家康4、三方が原で、なにを漏らしちゃった

家康の4つめになります。

信長中央制覇
織田信長と同盟を結んだ家康。

以降の8年間、信長は怒濤の勢いで勝利を重ね、
京に上り、
逃亡していた足利将軍を呼びかえして位につけ
その権威を借りて近畿を平定します。

さあ、同盟相手の家康
この8年間どうだったかというと
ただ、三河一国を平定するのみ

まあ何とも地道

武田信玄の提案
位置関係で言うと、
西から、信長の尾張、三河の家康、遠江(とうとうみ)と駿河(するが)の今川、甲斐の武田信玄ということになります。
桶狭間の戦いで、今川は弱体化しています。

武田信玄の提案がありました。

どうでしょう
今川領をうちとおたくで半分こ
大井川を境に、遠江を徳川
駿河を武田
いっせのせで攻めれば
今の今川なら造作もないこと

三河以外に領地を広げる初めての行動になります。

難なく成功し
徳川領地は一気に倍になります。

ただ、喜んでばかりもいられません。
武田信玄が、そのあと遠江や三河を攻めませんなどとは一言も言っていません。
超大国甲斐武田と大井川一本で国を接する事になったのです。

姉川決戦
信長の中央制覇があまりにも早かったが故に
まだまだ全国には大勢力がことごとく残っています。
甲斐の武田、越後の上杉、小田原の北条、越前の朝倉、近江の浅井、中国の毛利

さあ、どう出る

まず真っ先に行動したのは、越前の朝倉、近江の浅井
連合軍を組んで事を起こした。
近江姉川での決戦です。

こういうとき、同盟国である家康は当然のようにかりだされます。

信長家康連合軍は辛くも勝利

信玄西上
さあ次は

予想通り
来るっ、武田信玄

天下を取るのは信長じゃない
この俺だ

あらゆる面でレベルが違います。

はい、おっしゃる通り

京への西上で、一番先にいる敵は?
家康です。

来るなら来いっ
目に物見せてくれよう

とは言ったものの、戦力の差は歴然
びくびくです。

あまりにびくびくなので
家康初めての外交作戦で、準備をしておりました。
上杉謙信との同盟です。

武田が動いた時には、お味方していただけよ

この申し出に上杉謙信大喜び
上杉謙信は上杉謙信で、天下取りは自分だとの自負がありますから

この同盟で、困った人が一人と
喜んだ人が一人

困った人は信長
勝手にそういうことするか
これで完全に超大国甲斐を敵に回すことになった

喜んだ人は信玄
激怒したふりをして、しめしめ
これで正式に徳川を討てる

家康は、三河の岡崎城ではなく
新しく手に入れた、浜松城で向かえ討とうと待機

三河衆は大反対
負ける可能性が極めて高いこの戦
せめて死に場所は、岡崎にしたい

信長も大反対
遠い
そんなとこまで出ばって行けない

信長からの応援は申し訳程度
家康は負けるだろうとの算段から
尾張で向かえ討てるだけの兵力を残しておかなきゃ

10/3、雪の降る時期を待って、信玄出発
上杉謙信は雪深い国
この時期には謙信は動けない。

あれえっ?
ところがです
とても不思議な事が起きました

信玄、浜松城に向かってこない
もっと北側の道を通って京へ向かう

うそぉ

信玄にしてみれば
徳川なんぞはいつでも討てる
それよりも、全く兵力に損失ない状態で尾張を突破したい

徳川が追いかけてくる訳がない
明確な兵力の差があって、追いかけてくるような
家康は、そんなあほではない

三河衆
怖じ気づいたな
と言ったものの
心の中では「ラッキー」

家康も
せっかく無視してくれるのに
追いかけて、自殺的戦いを挑むような
そんな無鉄砲な性格ではない

・・・
筈だった

敵がわが郊野を踏みつけつつ通りすぎていくのを
城に隠れてただ見ているのは、男子ではない

はい??

およそ、家康の発言とは思えない。

後に、歴史学者たちがこの時の家康の心情を推測するが
どうにも分からない

ひとつだけ分かっていることがある
実は、家康は、信玄の事を尊敬している
信玄を研究し真似ている
敵を調べるというには度を越している

三方が原という台地を通る筈
そこへ言って迎え討つ

信玄は、来ないと思いつつも
来るなら来るで容易いことと思っている
城を攻めるよりは余程楽

三方が原の戦い
お互いに陣形を張り、睨み合うこと2時間
ついに武田が動いた。

怒濤のような戦い

結論から言うと家康軍は大負けに負ける

そして、家康は身ひとつで逃げた
あれほど勇ましかった戦いの前と比べ
ただひたすらに逃げた

早い早い逃げ足の早いこと

ただ、追手も大将の首が欲しい
幾手にも別れて捜索

恐怖のあまり一時的に気が触れている

夏目正吉という家臣の姿が見えた
戦闘には参加せず、浜松城の留守を預かる役目
そこへ突っ込んでいく

もはや逃げ切れん、死ぬる死ぬる

見たことも無いような殿の哀れな姿を見た
おそらく他の誰にも見せたことのない弱い姿を自分に見せてくれた
その事に感激し
自分のやるべき事を決めた。

それがしが代わりたてまつる

殿が乗る馬の尻を叩き、浜松城へと向かわせる

手の者二十人と、追ってくる敵の中に突っ込んでいく
徳川家康を名乗って、戦死

家康は浜松城の近くまで来て
安堵したのも束の間
振り返るとおびただしい量の敵のたいまつ

思わず馬上でうんこを漏らしてしまった

浜松城にギリギリセーフで滑り込む

あれっ
なんか変な臭い

そういうことを口に出来るということ自体
家康と家臣との間は独特な関係で結ばれていたんでしょう

家康は信長のように勝ち続けた武将ではない
負けることで、学び強くなっていった武将

うんこもらしの後の困った顔を家臣に書かせ
生涯反省材料にしたという

索引はこちら
[徳川十五代将軍]シリーズはこちら(少し下げてね)


レモン

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