[明治]日本初のミスコン優勝者ひどく泣く。その後は?

教科書には載っていない!明治の日本
という本を読みました。

文明開花大好き人間としてはたまらない本です。
色んな意外なエピソードが、いっぱい詰まっています

ミス・コンテスト
今じゃ当たり前のミスコン。
明治にもあったんですね。

美人コンテストと広くとらえると
江戸時代にも存在している。

ただ、それは「クロウト」さん。
芸妓さん。

美しさは商売道具なので
美しさを競うという企画にも

受けてたちましょう。

1904年(明治37年)に始まった日露戦争では
慰問品として、美人画の絵葉書に人気が集まる。
ここでもモデルは芸妓たち。
グラビアアイドルっていうことでしょう。

女学生ブームというのもあったんだけど
これも女学生に扮した芸妓たち。

シロウトが外見だけを磨くなどということは、恥ですらあった。
クロウトとシロウトには明確な線が引かれていた。

一般女性
そんな中、とうとう風潮を打破する一般女性に限ったコンテストが行われる。
1908年(明治41年) 時事新報社という新聞社主催のもの

世界と肩を並べるための文化事業として
女性の美を審査しよう。

日本美人写真募集

写真だったんですね。
水着審査とかじゃない。

全国各地に住む良家の淑女が対象になります。

スポンサーも付いて、現在にして2~3000円相当の優勝商品。
7000名も応募があります。

優勝
栄えある栄冠を勝ち取ったのは、末弘ヒロ子さん。
学習院女子部3年生、16歳。

自分で応募したわけではなく、義兄が勝手に郵送。
ハイハイ、よくそういうこと言うよね
と思いきや、本当にそう。

義兄は当時未だ珍しい、職業写真家。
練習でヒロ子さんを写した。
出来映えが良かったので、どこかに出したかったんだけど
ヒロ子さんが大抵抗。

やめてくださいね。絶対にやめてくださいね。

お兄さんは、自分の技術がどの程度評価されるか純粋に知りたい。
このコンテストだったら、優勝しない限りはバレないだろう。

えっ、優勝しちゃったの。

もちろん本人の美貌なんだけど
やっぱり写真の技術もありますよね。
影の付け方なんてプロっぽいですよね。
そんな写真で送られたのは少ないでしょう。

なんと7000名いるのに審査員の満場一致。

困ったよ、どうしよう?
でも、優勝したと知ったら、ヒロ子も喜んでくれるかも。

ヒロ子、ひどく泣く。
そんなことをされては嫌です。必ず兄様が新聞社から写真を取り戻して下さい

困ったのが、時事新報社。
何せ気合いの入り方が半端じゃない。
そもそも、満場一致だから次点がいない。
日々、説得に出向く。

ヒロ子も時事新報社の熱意にとうとう折れる。

発表!

日本中がひっくり返ったような大騒ぎ。
一夜にしてスーパーアイドルになってしまった。

一等にあたったなんぞって、私は困ります。
兄様の写真は一等か存じませんが、私は一等ではありません。

すると
万事パッピーと思いきや
なんと言っても日本初のこと
えらいことがおきます。

学習院の院長にあの陸軍大将、乃木希典(のぎまれすけ)が前年に就いたばかり。
女子部部長に松本源三郎。

松本部長が
「女は虚栄心の盛んなるもの。…本人が虚栄心に駆られて自ら応募せしならば…」
要はけしからん、ということで
退学処分。
乃木院長は、よきにはからえ。

怒ったのは、時事新報社。
そりゃそうです。そういう考え方を変えたいとの企画なのだから。
学習院からは、末弘さん以外も応募しておられます。
たまたま優勝したという人だけ退学処分はおかしくないですか。
と、紙面ででかでかと抗議。

そうなると、逆に学習院側も引けなくなる。
分かりました。では全員退学です。

まさかここまで話が大きくなるとは
ヒロ子が真っ先に考えたのは
私はいい。兄様にだけは迷惑が及ばないようにしないと。

口を堅く閉ざした。

乃木希典が
退学処分後、しばらくして、乃木希典が、ある事実を耳にする。

本人が応募したのではなかった。

知ってたのか、部長!
すみません、全く知りませんでした。

えらいことをしてしまった。
全く前提の事実が違っていた。
なぜ、それを言ってくれなかった・・

一人の若い女性の人生を奪ってしまった。
最大の罪滅ぼしをしたい
知恵をしぼる。

当時の女性にとって、最も憧れなのは何か
縁談。

そういう時代です。

極上の縁談をセットしよう。
東奔西走するも、中途半端では、乃木本人が納得できない。

乃木と同じ、陸軍大将、野津道貫に話を持っていきます。
陸軍の名誉をかけて。

息子さんをひとつお願いできないだろうか。
野津道貫も大乗り気
やっぱり美人がいいんですね。

鎮之助。
野津道貫の長男で、侯爵でもあり、貴族院議院になることも決まっていました。

この、極上中の極上の縁談を手土産に、乃木が謝罪に訪れる。

ビックリしたのは両親。
日本でダントツの英雄、乃木希典が家に来る
それだけでも卒倒しそうなのに。
そんな桁違いの縁談話。
許すも許さんもありますかいな。

慎んでお受けいたします。

とても仲の良い、理想的な夫婦になったそうですよ。

[明治]日本初のミスコン優勝者ひどく泣く。その後は?」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: [歳時記]9/7 第1回ミス・アメリカコンテスト | でーこんのあちこちコラム

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です