[大奥]13 天璋院篤姫。徳川は私が守って見せます。

[大奥]13 家定→天璋院篤姫。幕末の中心人物
の続きです。

江戸へ
愛する人のところに嫁にいって二人で幸せに、
女の子なら、ずっとそれを夢見て来たでしょうがね

それでも、全く無理と決まったわけではない。
篤姫の事です。
旦那様の事を精一杯愛そうと努力したはず

家定は噂通りの暗愚だったか
大河ドラマの篤姫の堺正人が演じていたように、本当は心豊かな人だったのか
夫婦の間は仲良くやれたのか

結局1年半という夫婦生活でした。
家定は帰らぬ人となります。

その前
篤姫が背負った使命
薩摩藩島津家の野望
竹姫以来の運命共同体、一橋家の英邁、慶喜を時期将軍に
家定の口から言ってもらおうという作戦

元々、あなたもうどうせ長くないですから
ということを前提にして、失礼極まりない

家定にどう言うの?

さあ、ここからが篤姫です。
そのために江戸に輿入れした訳だし
島津家のメリットも良く分かる。

ただ、大奥は家定のお母さん、本寿院を中心にして
慶喜の事が大嫌い
ライバル、紀州家の慶福(後の家茂)へとまとまっています。

あげくに、本寿院は慶喜になるくらいなら自殺すると言い出した。

篤姫は、芯は強いのですが、人への思いやりも強く持ち合わせていて
最終的に合わなかった人は誰一人いないという性格。

迷ったでしょうね。

結局どうなるかは分からないにしても
自分としての結論は自分で出す。

慶喜本人に会ってみる。

無茶苦茶頭が切れるのはすぐに分かるが
一方では、常人には理解しがたい奇妙きてれつな性格

紀州。

この時、幕末の中心人物となる天璋院篤姫が誕生したんだと思います。

篤姫の助言に従ったのかは分かりませんが
家定の口から、
紀州家慶福を養子にする

その4日後くらいに亡くなってますから、うーん、という気持ちはありますが

慶福は家茂(いえもち)と名を変えて、14代将軍に
篤姫は、そのお母さんという事になります。

家定が亡くなり、使命も果たせず
この時点で、あちこちから、島津に帰った方が良いと言われます。
島津家では、篤姫のお父さん、斉彬(なりあきら)がちょうどこの時亡くなってしまいました。
斉彬の葬式には行くべきですし。

女の道は一本道にございます。
引き返す事は、恥にございます。

島津家より徳川家を選んだ
家定が亡くなったことにより、出家し、天璋院篤姫と呼ばれます。

篤姫が常に天璋院篤姫と呼ばれるのは
ここからの活躍がすごかったから。

母として、家茂を支え

徳川家は、私が守ります。

歴史は不思議で、かつ、恐ろしい

このあと、島津家と徳川家が敵味方に分かれ
明治維新が起きるなんて
少なくとも斉彬のシナリオには全く無かった。

どんでん返しが何度もある激動の時代に入って参ります。

家茂
家茂は、慶喜とは打って変わって、性格の良いことと言ったら。
血も繋がっていないのに、篤姫の事をお母さんお母さんと慕う。

そうなると、篤姫も、家茂が可愛くて仕方ない

その家茂に驚くべき縁談話が持ち上がる。

巷ではどんどん反幕府的な流れが強くなってきて
尊皇攘夷、という旗頭を掲げるようになってきた。

矛先を変える抜本的な対策が公武合体
幕府の徳川家と天皇家が一緒になってしまいましょう
天皇の娘、和宮を将軍と結婚させようと言うもの

天璋院篤姫としては、自分は身分が高いとは言いがたい
天皇の娘の最上級の身分の嫁が来て
姑として居て良いんだろうかと、真剣に悩む

でも、ここで江戸城を後にするんだったら
女の道は一本道と決めた自分に嘘をつくことになる

あろうことか、実家の島津家が最も先頭にたって尊皇攘夷

それしか方法がないのなら
私が和宮と共に公武合体を成し遂げようじゃないの

和宮については、今度、大奥14でお話ししたいので、これくらいね

状況はどんどん悪くなり
長州があからさまに幕府に反旗を翻す

家茂は、長州と戦争するため、関西へ

平和がずっと200年以上続いたのに
戦地に送り出す母と嫁の気持ちを二人は味わうのです。

ご無事で。何卒ご無事で。

家茂は、少し江戸に戻っても、また出ていくということを繰り返す。

折角和宮とも超ラブラブになったのに新婚生活も途切れ途切れ。

江戸城にほぼ将軍がいないという状況になります。

四の五の言ってられません
徳川最大の危機を江戸で守っていくのは、天璋院篤姫しかいないのです。
江戸城の実質的城主は、天璋院篤姫

和宮。分かってるわね
あなたも徳川の嫁として、最大限に協力してちょうだいよ。

ところが、戦争でやられたわけじゃなく
家茂は大阪で待機中にかっけで死んじゃうという悲しい結末。

泣き崩れる和宮

江戸城開城
あとを継いだのはやっぱり、この人しかありません。
15代将軍慶喜です。

ところが、もう、政治の中心は江戸ではなく、京都に移っています。
慶喜は、江戸にいておられる状況にありません。
結局、ただの一度も慶喜は、江戸城本丸に入っていません。

でも良かったかも
篤姫と慶喜が共に江戸城で、って想像がつかない。

以前として、江戸城の実質的城主は、天璋院篤姫です。

幕末はあまりに色々あるので、まるっと省略します。

大政奉還
鳥羽伏見の戦い
戊辰戦争

一言で言うと、徳川は負けた。

大行列を組んで、新政府軍が江戸城に向かってきます。

新政府軍の形式的トップは、和宮の元婚約者だった有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)
実質的トップは、天璋院篤姫のお輿入れ道具をかけずり回って揃えてくれた西郷隆盛

こんな歴史のいたずらがあるでしょうか

二人は潔く焼身自殺という選択肢もあったかもしれませんが、そうはしなかった。

どうしても、守りたい人がいた。
どうしても、守りたい家があった。

屈辱の嘆願書。
かつての婚約者、かつての部下に。

江戸城もお渡しします。全面降伏します。
でも、慶喜の命だけはお助けいただけませんか。
徳川家というものを残していただけませんか。

そりが合わなかったであろう慶喜を最後には
何とか守ろうとしたんです。

その通りにしてくれた。
慶喜を徳川家とは認められないものの、
御三卿の田安家から養子を入れて、徳川家達(いえさと)を当主として徳川家を認めてくれた。

死なずに良かった。
天璋院篤姫に新たな生きる目標が出来た。
徳川家達を徳川16代当主としてどこに出しても恥ずかしくない立派な男性に育て上げる。

その使命を果たし、天璋院篤姫は天寿を全うします。

索引はこちら
[大奥]シリーズはこちら(少し下げてね)

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