ヒュースケン。みんなに愛された青年なのに。

外国人が見た幕末明治の日本、シリーズ
ハリス、唐人お吉と来ましたので、ヒュースケンです。

ヒュースケン
あれれ?
ヒュースケンはオランダ人です。

アメリカでの成功を夢見て、オランダを後にした21歳の青年
14歳で父親を亡くしてから、母ひとり子ひとり
そんな母と別れてまで、夢を追いたかった。

夢の舞台ニューヨーク
余りに貧しくて、辛いことばかりだけど
何とかここで一旗あげて、母親に恩返しだ。

ところが、2年でニューヨークを離れることになる
初代駐日総領事、ハリスに通訳として雇われた
これは、ビッグチャンス
よし、切り替えだ!
何とか日本で一旗あげて、母親に恩返しだ。

アメリカには日本語の分かる人は一人もいないし
日本にだって、英語の分かる人は一人もいない
でも、日本は長らくオランダとの交易はあるので
オランダ語となら通訳はいる
オランダ語を真ん中に挟めばなんとかなる。
オランダ人ヒュースケンに白羽の矢がたった訳ですね。

人気者
幕末明治の、公使関連の人たちで、ヒュースケンほど人気者はいないでしょう。
日本人にも、外国人仲間にも。

とにかく明るい。
ユーモアセンス抜群。
そして、一生懸命

英語とオランダ語を通訳できれば、役割的にはOKなんだけど
通訳というからには、と
日本語も猛勉強。

こんな日記を書いています。

今日、馬を一頭購入。高かったあ
この調子で行けば、自分の馬車を持って皇帝の一人娘に結婚を申し込む事にもなりかねない
そうなると俺は、ここの総督だ!

ああ、ニューヨークよ
夕飯抜きで過ごした時代
かかとも爪先も風に吹かれていた靴
穴だらけのズボン
あれはみんなどこへ行ってしまったのか
俺様ヒュースケンを見てくれ
馬に乗って練り歩いているんだぜ。

下田から、江戸へ将軍への謁見を許されて向かうとき
さながら大名行列のようだった。

行列の先頭で大声で叫ぶ
「シタニイロ、シタニイロ」
(大名行列ではシタニイ、シタニイとは言っていなかったそうです)
庶民は行列が通りすぎるまでひざまづいて顔を上げない。

さぞかし、この陽気な青年は有頂天になっただろうと思いますよね

逆なんです。

ひざまづく人たちを見て
心底うんざりし、悲しく思った。
ひざまづいているのは、私と変わらない、いや私より立派な人たちだ
この国の美人たちが自分にひざまづくのは、光栄かも知れないけれど
私はそんなことは望まない
むしろ、美人と並んでひざまづきたい。

ハリスとヒュースケンは大きな成果をあげる
日米修好通商条約の締結

突然
そんな日々は、突然終わりを告げる

プロシア使節の宿舎だった赤羽接遇所から
アメリカ公使館の善福寺に向かう途中
芝の薪河岸の中の橋付近に差し掛かったとき
暗闇から何者かが飛び出してきた

数十分後、血まみれのヒュースケンが
善福寺に運び込まれる
懸命の看病の甲斐もなく、息耐える

ハリスは人目をはばかることなく、泣き続ける。

ヒュースケンを恨んでいる人なんて誰一人いない
外国人なら誰でも良かった攘夷派

幕府はヒュースケンの母親に膨大な賠償金
1万ドルを支払っている
それは、親孝行?
とんでもない
そんなものを望む親がどこに居よう

あの屈託のない笑顔での土産話
ずっと待ち続けていたんだから

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