神楽坂で粋に浸る、の続き

神楽坂で粋に浸る
の続きです。

芸者新道

表の神楽坂通りは込み合ってるし、
芸妓さんたちはこっちの裏道の方が近道で使い勝手が良いみたい

「ロクハチ通り」と呼ばれたこともあるそうです。
料亭の一回目の開始が後6時で、二回目が8時からだったから
その時間に込み合う。

明治から大正昭和と、ピークの昭和12~3には、
芸妓・幇間合わせて約600名、料亭・待合約150軒が有ったそうです。

今は20数名ってところなので込み合うまではいかないでしょうけど。

かくれんぼ横丁
良いですね、このネーミング、可愛くて意味深で
キュンとしちゃいます。





この横丁にある筈の料亭は全部で5軒中の2軒
結論的にはうまく見つけられませんでした。
帰ってきてから、もらった地図とGoogleMapを見比べて意味が分かりました。
かくれんぼ横丁ではあるんですが、入口が横丁の通り自体に接していない。
そりゃ難しい。

写真を撮れなかったので、ネットから拝借
千月

うを徳

かくれんぼ横丁を抜けてすぐの本多横丁の、牧は、確認できました。

兵庫横丁
ここは、最も神楽坂の風情が残っているところ


曲がって

曲がって

階段下がって

ちょこっと曲がってから進んで

出ました「和可菜」

ここは、旅館で、何人かの有名な作家が、定宿にして、缶詰になって小説を書き上げたところ
一番有名なのは、野坂昭如(あきゆき)
ひょっとして、火垂るの墓(ほたるのはか)はここで?

そして向かいが幸本
4軒目の料亭。

門の上のカーブしているのが良いらしいです。

料亭白宮は見番横丁にあるらしいんですが
地図やGoogleMap でも見つかりませんでした。
ひょっとするとなくなっちゃったかも。

料亭のような料理屋さんはいっぱいあるんですが
神楽坂組合に所属していて、芸妓さんを呼べるところという意味では
結局4軒かも。

和可菜と幸本の所を逆側から撮すとこんな感じ

出ましたっ
♪粋な黒塀、見越しの松に
松じゃないけど、塀を越しているので、見越しの木

お富さんの場所は、神楽坂ではないんですけど。

神楽坂に戻るときに、極々細い道
細道ファンにはたまりません。

まさかここには、入口は面していないだろうと思うと
何とちゃんと酒屋さん、「酒ト寿」がありました。
杉玉まであります。

お腹が空いてきました。
せっかく粋な和に浸ろうと思っているので
和食が良いなと。
料亭風になると3000円以上になるので、根気よく探します。

京の鳥どころ、八起庵
京御膳が1200円。
リーズナブルです。

粋でしょ
美味しかったです。

筑土八幡神社
花街巡りを終え、
神社に行ってみましょう

筑土八幡(つくどはちまん)神社
これは、一般のガイドマップにはなかなか載ってきません。
マニアック系

出ましたね
またしても八幡神社
今日、若宮八幡に次いで、2社目です。

若宮八幡は、源頼朝がらみで鶴岡八幡宮からの勧請(かんじょう)でしたが
ここは、筑土という名前からも分かるように
九州の宇佐八幡宮からの勧請になります。
勧請とは、同じ神様こっちにもちょうだいという依頼です。

マニアックポイントひとつめ
庚申塚(こうしんづか)です。

いやあ、庚申塚ファンとしては涙がじんわりと。

庚申塚って何かはこちらから
庚申塚ってなんだろか

基本型のフルセットはこんな感じ

庚申塚を楽しむ時は、基本型から考えて、何々揃っていて何が抜けているか
って事になる訳です

こんなに基本デザインから変えてしまうとは。
庚申の申はさるだから猿をモチーフにするのはおかしくないんですが
普通は下の方にちょこっと、見ざる聞かざる言わざる

夫婦の猿が助け合いながら桃を収穫している
テーマ設定も素晴らしいですね。
愛です。

革命児です
庚申塚デザイナー界のココシャネル
この後、どっと仕事が増えた事でしょう

マニアックポイントふたつめは、
平将門(たいらのまさかど)の足

平将門は、朝廷にたてついて
関東一円を平定し、独立国宣言してしまうすごい人
すぐに朝廷に制圧されてしまいますが。

日本統一国家からすると、単なる反逆児ではありますが
日本の信仰って面白くて
菅原道真しかり、敗者が神様になっちゃいます。

神田明神を中心に
平将門は強いから、江戸を守ってもらいましょう。

いや、弱いから負けちゃった気がするんですが。

京都で処刑されたので、なきがらは京都にある筈
その首が、故郷恋しと、
ぽんぽんバウンドしながら関東まで帰ってきた。
そこが大手町にある将門塚です。

元々その場所にあった神田明神は、
移転して今の場所にあり、平将門がご祭神のうちの一人です。

そこまでは知っていたんですが。
何と、東京さんぽ図鑑によると
平将門の体一式、全部関東に舞い戻って来ちゃってます。

そのうちの、足の部分が、この筑土八幡神社にある

7つに別れて、北斗七星の形になって江戸を守る。

おおっ。ロマンです。

江戸に7つしか無い選ばれた神社なのに、あら不思議
筑土八幡神社内の看板による説明に、平将門の、たの字もない
控え目な性格なのかなあ。

赤城神社

赤城の山も今宵限り、のあの赤城です。

由緒には
「天和3年(1683年)、徳川幕府は江戸大社の列に加え牛込の総鎮守と崇め、
「日枝神社」「神田明神」と共に、「江戸の三社」と称されました。
この三社による祭礼の際における山車、練物等は江戸城の竹橋から内堀に入り
半蔵門に出ることを許されていました。」

ええっ
そんな超大物だとは。

この神社、最近、再生プロジェクトなるものを立ち上げて大幅リニューアル
ハイカラっちゅうかモダンっちゅうか

お洒落なカフェを併設してたり、全てにおいてお洒落です。
新しい神社像を牽引するかも。
要注目です。

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ

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