[赤穂浪士]3 吉田忠左衛門

個人別の赤穂浪士シリーズ第三弾

吉田忠左衛門
裏門組 副将 足軽頭・郡奉行 63歳

押しも押されもせぬナンバーツー

赤穂藩には加東郡に飛び地がある
そこを丸々任せてもらっているので、信頼感たるや絶大なもの。

大石内蔵助が専務なら、こっちは支店長。
今でも加東市では、吉田忠左衛門は殿様扱いで、義士祭が行われています。

常に大石内蔵助の方針を支持し補佐していく。
人柄もとても良く、みんなからも好かれ、尊敬されている。
兵学や槍術(そうじゅつ)なども身につけるといった文武両道です。

弟の貝賀弥左衛門、息子の吉田沢右衛門とともに討ち入りに参加しました。

そして何と言っても、寺坂吉右衛門
寺坂吉右衛門の私的な雇い主。
この話は長くなるので、寺坂吉右衛門のところでね

城の明け渡し
刃傷事件の報を聞いて、すぐに飛び地からかけつけた。

赤穂城の明け渡しが決まったときは城の修理などを監督。
城の明け渡しに立ち会った役人が、忠左衛門の仕事の丁寧さを誉めている。

起つ鳥、城を汚さず。

城の明け渡し後は、藩の仕事の残りを内蔵助とともに処理した。

分裂の危機
吉良上野介が隠居することになった時点で
江戸の急進派は、すぐ自分達だけでも討ち入りだ、と分裂の危機
吉田忠左衛門が江戸に派遣される。

じいさんに言われちゃ仕方あるまい。

危機を乗り越えられたのも、忠左衛門がいてのこと

討ち入り前日
討ち入りの直前、忠左衛門は、息子の沢右衛門と原惣右衛門と一緒にソバを食べた。
これが後世では、討ち入りする義士みんなでソバを食べたということになり
「討ち入りソバ」の由来となった。

討ち入りでは、大石主税を補佐するため裏門組に所属。
裏門大将の大石主税の補佐役でしたが、実はこっそり、采配を持っていた
やる気まんまんです。

吉良上野介を討ち取った後、内蔵助の命令で冨森助右衛門(とみのもり すけえもん)とともに
幕府の役人仙石伯耆守(せんごくほうきのかみ)の家を訪れ、吉良家への討ち入りを報告した。

細川家に預けられ切腹したんだけど
切腹する前に、忠左衛門は自分の身体が大きいため
切腹した後ぶざまな姿をさらしてしまうことを心配し、
遺体を風呂敷で包んでほしいと風呂敷の代金を細川家に渡した。

辞世の句
かねてより君と母とにしらせんと人よりいそぐ死出の山道

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