[名僧]江戸時代と言えば天海

名僧シリーズ、いよいよ今回から、江戸時代に入ります。

江戸時代の僧と言えばこの人に決まっております。

天海
1536?~1643年 天台宗
天海については一度書きましたので、こちらも読んでね

天海は、11歳で出家したらしいのですが
家康に気に入られてから急に有名になったもので
前半生が謎のまま

長生きには違いないのですが、
一番長い説だと137歳まで
そんなバカな

ということで、天海には謎めいた話がいっぱいあります。

一番有名なのは天海=明智光秀説
突拍子もない説ですがとっても面白い。
詳しくは、先ほどの「こちら」の方の記事を見てね

なぜ天海が家康に気に入られたかというと
劇的な出会いみたいなことじゃなく、オーディション

家康が、宗教をどう統制していくかを考え
自分の意を組んで、各宗派のリーダーとなってくれる人を探していた。

目の前で、議論をしてもらって判定
何度も繰り返して、最も影響力のある総合大学的宗派の、天台宗で
天海が選ばれた。

各派選ばれたはずだが、天海以外はどうだったのか
臨済宗の金地院崇伝(こんちいんすうでん)以外はよく分かりません

織田信長の比叡山焼き討ちにもあるように
仏教と言えば比叡山をどう扱うかが最大の問題

京都ではなく、お膝元の江戸に、比叡山に変わる仏教の核を作りたかった。

東の比叡山という意味で、東叡山寛永寺
天海のために膨大なる土地を用意
江戸城の鬼門の方角である東北を守ってもらい
災いを全て跳ね返す

これも京都の東北に位置する比叡山と同じね

あくまでも比叡山への対決姿勢ではなく、比叡山に習った感じにして
その実、天台宗の勢力を真っ二つに分ける

家康はもともと、浄土宗
増上寺が徳川家の菩提寺
でも、不思議なことに、歴代徳川将軍の半分は、天海の寛永寺にお墓があるんです
よほど気に入られたんでしょうね。

ただ、家康自体は、天海の発案で、神様と位置付けるべく日光東照宮に。
吉田神道に基づいて、「明神(みょうじん)」を主張する金地院崇伝に対し
山王一実神道に基づいて「権現(ごんげん)」を主張
家康は権現と呼ばれることになります。
仏が仮の姿として神様になっているのが権現

これって朝廷に対して大きな意味を持ちます。
天皇は神様だけどそれだけ
家康は、神様であり、かつ仏様
ひとつよりふたつの方が勝ち

天海のすごいのは、長生きすることで
家康だけではなく、
2代秀忠、3代家光にも気に入られたということ

特に家光は、秀忠にあまり可愛がってもらっていない事もあって
天海の事を父のように慕います。

天海が病気の時には
こまごまと、あれをしなさい、これはやっちゃだめ
分かりましたか。本当に守ってくださいね
もし守らなければ、私はもう知りませんからね
と、本当の親に対するような、気遣いの手紙を送っています。

強大な権力を3代に渡って発揮できる訳で
やりたい放題しそうなもんですが、多くの人の赦免や罪の軽減を願い出ています。

政治闘争に敗れて謀反の罪を着せられたと思しき重臣・大久保忠隣
同じく重臣で、江戸城西の丸が消失してしまった際に責任者として罪を問われた酒井忠世
意見をはっきり言いすぎて失脚してしまった医師・片山宗哲
紫衣事件で出羽国に流罪となった沢庵宗彭

[名僧]シリーズはこちら(少し下げてね)

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