、後ろなの?
 回り込んで見れるってなかなかないと思うんだけど。
 ああ、見てみたい。
 webで探しました。

[徳川名参謀]4 家綱→酒井忠清、下馬将軍の汚名返上。

徳川名参謀シリーズです。

前回、家光から家綱にかけて、保科正之をやっちゃいました。
闇将軍の本では実は、保科正之ではない

家綱に対しては、酒井忠清になります。
4代、家綱は偉大なる左様せい様もよろしくね

酒井忠清
なぜ酒井忠清になっているかには、理由があります。

家綱は、少年11歳で将軍になった左様せい様なので
色んな人が支える。

逆に言うと人の使い方がうまかったとも言える。

前半と後半に分かれ
特に前半は実質4人体制で支える

松平信綱、保科正之。この二人はお馴染みです。
あと、阿倍忠秋
そして酒井忠清。

ただ、後半は他の三人が亡くなったり、引退したりで
実質、酒井忠清が一人で切り盛りすることになる

評判
どちらかというと、後半は酒井忠清が独断専行の政治を行ったことになっている
下馬将軍というあだ名で、悪くとらえられる。

本当にそうでしょうか。

経緯
酒井忠清がなぜ老中に、さらにその上の大老になったか
答から言うと、家柄です。
大老を出すのはここからしかだめ、という4つの家
井伊家、酒井家(雅楽頭流酒井家)、土井家、堀田家の内の酒井家だから

ある意味、産まれながらにして決まっていると言って良い。
松平信綱、保科正之よりも上。

将軍になるのは徳川家
徳川宗家、
尾張徳川家、紀州徳川家、水戸徳川家(御三家)
田安徳川家、一橋徳川家、清水徳川家(御三卿)
そして、長男じゃないので、分家していって、
徳川を名乗るのが許されなかったのは、みんな松平家
ここまでは親戚で、親藩(しんぱん)

親戚が政治を行うのは良くないという
ある意味まっとうな考え方で、
親藩は老中になれない。

譜代大名という関が原以前からの家来が老中になれる
その中でも格上の4家だけが大老になれる。

松平信綱、保科正之は?
そう、本来、親藩側なので、政治に携わっちゃいけない
でも、家光の特別扱い。
お兄さん代わりの松平信綱。
家光が、死に際に直々に枕元に呼んで
家綱の事を頼む、と託した保科正之

11歳の少年将軍なので、家光の体制をそのまま引き継ぐのは当然。
でも、ちょっとだけ抵抗したかった。
家柄充分で反対が出るはずのない酒井忠清を就任2年目で抜擢
忠清30歳の大抜擢、かつ松平信綱より上位の老中筆頭に据える。
さらにその後、大老へ

ちなみに、保科正之は、将軍の後見役としての役割なのでちょっと違います。

家光の特別扱いより、家柄重視という原則論に戻します

ラッキー
ラッキーな事が二つ

忠清が単に家柄だけでなく、実力も、考え方も素晴らしい
超一流の人物であったこと。

市中を自ら巡察して乞食と出会ったとき

本当の仁政とは乞食に何を施すかではなく、
乞食が生まれないようにすることだ

もうひとつのラッキーは
松平信綱も、保科正之も人格者であったこと
この若造に何ができる、蹴落としてやる、なんて考える訳がない。
二人とも苦労人中の苦労人。
お互いを尊重しつつ、仕事を協力し合って進めていける。

ここまで超一流の人材が集まって、一致団結して政治
将軍はというといらんこと言わない左様せい様

家綱前半期こそ、徳川260年のうちの黄金期なんじゃないだろうか。

後半
そして、後半がやって来ます。

独断専行?

何をおっしゃるうさぎさん。

超一流の人達がいなくなったんですよ。
その人達に、忠清も鍛えてもらったと言って良い
入れ替わりの老中たちも彼らに比べると見劣りする。
俺が一人で何とかすると思うでしょう。
将軍は歳は重ねて、多少頼れるようにはなったようですけど
左様せい様は性格。おそらく良い性格。

下馬将軍
下馬将軍ってあだ名は何?
将軍の前でも下馬しない(馬から降りない)ととらえられがちですけど
いくらなんでも、そんなことある訳ないでしょう。
単に屋敷の前に下馬札(登城の際、ここで馬を降りなさいという札)が立っていただけのこと。

伊達騒動
仙台藩でお家騒動が起きる。
伊達政宗から3代目の綱宗。
これがまあひどかった。遊興放蕩三昧。
困った叔父さんが、忠清に相談。
忠清の裁定で綱宗を無理矢理引退させ、まだ2歳の綱村に跡を継がせる。

はい、一件落着。

にならなかった

綱村がまだ2歳なのを良いことに
われもわれもと、派閥争いが勃発。
どろどろのぐっちゃぐちゃ。

当事者達が、忠清に再び裁定してもらおうと
江戸の忠清邸に集まる。

そこで大事件勃発。
気持ちが高ぶった一方の原田宗輔が
その場で相手を刀で、切り殺しちゃった。
何を思ったか、勢い余って、忠清の家臣にもおそいかかる。

こっち来たー
忠清の家臣は、応戦して、原田宗輔を殺しちゃう

こんな大事件の刃傷沙汰。
江戸の庶民が放っておくはずがありません。
伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)という人形浄瑠璃や歌舞伎の演目になっちゃいます。
より面白くするため、敵役が必要。
性格の悪い、老中が、という設定。

人気演目になっちゃうと当然そのキャラクターで
庶民は信じちゃいます。

忠清、やなやつー

正当な評価をしましょうよ。

[百人一首]49 みかきもり~、ここに置くのね

みかきもり 衛士(えじ)のたく火の 夜は燃え
昼は消えつつ 物をこそ思へ

御垣守(みかきもり)である兵士のたく火が、夜は燃え昼は消えているように、私の恋の炎も、夜は燃え昼は消え入るばかりに、物思いに沈んでいる。

大中臣能宣朝臣
大中臣能宣朝臣(おおなかとみのよしのぶあそん)は
代々伝わる伊勢神宮の最高責任者の家柄。
自分も祭主をつとめている。
朝臣もついていて、位も高いと思われる。

第61首の伊勢大輔(いせのたいふ)のおじいちゃんでもある。
代々伊勢神宮だから、伊勢なんですね。

鑑賞
まずは、みかきもり、と衛士。
御垣守(みかきもり)は、宮廷を警護するガードマンのこと
衛士は、その内、特に出張で都に来ているガードマン。
御垣守、衛士は夜にかがり火をたく。
電灯なんてないので、そうしないと真っ暗でやられ放題。

恋を「不安定」で表現しています。
思いが募って、もうどうにかなってしまいそう、って歌は多いんですが
この、不安定ってところに目をつけたのは素晴らしい。

ちょっと、あれひょっとして、みたいなことがあると
嬉しくて嬉しくてやたらにハイテンション。
この世の春は私のもの!
ところが、いやあ、ダメなのかなあと思うことがあると
どどーんと落ち込む。
この世に春はない!

これを、毎日ついたり消えたりのかがり火に例えたんですね。
思ひ、って「ひ」なので「火」に例えるのはよくあるんだけど
燃えて消えてにしたのは、見事です。

リズム
この歌のいいところは、リズムです。
すうっと最後まで流れるように読める。
衛士「の」たく火「の」でリズムを作り
夜昼では、「・るは・え」で意味だけでなく音も対比させる。
そして、も、の配置で全体のリズムを作る

言われてみれば、かなり考えているんだなあ。

対比で
実は、作者、大中臣能宣朝臣だけでなく
選者、藤原定家の妙もある

第48首の
風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ
くだけて物を 思ふころかな

と、この

みかきもり 衛士(えじ)のたく火の 夜は燃え
昼は消えつつ 物をこそ思へ

を対比できるように並べて置いたこと
物を思ふシリーズ行きます。
どっちが好きですか?って

一方が水で、一方が火。
どっちもよせては返すんだけど
前の方は、何度も何度も、強くぶち当たる感じが強調されているけど
後ろの方は、燃えては消えるという山谷山谷が強調されている

すごいわ、藤原定家!

[明治]日本初のミスコン優勝者ひどく泣く。その後は?

教科書には載っていない!明治の日本
という本を読みました。

文明開花大好き人間としてはたまらない本です。
色んな意外なエピソードが、いっぱい詰まっています

ミス・コンテスト
今じゃ当たり前のミスコン。
明治にもあったんですね。

美人コンテストと広くとらえると
江戸時代にも存在している。

ただ、それは「クロウト」さん。
芸妓さん。

美しさは商売道具なので
美しさを競うという企画にも

受けてたちましょう。

1904年(明治37年)に始まった日露戦争では
慰問品として、美人画の絵葉書に人気が集まる。
ここでもモデルは芸妓たち。
グラビアアイドルっていうことでしょう。

女学生ブームというのもあったんだけど
これも女学生に扮した芸妓たち。

シロウトが外見だけを磨くなどということは、恥ですらあった。
クロウトとシロウトには明確な線が引かれていた。

一般女性
そんな中、とうとう風潮を打破する一般女性に限ったコンテストが行われる。
1908年(明治41年) 時事新報社という新聞社主催のもの

世界と肩を並べるための文化事業として
女性の美を審査しよう。

日本美人写真募集

写真だったんですね。
水着審査とかじゃない。

全国各地に住む良家の淑女が対象になります。

スポンサーも付いて、現在にして2~3000円相当の優勝商品。
7000名も応募があります。

優勝
栄えある栄冠を勝ち取ったのは、末弘ヒロ子さん。
学習院女子部3年生、16歳。

自分で応募したわけではなく、義兄が勝手に郵送。
ハイハイ、よくそういうこと言うよね
と思いきや、本当にそう。

義兄は当時未だ珍しい、職業写真家。
練習でヒロ子さんを写した。
出来映えが良かったので、どこかに出したかったんだけど
ヒロ子さんが大抵抗。

やめてくださいね。絶対にやめてくださいね。

お兄さんは、自分の技術がどの程度評価されるか純粋に知りたい。
このコンテストだったら、優勝しない限りはバレないだろう。

えっ、優勝しちゃったの。

もちろん本人の美貌なんだけど
やっぱり写真の技術もありますよね。
影の付け方なんてプロっぽいですよね。
そんな写真で送られたのは少ないでしょう。

なんと7000名いるのに審査員の満場一致。

困ったよ、どうしよう?
でも、優勝したと知ったら、ヒロ子も喜んでくれるかも。

ヒロ子、ひどく泣く。
そんなことをされては嫌です。必ず兄様が新聞社から写真を取り戻して下さい

困ったのが、時事新報社。
何せ気合いの入り方が半端じゃない。
そもそも、満場一致だから次点がいない。
日々、説得に出向く。

ヒロ子も時事新報社の熱意にとうとう折れる。

発表!

日本中がひっくり返ったような大騒ぎ。
一夜にしてスーパーアイドルになってしまった。

一等にあたったなんぞって、私は困ります。
兄様の写真は一等か存じませんが、私は一等ではありません。

すると
万事パッピーと思いきや
なんと言っても日本初のこと
えらいことがおきます。

学習院の院長にあの陸軍大将、乃木希典(のぎまれすけ)が前年に就いたばかり。
女子部部長に松本源三郎。

松本部長が
「女は虚栄心の盛んなるもの。…本人が虚栄心に駆られて自ら応募せしならば…」
要はけしからん、ということで
退学処分。
乃木院長は、よきにはからえ。

怒ったのは、時事新報社。
そりゃそうです。そういう考え方を変えたいとの企画なのだから。
学習院からは、末弘さん以外も応募しておられます。
たまたま優勝したという人だけ退学処分はおかしくないですか。
と、紙面ででかでかと抗議。

そうなると、逆に学習院側も引けなくなる。
分かりました。では全員退学です。

まさかここまで話が大きくなるとは
ヒロ子が真っ先に考えたのは
私はいい。兄様にだけは迷惑が及ばないようにしないと。

口を堅く閉ざした。

乃木希典が
退学処分後、しばらくして、乃木希典が、ある事実を耳にする。

本人が応募したのではなかった。

知ってたのか、部長!
すみません、全く知りませんでした。

えらいことをしてしまった。
全く前提の事実が違っていた。
なぜ、それを言ってくれなかった・・

一人の若い女性の人生を奪ってしまった。
最大の罪滅ぼしをしたい
知恵をしぼる。

当時の女性にとって、最も憧れなのは何か
縁談。

そういう時代です。

極上の縁談をセットしよう。
東奔西走するも、中途半端では、乃木本人が納得できない。

乃木と同じ、陸軍大将、野津道貫に話を持っていきます。
陸軍の名誉をかけて。

息子さんをひとつお願いできないだろうか。
野津道貫も大乗り気
やっぱり美人がいいんですね。

鎮之助。
野津道貫の長男で、侯爵でもあり、貴族院議院になることも決まっていました。

この、極上中の極上の縁談を手土産に、乃木が謝罪に訪れる。

ビックリしたのは両親。
日本でダントツの英雄、乃木希典が家に来る
それだけでも卒倒しそうなのに。
そんな桁違いの縁談話。
許すも許さんもありますかいな。

慎んでお受けいたします。

とても仲の良い、理想的な夫婦になったそうですよ。