[百人一首]10 これやこの。出たっ蝉丸

これやこの 行くも帰るも 別れては
知るも知らぬも 逢坂の関

ここがかの有名な逢坂の関。旅立つ人も帰ってくる人も
知っている人同士も知らない人同士も、別れと出会いを繰り返すんだなあ

蝉丸
出ました蝉丸ぅ
全部吐き出しーっ

坊主めくりの蝉丸ルールですね
引いた人以外が全部吐き出さなきゃならないという鬼の帝王であり
終盤にして負けている人にとっては、それにしかすがれないという、
一発逆転、最強の女神様

一人だけ頭巾を被っていて、名前も謎めいているから
坊主なんだか一般人なんだか

蝉丸って誰やねん

調べる程ではないから、そのままにしていた
みんなが感じているもやもやを、今こそ解き明かしましょう

—————-
と言っておきながら、
現実にも謎の人

さては、猿丸大夫と同じパターンか

猿丸大夫は存在自体、おそらくなかったので
それよりは、まあ若干

いたことはいたと思われますが
根拠の怪しいエピソードばかりが積み重なって
謎が謎を呼ぶ、雲をつかむような人

その中で、ひとつのエピソードを紹介しましょう。

宇多天皇の息子の敦実(あつざね)親王に仕えているんだけど
身分は低い。

敦実親王は琵琶の名手
近くでその音色を聞くにつけ自分も名手となった。

次第に視力が衰え、ついには盲目に。
仕事も辞め、琵琶だけを小脇に抱えて、
逢坂の関の近くの山にこもります。

琵琶で、流泉・啄木という曲があるんだけど
弾ける人がどんどん少なくなってきて
とうとう、蝉丸だけ
蝉丸がなくなると、名曲も歴史の彼方に葬られる。

源博雅(ひろまさ)という、これまた琵琶の名手がおりました。

蝉丸ほどの人材が埋もれているのは勿体ない
流泉・啄木を一度聞いてみたいという事もあるので
人づてに

どうでしょう。京都の私のところに来られませんか?

「世の中は とてもかくても 過ごしてむ 宮もわら屋も 果しなければ」
どこに住んでも同じこと。宮殿もわらぶき小屋も、永久に住み通せるものではない、
いつかはお迎えがくるのでございます

残念!
そうなると逆に、秘曲を聞いてみたい気持ちが高まります。

でも、せっかくの京への復帰を断るくらいの人
名人っちゅうのは
興が乗らないと、どんなに頼まれたって、弾かない

自分も名人だから良く分かる

とりあえず行ってみよう。

逢坂の関まで出向き
家の外で聞き耳をたてる
たまたま弾くかも知れませんからね

残念!空振り

諦めきれず、翌日も出向きます。

翌日も
そしてその翌日も

気がつくと、何と三年も経過しておりました。

三年目の八月十五日の夜。
月はややかげり、風吹き、あわれ深い夜

今日こそは

中から聞こえてきた歌
「逢坂の 関のあらしの はげしきに 盲ひてぞゐたる 世を過ごすとて」

琵琶をぼろんぼろん

源博雅は自然に涙が出てきました。

そして、中からひとりごと。
ああ、もののあわれというのは、こういう日のことやろか
こういう日は、誰ぞと、音楽の話でも出来たらなあ。

もう、名乗り出ずにはいられませんでした。

私は、京都に住む源博雅と申します。
あなたの琵琶が聞きたくて通いつめておりました。

蝉丸は心を開き
流泉・啄木を披露
語り合い、忘れられない夜になりました。

鑑賞
良い歌ですね
ここまでリズムの良い歌はそうそうあるもんじゃありません

この歌を十八番にしている人も多いんじゃないでしょうか

特に、逢坂の関が入っているので、関西人は大好き
逢坂の関って、大阪ではなく、京都と滋賀の境なんですけどね

これやこの
行くも帰るも
知るも知らぬも
裏表でポンポンポン

ここは、裏表には出来なかったなあ、って
「別れては」
おっと、最後の逢坂の「逢」うと表裏になってるじゃありませんか

逢坂の関は、古くの関所で一番メインなので
多くの人々が行き交います。

今で言うと空港や新幹線の駅のようなもので
出会いと別れのドラマが繰り広げられるんでしょう

あのJR東海のコマーシャル
山下達郎のクリスマスイブが流れますね

人生って、出会いと別れですね

じみじみと思います。

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