旧暦でも太陽暦を使っていた(二十四節気)

「旧歴で読み解く日本の習わし」を読んでいて、とても驚きました。

それって丸々太陽暦じゃないの!

二十四節気
啓蟄(けいちつ)だの大寒(だいかん)だの聞いたことはありました。

簡単におさらいです。

月の満ち欠けの1サイクル29.53日を一月とし、
12ヵ月で1年としたのが旧暦
でも、29.53×12=354日は365日より11日短い。
3年たてば1ヵ月分もずれるので、約3年に1回閏月をもうけてその年は13ヵ月ある。
結局は太陽の一年の動き(365日)に合わせようとしているので太陰太陽暦と言います。

啓蟄(けいちつ)だの大寒(だいかん)だのは二十四節気(にじゅうしせっき)と言うんですが
いつも旧暦の話の中で話題になるので
太陰太陽暦の中で、季節を表現するために区切った表現だと思い込んでいました。

逆だったんですね。

二十四節気は太陽暦だった。

太陰太陽暦だと、閏月のある年とない年で、何月何日から田植えをしようという日が結構ずれる
不便なので、太陽暦も使おう。
一年365日を4つに分け
昼と夜の時間が全く一緒の日を春分、秋分
昼が一番長いのを夏至、短いのを冬至
これで、春夏秋冬が分けられる。
さらにそれを半分に割る(1/8)と、ここからが春夏秋冬ですよという
立春、立夏、立秋、立冬になる
半分じゃなく3で割ってみましょう
すると1/12になって太陽暦の月と同じ長さになるわけです。
これを節と呼んでいます。
1月節は立春と一緒、2月節は啓蟄、3月節は清明というふうに名前がついています。

さっきの1/8の8と12の最小公倍数が24なので、二十四節気という事です。

二十四節気名 月 新暦の日付
【春】
立春(りっしゅん) 1月節 2月4日頃
雨水(うすい) 1月中 2月19日頃
啓蟄(けいちつ) 2月節 3月5日頃
春分(しゅんぶん) 2月中 3月21日頃
清明(せいめい) 3月節 4月5日頃
穀雨(こくう) 3月中 4月20日頃
【夏】
立夏(りっか) 4月節 5月5日頃
小満(しょうまん) 4月中 5月21日頃
芒種(ぼうしゅ) 5月節 6月6日頃
夏至(げし) 5月中 6月21日頃
小暑(しょうしょ) 6月節 7月7日頃
大暑(たいしょ) 6月中 7月23日頃
【秋】
立秋(りっしゅう) 7月節 8月8日頃
処暑(しょしょ) 7月中 8月23日頃
白露(はくろ) 8月節 9月8日頃
秋分(しゅうぶん) 8月中 9月23日頃
寒露(かんろ) 9月節 10月8日頃
霜降(そうこう) 9月中 10月24日頃
【冬】
立冬(りっとう) 10月節 11月7日頃
小雪(しょうせつ) 10月中 11月22日頃
大雪(たいせつ) 11月節 12月7日頃
冬至(とうじ) 11月中 12月21日頃
小寒(しょうかん) 12月節 1月5日頃
大寒(だいかん) 12月中 1月21日頃

夏至とかを季節の中心に置いているから
今の太陽暦より、もっと太陽の動きに直接的。
「純太陽暦」とも言える。

昔の人は太陰太陽暦と太陽暦の両方を使いこなしてたんですね。
すごすぎます。

おかしいと思ってたんです。
伊勢神宮が暦を配って大人気、とか
確かに今でも、カレンダーは一家にひとつ以上あるけど
そこまでありがたがるかね、と

太陰太陽暦と太陽暦の変換表が暦だとすると
これは、365個の数字を曜日ごとに機械的に並べればすむ現代と違い
専門家がちゃんと作らないと出来ません。
大の月、小の月の並び、閏月のあるなしも毎年違う
さらに、農作業上、二十四節気が分からないと仕事にならん
となると、暦がいかに有難いものかが分かりました。

季節感
ひとつ問題があるとすると
季節感の肌感覚と春夏秋冬の区分が合わないという事でしょう。

春分、夏至、秋分、冬至を季節の真ん中と決めちゃって
そこからの前後3ヵ月分を春夏秋冬にしちゃったところ

地球って、日が一番長くあたる夏至が一番暑い訳ではなく
そこから地表がどんどん熱くなっていって、
2ヵ月近く先に一番暑いピークを迎える。

感覚より、科学的計算の方を優先しちゃった。
ある意味すごいと思うんですけどね。

8月8日から、はい秋です、って言われてもねえ。

立春、立夏、立秋、立冬は計算上のものとあきらめて
大寒や大暑といった季節の表現の二十四節気が
肌感覚とピッタリしていたら
誰も文句言わないんでしょうけど
それすら、肌感覚とは若干違う。

理由はこれが作られた場所
中国華北地域

日本の江戸とかよりは緯度が高いので
東北や北海道の季節感に近い
また、日本独特の梅雨や台風の要素が取り入れられていない。

中国の名前そのままじゃなく
日本の季節感の名前
梅雨とか、台風みたいに変えときゃ良かったのにね。

渋川春海がそれまでずっと使われていた中国の暦から
日本の経度に合わせて計算し直した
貞享暦(じょうきょうれき)を貞享2年1月1日(1685年2月4日)に改暦したとき
二十四節気のそれぞれの名前まで変えるチャンスだったのにね

日本だって南北に長いから
結局は、二十四節気も自分の地域で考えて
毎年、どこの何日目に、こういう農作業を行うといった
マイごよみを補足追加しておく必要がある。

逆に言うと、それさえ出来ていれば
二十四節気は、自然相手の仕事の強い見方になってくれる。

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