[天皇]35-2。乙巳の変(虫も殺さぬ大化の改新)

皇極天皇
の続きになります。

中臣鎌足と中大兄皇子が仲良くなって、ミーティングを重ね
ある計画を練っていたというところでしたね

蘇我入鹿殺人計画、即ち乙巳の変(いっしのへん)です。

ところで、乙巳の変(いっしのへん)って知ってました?
我々の世代は、大化の改新って言っていたような。

645年の虫も殺さぬ大化の改新

どうも途中から教科書が変わったっぽい

蘇我入鹿を殺したという殺人事件(政変)=乙巳の変と
政治的大改革の大化の改新を一旦別物と考えましょう

大化の改新って乙巳の変と連動して起きたものか怪しくて
ひょっとしてもう少しあとだったんじゃないかと。
今後何らかの資料が発見されて、明らかになったら
別々に扱っておいた方が都合が良いね、と言うことのようです。

改新の詔を中心とした大化の改新は、
ここから中央集権国家としての「日本」が始まったと言える画期的なもの

ちょっと大化の改新は後回しにして、乙巳の変から

乙巳の変
乙巳の変は間違いなく645年
乙巳と言っているので絶対です。
乙巳は60年で一回りの干支と言われるもの
当然西暦なんかないので、干支しかありません
元号すらない
もう少しあとに日本で初めての元号「大化」が決まります。
乙の方は十干(じゅっかん)といって、甲乙丙丁戊己庚辛壬癸(コウ・オツ・ヘイ・テイ・ボ・キ・コウ・シン・ジン・キ)
の順。
巳の方は十二支ね
十干が10で巡ると言うことはとても便利
西暦の下一桁が分かるんです。
甲は4から始まります。
だから乙は5年
虫も殺さぬ645年ですね

壬申の乱は67[2]年
戊辰戦争は186[8]年ね

さあ、Xデーに参りましょう
蘇我入鹿を確実に呼び出す必要があります。

嘘のイベントを開催
朝鮮半島の3国が貢ぎ物を持ってくるので、そのセレモニー

当時の半島情勢からして、あり得る話なので、入鹿も行かざるを得ません

さらに、セレモニーなので、持ってきた刀は入口に預けて入ることになります。

打ち合わせでは関係者4人
中大兄皇子と中臣鎌足
さらに、蘇我氏の分家、蘇我倉山田石川麻呂がまず、「三韓の上表文」という贋の文書を読み上げます。

怖いよぅ
石川麻呂はこれから起きようとしていることが恐ろしくて
ブルブル声が震えちゃいました。

入鹿が
どうしたの?

こんなに天皇のお側に近づくことがなかったので
恐れ多くて震えちゃいました。

実際に突入するのは、石川麻呂の部下

の筈だった

あれ?

突入の合図、「三韓の上表文」が終わっちゃうよ

怖じ気づいて出てこれない

ええいっ

中大兄皇子自らが刀をふりおろした。

この事、中大兄皇子自身が実行犯となったことが
後々、大きな意味を持ってきます。

な、何
何なんだ
私が何をしたと

血だらけの体で、何とか皇極天皇のところににじり寄る

どうしたって言うの?

蘇我入鹿が天皇の座を奪うべく謀反を計画しておりました。

ん?
という顔をしたあと、皇極天皇はその場を退席

息子に、あとは任せた
という意思表示と言えるでしょう。

遺体は、親、即ち蘇我蝦夷のところに運ばれました
蝦夷は自決
かくして、蘇我氏の宗家は断絶となりました。

中臣鎌足は、藤原鎌足と名乗ることになり
歴史上ずっと中心でありつづけた、藤原家が誕生することになります。

皇極天皇は、公の場で息子が殺人を犯してしまったこと
自分がそうと知りつつ退席した事の責任を取って天皇を退く事になります。
これが歴史上初めての天皇の譲位です

藤原氏の始まり
譲位が初めて
元号、大化が初めて

それ以外にも初めて尽くしの大化の改新
次回お話することに致しましょう

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

[天皇]35-2。乙巳の変(虫も殺さぬ大化の改新)」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: [天皇]35-3 大化の改新 | でーこんのあちこちコラム

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です