[昭和歌謡]120 もしもピアノが弾けたなら

もしもピアノが弾けたなら
西田敏行
作詞・阿久悠、作曲・坂田晃一
1981年

♪もしもピアノが弾けたなら
思いの全てを歌にして
君に伝える事だろう

ピアノが弾けたなら
ピアノが弾けようが弾けまいが
思いの全てを君に伝えりゃええやん

ピアノを弾いてくれることを待ってるとも思えん

好きやねん
って、言っちゃえ言っちゃえ

ただ、それとは別に
ピアノが弾けたならものすごく楽しいでしょうね
ピアノだけじゃなく
楽器全般ことごとくダメだったからなあ。

小学校の時、リコーダー(縦笛)だけは得意だったけど。
クラスで2番目にうまかった。
一人、とんでもなく巧いのがいてね
テクニックというより音色。
あいつが吹くと極端に澄んだ音色。
思い出した。別府君

高校のとき、フォーク同好会の会長やってたんだけど
驚くべき事に、びっくりするほどギターが下手
良くやれてたもんです。

当然のように、大学入ってからは、楽器など何にもさわりませんでした。

西田敏行
今世紀最高の俳優なんじゃないでしょうか
コミカルとシリアスの両方で超一流なんて普通無理ですよね
どっちかのイメージになっちゃいますからね

大河ドラマでは不可欠な存在、って感じしますね
徳川家康なんて西田敏行とイコールなんじゃないの?と思っちゃう

今やろうと思ったのに言うんだものなあ
のコマーシャルも良かったなあ

[昭和歌謡]シリーズはこちら(少し下げてね)

早稲田界隈を歩く、の続き

早稲田界隈を歩く
の続きです。

穴八幡神社は省略し

戸山荘
戸山荘は尾張藩の下屋敷です。
おそらく、江戸時代の庭園で最も優れた庭園がここ戸山荘でしょう。

とにかく広い
元々、春日局の親戚で大奥の超大物、祖心尼(そしんに)に与えられた広大な済松寺という寺院があるのですが
そこから、尾張藩の二代藩主徳川光友が譲り受けたから
祖心尼の孫娘が、光友に嫁いだんです。

巨大な池を掘り、その土を盛り上げて大きな築山
明治になって、「箱根山」と呼ばれるようになります。
山の手線内で一番高い山、44.6m

ただ、光友が代替わりすると、広すぎて維持費がかかりすぎ
ほおって置かれ、荒れ放題

ずっとあとの、徳川将軍で言うと、11代将軍家斉のとき
おもてなしがとっても重要になる

ポテンシャル最高の戸山荘も復活するぞ!
でも、この時期お金がない
絢爛豪華さで抜きん出ようとするといくら金があっても足りない
よし、アイデア勝負だ

殿様って、東海道で参勤交代する藩であれば、小田原宿を通る
篭の中から町の様子は見ている

小田原宿をそのまま再現

そうじゃそうじゃ、小田原宿じゃ

おもてなしされる将軍や各藩の殿様が
やりたくてもできないことをやらせてあげよう。

お買い物

おもてなしするときだけ、店を開け
商品を並べる

安いよ安いよ
小田原名物、ういろうはいかがですかぁ

初めて自分の手で買ったういろうは格別

今の戸山公園内ではなく、若干離れている、この場所

刑死者慰霊塔
余丁町自動公園の中に、慰霊碑がある

このあたりは市ヶ谷刑務所だったところ
明治8年、伝馬町の牢屋敷がここに移る

大久保利通を暗殺した島田一郎や、幸徳秋水が処刑されたのがここ
相変わらず、首切り浅右衛門が刑を執行したんです。

実際の処刑場はもう少し行ったところに
青峰観音というのがある場所

市谷監獄が移転した跡地一帯の土地を大正の始めに箱根土地会社(現、国土開発)が払い下げ
宅地に整地して分譲

刑場のが幾多の霊を弔うため、社長、廣部清兵衛氏が
等身大の立派な聖観世音菩薩の銅像を建立

高村光雲作。高村光太郎のお父さんで、上野の西郷さんの銅像を作った人

観音様は地元住民に親しまれて来た。

ところが、昭和16年太平洋戦争がはじまり、
金属供出

この観音様も。

バチ当たりますよね。

昭和24年4月、このあたりは、大空襲で焼け野原
戦後、徐々に疎開先から戻ってきた住民たちが

もう一度観音様を作ろうじゃないか

それが、この観音様です。

大久保の犬御用屋敷跡

時代は江戸時代に戻り
5代将軍綱吉の時

生類憐れみの令です。
飼い主のいない野良犬も丁重に保護する必要があります。

ここ大久保と四谷と中野に野良犬保護施設
何と十万匹もいる広大なものです。

ここは手狭になってしまい、中野に移してここは廃止になります。

ワンワン

稲荷鬼王神社
平将門を祀る神社
平将門の幼名が鬼王と言うんです。

水琴窟が二つもあり
竹筒に耳をそばだてる

キンキン キンコン キーン

ここの手水鉢が面白い

鬼が抱え上げている

この手水鉢、元は加賀美家の屋敷にあった
毎夜、誰かが水を浴びているようなおかしな物音

曲者!
ある時、刀を降り下ろした

確かに手応えはあったが曲者はどこにも見当たらない。

すると、そのあと
加賀美家に不幸な事が立て続けに起こった。
良く良く見ると、手水鉢に刀傷

その後、稲荷鬼王神社に奉納された

[お出掛け]シリーズはこちら(少し下げてね)

早稲田界隈を歩く

高田富士を歩くイベントをこの23日海の日に行います。
一度下見をしていますが
高田富士の続き
再度の下見です。

亮朝院
赤門です。
地元の人たちは親しみを込めて「赤門さん」と呼んでいるらしい。

四代将軍徳川家綱から将軍家の祈祷所として、
自筆の御筆を賜っています

それにしても謎。
赤門の基準が分からなくなってきた。
将軍家の娘が三位以上の大名家に嫁ぐ場合は、
御守殿(ごしゅでん)と称して赤門が作ることが許される。
本人存命中以外は再建が許されないので
御守殿としての赤門は現在まで残っているのは珍しく
東大の赤門はかなりレアケース。

あと、門跡(もんぜき)寺院
皇室や公家が住職をつとめる、特別な寺院。
門跡寺院が全て赤門って訳ではないので
さらに条件がいると思うんだけどどうも良く分からない。

亮朝院は、将軍家の祈祷所だといえ、上のいずれにも当たらない気がするんだけど。
歩いた中で言うと、北千住の専勝寺も赤門だったんですよね。
2代将軍徳川秀忠公の鷹狩のご休息所になっていたので
将軍家がらみではあるんですけどね。

高田富士
一番の目的は、高田富士が7/23のイベント当日登れるのかの確認。
ネットを調べたところ、毎年7月の海の日とその前日だけ、山開きとして登る事が可能
それを見込んでイベント立てたんだけど
今年って色々例年通りじゃないものがあるので心配
高田富士のある水稲荷神社に行ってみると
張り紙ひとつ貼っていない。

先週行った小野照崎神社の富士塚は山開きの4日前で、ペタペタ山開きのポスターが貼ってあった。

まずいっ
確認せねば
社務所とかには人がいないので、おそらく神職の方が住んでおられるであろうお住まいで
ピンポーン

結論的に言うと
残念!
今年は高田富士には登れません

やられたっ
心配していたんだけどやっぱりそうか
お祭りの一部なんだけど、お祭り自体中止らしい

早稲田大学
高田富士って東京に数ある富士塚の中でも一番最初に出来たもの。
その場所は、今の早稲田大学の構内。
前回はたまたま大学の受験日で中に入れなかった。

説明書きがある筈なので確認しましょう
これか?

直接「富士塚」と表現されていないので気になるところではありますが
場所的にはここの筈

宝泉寺
こうなったら頼みは宝泉寺
高田富士の元々の場所、さっきの早稲田大学内の場所って
元々は宝泉寺という大きなお寺さん内にあった
前回、伺った時におそらく住職の奥さんであろう人に色々伺った。

最初に高田富士を作った時の岩
本当の富士山から持ってきたものなんだけど
それも保管してあって
宝泉寺としても富士塚を作って
「元祖・高田富士」みたいに。

その時、住職さんがおられなくて直接お話は伺えなかったんですが
今日はもしかして。

事務所には誰もおられなかったんですが
たまたまその時宅配便
どなたかが受け取られたんで、後ろの方から声をかけた
すみませーん

事務所の方に出てきていただいてお話

今度7/23に高田富士でイベントやるんですけど
この前、富士山の岩を取ってあるみたいな話も伺ったので
もしご迷惑でなければその時多少お話を伺えないかと思いまして。

奥に住職さんに聞きに行ってくれたんだけど
残念ながら、法事のお仕事中
電話番号を教えていただいて、のちほどお電話下さいとのこと
ありがたや。

早稲田大学

今、明治シリーズもやっているので、大隈重信の資料館的なものもあると嬉しいな

結論は
あったんだけど閉館中
大隈庭園もそうなんだけど
基本的に大学が休みの時は休みらしい。
まあ、そりゃそうか

銅像はあったぞ

さすがはりりしい。
早大生は全員頭良いけど、その早稲田大学を作った人ですからね
次元が違います。

右足あるけど、杖ついてますね。
政治団体玄洋社の来島恒喜(くるしまつねき)に爆弾テロで右足を爆破された。
見えているのは義足ということでしょう。

電話
食事したあと

そろそろ電話良いかな

プルルルル

すみません、先程お伺いした佐々木と申します。

いくつかお話しし、当日ご説明いただくことの快諾をいただきました。
ああ良かった。
高田富士に登れないことは残念だけど
貴重なお話を伺えそうです。

お出かけの続きは明日ね

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

娘の新居はどんなかな

長女が嫁入りして、一週間

なかなかこの状況に慣れません。
常に「何かが足りない」感じ

新婚さんは幸せにやっているかなあ。

電話がかかってきました。

どう?新婚気分は

95%段ボール

あらま、ほんまか
あとの5%は新婚気分やな

うううん

ようやくキッチンにたどり着けたとかで
料理している写真が、ラインで送られてきた。

おおおっ。料理してるやん

旦那が。

 

色んな物を置いていった。

カミさんが整理していると、
そこそこ高級な顔パックが見つかった。

クイズです。
これは誰でしょう

もうほんまに大変やわ
こないにようけ
勿体ないわ
どんどん綺麗になってまう

ほんまやなあ
明らかに綺麗になったわ
どう?
ツルツルになるん?

うううん
ねとねと、ああ気持ち悪

色々持って行き忘れたものがあるらしく
ちょこちょこラインが来る

フライパンの蓋
輪ゴム
ケチャップ
体重計

しゃあないなあ
持って行ったるか

結局、長女の大好物で私の得意料理、グラタンの作り方を伝授出来ないままだったから
その材料とグラタン皿も持っていって、伝授してあげましょう。

新居
もうほとんど片付いていた。
段ボール10%くらい

新築だからとても綺麗。
町内会の会館の2階で立て直したばっかり。
おしゃれなテーブルやソファも置いてあって
若い新婚夫婦の部屋みたい。

やるじゃん。

じゃあグラタン作りましょう。
玉ねぎのみじん切りは、縦横斜めで、こうやって

うーん
まあ、徐々に慣れるでしょう。

ブロッコリー、ゆで卵、マカロニは予め下ごしらえしたのを持っていきました。
ホワイトソースもコツを伝授したのでうまくいって

オーブントースターは買ったばかりの、箱から出したて
第一号料理がグラタン

出来上がりは、写真を撮るのを忘れましたが
とても美味しかった。
おそらく、私が生涯食べたグラタンの中では一番美味しい。

どうですか
一緒に暮らしてみて、思っていたのと違うって色々あるでしょう。

思ってたより、いっぱい色々やってくれます。

こりゃまた意外な答。

ほらあ

下打合せしておいた答なんだけどね

色んな話をして
江戸の各名所の話なんかも嫌がらず相槌打ちつつ聞いてくれる
話す度に、いやあ、いい人と結婚できたなあ、とつくづく。

でもさすがに先週行った、伊能忠敬の墓の話になりだすと

ちょっとぉ
無理して聞くことないんだからね

さすがは長女。
止め時を分かっています。

伊能忠敬と高橋至時が始まると、30分は戻ってこれなくなりますから。

じゃあ、伊能忠敬は次回ということで。

笑顔の絶えない良い夫婦だと実感でき
良かった良かった。
今日の目的達成。

新居の千川って
我々夫婦が結婚して一番最初に住んだ場所と近い
ホントにたまたま。
いったいあそこはどうなっているんだろう。

これから、どうされるんですか

せっかく来たので
最初に住んでいた場所を探して見ようと思うんですけどね
もう30年以上も昔の話。

一緒に行ってきなよ

ということで、長女とともに
佐々木夫婦始まりの地探索の旅へ

この緑の繁っている場所、見覚えあるぞ
あっ、この坂。これこれ。
この坂の気がする。

あったぁ。これだ!

夫婦で近くの喫茶店に行き「UNO」をずっとやっていたなあ。
その喫茶店はもう無かった。

長女が不動産検索で調べると築30数年らしい。
住んでいた時はかなり築浅だったんですね。

歩いて10分ちょっとのところに、時代を越えて
二組の夫婦の始まり。

これは運命なんでしょうか
いえいえ、単に偶然です。

[家族]シリーズはこちら(少し下げてね)