将軍の顔は見ちゃダメ。茶壺に追われてトッピンシャン

徳川将軍家の演出力、という本を読みました。

今考えるとなんじゃそれ、的な面白い話が満載
このあと数回に渡って紹介します。

威光
将軍はとってもエライ人、というのを意識的に作り上げました。
はるか遠い人ですよ、と

松平健が、暴れん坊将軍で
余の顔を見忘れたか
なんて、もってのほか

武士は将軍に拝謁(御目見得)出来るかどうかでランクづけされる
大名や旗本は御目見得できるけど、御家人は出来ない。

その大名や旗本も拝謁する機会は年に数える程度

いざ拝謁という時に「しー」という声がかかる
シーンとなり、息を殺す感じ

おもてを上げよ、と言われても、顔を上げちゃダメ
当然顔は分からない。
時代劇とかでは顔をあげてますが
顔を上げなきゃお芝居になりませんからね。

ちこう、とか、これへ、とか言われても微動だにしません。
そういう事を言っていただいても、私のようなものは畏れ多くて動けません
というのが「正しい」態度

セレモニーの時に将軍がかける言葉は決まっていて、「御意の振」(ぎょいのふり)という文書になっています。

何か役職を命じる時は「念を入れて勤めい」
大名が国元に戻る時には「在所への暇をやる、休息するように」

ワンフレーズ以上の事は言いません。

将軍が、江戸城外に出る事は、御成(おなり)と言います。
上様のおなーりー、って奴ですね

通過する道筋は厳重な規制が敷かれる。
道沿いの家の窓や雨戸の隙間には紙で厳重に目張りされる。
当日は火が一切使えないなど、生活は大きく規制される。

大名屋敷を訪問したりするともう大変
おもてなしで膨大な費用がかかる

大名が将軍の娘をお嫁にもらうとなるとこれまたえらいこと
東京大学の赤門は、加賀百万石の前田家が、11代将軍の娘を迎えるために作った門です

将軍に献上される品物はあたかも将軍であるかのごとく扱われる
将軍への献上茶を入れたお茶壺の道中に会えば、大名と言えども道を譲って籠から降りないといけない

ましてや庶民は、災難が振りかからないよう、家の戸をピシャッと閉め、通過するのをひたすら待つ

ずいずいずっころばしは、そんな歌です。

ずいずいずっころばし ごまみそずい
茶壺に追われてトッピンシャン
抜けたらドンドコショ

ただ、そんな将軍の存在は迷惑がられていたかと思うとそうではない。
江戸庶民は、自分達が上様のお膝元に住んでいるということが自慢で仕方ない。

例えば、どこかに将軍が立ち寄ったというと、同じ空気を吸いたいと
わんさか人が集まる
川崎大師は、11代将軍家斉が訪れた後、大ブームになる

山王権現や神田明神のお祭りは、山車が江戸城に入り、将軍にも見ていただけるということで大騒ぎ
町人の代表が江戸城内に招かれて、能を見せてもらえるというイベントがあるのだけど
それはそれは名誉なこと

そんな演出をしながら、
将軍は庶民にも大人気となっていきます。

[江戸の文化]シリーズはこちら(少し下げてね)

将軍の顔は見ちゃダメ。茶壺に追われてトッピンシャン」への2件のフィードバック

  1. ピンバック: シュリーマンが遭遇した人物は? | でーこんのあちこちコラム

  2. ピンバック: [将軍の演出] 「しー」は静かに。えっ知らないの? | でーこんのあちこちコラム

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