水野忠暁は園芸で異色を放つ

江戸の理系力シリーズ

植物の関係に参りましょう。

水野忠暁
みずのただあき 植物学 1767~1834

江戸においての園芸は寛永のツバキに始まり、元禄のツツジ、正徳のキク、寛政のカラタチバナ、
文化文政のアサガオと入れ替わり立ち替わり色んなものがブームになりました。

そのうち、元禄のツツジについては
ソメイヨシノを作った男は伊藤伊兵衛?
文化文政のアサガオについては
成田屋留次郎は朝顔おやじ
を見てね

江戸の園芸のレベルは世界でもトップクラス。
後にイギリスのプラントハンター、植物研究家のロバートフォーチュンが
あまりのレベルの高さにビックリ仰天

日本の菊を持ち帰ると西洋で、菊の大ブームが起き
さらに西洋で品種改良がなされて、世界中に広まったそうです。

今日は、寛政のカラタチバナに参りましょう

水野忠暁は旗本です。
500石

23歳で家督を継ぐんですが
親が植物好きだったもので子供の頃から植物に熱中。

えっ
武士がそんな悠長な事してて良いの?

はい。良いんです。
それが、平和が260年も続いた江戸時代の良いところ。

そもそもの発端は、徳川家康が大の植物好き
2代秀忠、3代家光もそう

武家諸法度で城を作るな庭園を作れとなった話はしましたが
そうなってきますと、武士のたしなみとしては
植物のうんちくのひとつも語れないようでは人付き合いができません。

そんな中でも、水野忠暁はレベルが違いました。
そうなってくると、みんながやっているツツジだ、キクだのではあきたらなくなってきます。

どっちの方向に行ったか

葉っぱです。

葉っぱぁ

今で言う観葉植物ですね

全部緑じゃなくて、白いところが入った斑(ふ)入りの葉っぱ
例えばカラタチバナでいうとこんな感じでしょうか

今では、そう珍しくない感じもしますが
突然変異なので、当時は極めて珍しい。

当時の武士達が熱狂します。

どんどんエスカレートしていって、
一鉢30両から50両は当たり前、中には100両を越えるものまで
1両ばくっと10万円と考えると、30両で300万円、100両だと1000万円

葉っぱですよ葉っぱ
1000万円ってあーた

武士って、威張っているだけで、
武士は喰わねど高楊枝、って
傘張りの内職しているイメージあるけど
あるところにはあるんですね。

でもさすがにここまで来ると別の意図を感じるんですが。

武士って長男じゃなきゃ結構悲惨
うまく養子先が見つかれば良いけど
冷たい視線を浴びつつ、暇を持て余す

今に見てろって言ったって、やれることは限られている。
肉体労働で頑張るにはプライドが邪魔しちゃう。

有り余る時間と、広い庭。
よしっ
珍しい植物育てて、一攫千金だ

年に3回まとまったお金をもらえるから
珍しい植物を買い込んで、うまく倍に分けて育てば大儲け
転売して、利鞘を稼いでも良いわけです。
要は投機対象。

ちょうど松平定信の時だから、あまり高いのは規制がかかっちゃいます。

とはいえ、お陰で日本の園芸のレベルが格段に上がった事も事実
その牽引をしたのが水野忠暁なのです。

変化朝顔の時も根気強く膨大な量の実験をしつつ
経験則として、こういう場合には突然変異の率が高まるという事を習得していきましたね

カラタチバナでも一緒です。
水野忠暁だけが判るにおいのようなもの
支援者のネットワークが張りめぐされ
全国から、斑入りの植物が集まってきて
独自のノウハウで高確率で増やしていく。

そして、作られた図鑑が「草木錦葉集」


カラタチバナと並んで、おもとというのも人気
万年青と書いて、おもとと読みます。

水野忠暁が育てた斑入りの植物は実に3000種類にもなったようです。

索引はこちら
[江戸の理系力]シリーズはこちら(少し下げてね)


ムラサキツユクサ

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