ハワイ国王が日本におこなった驚くべき提案

外国人から見た幕末・明治の日本シリーズ

史上初めて、日本を訪れた外国の元首はどこの国の人物でしょう

チッチッチッチッチッ

ハワイ国!

そんなの知りませんよね

デイヴィッド・カラカウア一世
ハワイ国7代目の国王

明治14(1881)年、彼はお忍びで日本にやって来る
横浜港に降り立った時、驚きの光景を目にする

「ハワイ・ポノイ」というハワイ国の国家が爆発したように鳴り響いたのだ
軍の楽隊

なぜ、知らせてもいないのに分かったんだろう。
この歓迎ぶりは・・

あまりの感激に目に涙が滲んだと、後に旅行期に書いている。

実は、サンフランシスコにいた日本の領事が
情報をつかんですぐ、日本政府に電報を打っていたのだ

ハワイ国
安永7(1778)年、キャプテンクックがハワイに上陸
それ以降、ポリネシア人のこの土地は
次々と欧米にかき乱されていく

そんな中で、ヒーロー誕生
カメハメハ一世

彼が王となり、寛政7(1795)年にハワイ王国誕生

♪南の島の大王は その名も偉大なカメハメハ

ハワイ国7代目の国王が、デイヴィッド・カラカウア一世なんだけど
名前がカメハメハじゃないことからも分かるように
ハワイ国王は直系の息子で引き継いでは来れなかった
カラカウア一世も選挙で選ばれた国王

ハワイ国には大きな問題があって
疫病が大流行して、かつて30万人いたポリネシア人の人口は
この7代目の時点で4万5000人。

欧米に入り込まれても頑張っている、日本に
何とか学びたかった。

明治天皇に謁見
その時にも、日本のみんなの丁寧な接遇に、感極まって涙

普通に考えれば、そんな大げさな、なんでしょうけど
それには理由があったんです。

具体的な提案を持って訪れていた。

数日後、突然国王がいなくなった
国家の一大事とみんなが手分けして探すが
どこにもいない。

そんな時、ひょっこり帰ってきた。

どこに行かれてたんですか

ごめんごめん、心配かけたみたいだね
気づいてたんだ

気づきますっ!

提案
行っていた先は、
再び、個人的に陛下の所

具体的な提案をしにね

一つは、移民
日本の人達に、ハワイに移住してもらうわけにはいくまいか

不思議な提案ですね

そして、もうひとつ

結婚

カラカウア一世には、子供はいなかったんだけど
姪であるカイウラニ王女を実の娘のように可愛がっていた。

後の東伏見宮依仁親王(ひがしふしみのみや よりひとしんのう)
当時、山階宮定麿王(やましなのみや さだまろおう)
に、嫁にもらってもらえないだろうか

皇位継承権をも持つプリンスです。

答を保留しています。

全くもって奇想天外なこの提案
普通であれば

まあ、面白いお話ですなあ
で終わりなんでしょうけど

あまりの真剣な眼差しに
日本としても真剣に検討した。

もう後が無かった。
国王としては
考えに考え
考え抜いた上での提案だったろう

「ハワイ王国がアメリカになってしまう」のは時間の問題だった
自分の代で、ハワイ王国が終わる
それも確実だろう

それは覚悟したのだけれど
それでも、このままでは
カメハメハ一世以来の、代々の国王に
申し訳が立たない

思い付く、全ての悪あがきをしなければいけなかった。

日本について良く分かっている訳じゃないけど
それでも、どこかに国を売らねばならないとしたら
日本を選びたかった。

もらってください

悲壮な叫びだった。

日本だってそれどころじゃない
無我夢中
がむしゃら

人の国の事なんて考えていられる状況じゃない
次は我が身かも知れない

でも、嬉しいじゃないですか
考え抜いたその相手に日本を選んでくれた。

日本としても真剣に検討した

でも、やっぱり
ごめんなさい

文書で丁寧に謝った。

万事休す

カラカウア王はそれ以上なすすべがなく
酒に溺れるようになり
健康を害して、7年後、54歳の生涯を閉じる

そして、その僅か3年後の1893年(明治26年)
ハワイ王国は完全に消滅する。

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