[百人一首]86 なげけとて。出たっ西行。

なげけとて 月やは物を 思はする
かこち顔なる わが涙かな

月が私に嘆きなさいというだろうか
そんな事はあり得ない。
なのに、月のせいでと言いたくなる
涙が流れてくるからね

西行法師
出ましたっ
西行法師

みなさん、ほらほら
西行法師ですよ
というくらい人気者らしい。

多少でも短歌をかじった人ならば
誰でも知っているスーパースター

今で言うと、羽生結弦?
はたまた、清宮幸太郎

すごいのが
当時人気があったというだけでなく
平成の今に至るまで
何百年も人気があり続けているということ
本物だ、ってことでしょう

あの松尾芭蕉も強く影響を受けています。

なんと弱冠23歳にして世を捨てて、仏の道に入っちゃいます。
何があったんでしょうか

小さな子供が
お父ちゃん、行かないで!

足で蹴って、心を鬼にして。
「惜しむとて 惜しまれぬべき此の世かな 身を捨ててこそ 身をも助けめ」

どうなんでしょうね、それ。

諸国行脚の生活となります。

これがなかったら
松尾芭蕉の諸国行脚もなかった訳です。

各地に、「西行戻し」と言われる場所がいくつかあります。
松島「西行戻しの松」とかね
各地の子供たちに西行がやり込められて
恥ずかしくなって、元の道を引き返すというもの

それぞれの土地で打合せした訳じゃないだろうに
同じエピソードが各地に存在するというのは
よっぽど子供に弱かったんですね

さっきの子供の話があるだけに
こういうエピソードはほっとします。

当時の歌は、ゲーム化しすぎて
現実味に欠けるものもあるんだけど
西行の歌は現実に諸国を回っているので、心に染み入るものがある

月と花をこよなく愛し
大量に残した歌の中
半分くらいは月とか花

この歌も月ですね

後の半分はというと?
恋の歌と書いてある資料もあったんですが
本当かなあと気になって読んでみました

図書館に行って、短歌のシリーズの西行の巻

38首解説してくれていたんですが
その38首の中には、恋の歌は2首しかなかった。

仏教観みたいなのとか
その土地土地の情景を詠んだもの
人々の仕事や生活を詠んだもの

38首、ざっと読んだだけだけど
人気あるのが分かる気がしました。

仏教観みたいなのでも説教臭くないんですよ
こうなきゃいけないんだろうけど
できないんだよなあ、みたいな

テイスト的には相田みつをに通じる気がした。

さっき子供にやり込められるエピソードも言ったけど
遊女に言い返されちゃうっていう歌もあった

人間味のある人なんですね

あと、視点というか、見ている場所みたいなのが
斬新な気がした。
月を擬人化しているこの百人一首の歌もそうですけど
自分主体で周りを見る歌ばかりじゃなく
月や花やが主体になったり
月や花への思い自体が自分から離れてさまよったり。
月や花がほんとに好きなんだなあと思う。

「願わくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月の頃」
この歌も有名らしいですが
花と月ですね
如月(きさらぎ)は2月で望月(もちづき)は十五夜の満月

2月15日はお釈迦様の亡くなった日(入滅)
その時期ですから、花とは梅です。

この歌の願い通り
73歳の2月16日の日に亡くなっています。
誤差1日はセーフ。

2月15日の晩は焦ったでしょうね
あかん、早よせな

鑑賞
数多い西行ファンからすると
この歌は今いちらしいです。

あまりにも良い歌が多いので
これ入れて欲しかった
あれ入れて欲しかった

月なので、許してあげて

現代人からすると、かこち顔、と
月やは、の、やはがイメージしにくいかな。

やは、は反語で、や・・・する、でかかりむすびの約束
おおっ、学校の授業みたい

なげけとて 月やは物を 思はする

月が、私に、「なげけ、なげけ」と言いますか?
いえいえ、そんなこと言うわけないですね
月なんですから
そんなこと言うんだったら、うるさくて眠れません。

まず最初に全面否定

かこち顔なる わが涙かな

かこつ、で〇〇のせいにする

でもね
月のせいにもしたくなるじゃないですか
月を見る度に、自然と涙が流れてくるんですから

索引はこちら
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