[芒種] 6/6 隅田川の川開き

二十四節気シリーズ

芒種
ぼうしゅ  穀物の種巻きをする頃   06月06日

芒(のぎ)、即ち穂、を持つ穀物の種まきの目安となる時期
稲については、現代では品種改良が進んだので、もっと早いですね

芒種に先立ち、旧暦5月28日に江戸で実施されるのが、隅田川の川開き

川開きって何かというと、水難事故の防止と、犠牲者の鎮魂を祈る催しで、全国で行われています。

隅田川の花火
享保17年(1732)年
江戸でコレラが大流行します。

元々死者の慰霊と言う意味での行事に
その年の死者が非常に多かったので、何かもうちょっとやりたいね

当時の将軍吉宗に

上様、
花火を行うというのはいいがでございましょう。

ええよ

鍵屋という花火屋さんが
手軽な花火を開発して大当たり。

当時7代目と言う老舗だったんですが
度重なる大火にたまらず
花火禁止令が出ていたんです

鍵屋と玉屋の詳しい話は、こちらを読んでね
花火で「たーまやー」

さらに補足しましょう。

最初に花火を始めた鍵屋の名前の由来は
信奉しているお稲荷さんの狐の一方がくわえているのが鍵だから。

玉屋は
鍵屋から暖簾分けしてもらうときに、
もう一方の狐が持っている玉を名前としてもらいます。

残念ながら事故を起こした玉屋は
営業停止になり
鍵屋、玉屋が分け合ったのは
35年間だけです。

でも、その後も
「たーまやー」のかけ声は残ります。
むしろ「たーまやー」の方が多い。

こんな狂歌があります。

『橋の上 玉屋玉屋の声ばかり なぜに鍵屋と いわぬ情なし』

これは、実力があったのにたった一代で花火のように消えた「玉屋」への愛情を示したもの。
「情」に「錠」をかけており、
「鍵屋の声がねぇのもしかたあるめぇ。錠がねぇんで口が開かねぇ」

当時は一色しかありませんでしたが
その後も鍵屋は研鑽と、海外からの技術導入を重ね
色とりどりの花火で、形も様々なものが開発されました。

かーぎやー、と言ってあげなきゃ可哀想ですね

いつまでも、たーまやーじゃないでしょ
って言わない鍵屋も偉いですね

現在は15代の女性当主が活躍中です。

曽我祭
当時の歌舞伎の新春興行は曽我兄弟の仇討ちものと決まっていた。

もし入りが良ければ、どんどんロングランを続けるが
いまいちかなという年は、違う演目にチェンジ

隅田川の川開きの5/28は曽我兄弟の仇討ちの日でもあるんですが
もし、ロングランがずっと続いて、5/28までずっと続けば
今年は良かったねえ、と
身内でお祝いをし
その後は、人気役者は夏休みに入って、
替わりに若手たちが担当するという節目

その身内だけだった筈のお祝いが
年々盛大になり
町内練り歩き等が行われるようになります。

索引はこちら
[暦]シリーズはこちら(少し下げてね)


オオキンケイギク

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