[天皇]41 持統天皇。我こそはアマテラス

天皇シリーズ、大物が続きます。

持統(じとう)天皇
690~697年

以前にも書いているのでこっちも読んでね
春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣干すてふ天の香具山
持統天皇

天智天皇の娘であり、天智天皇の弟の天武天皇の奥さん
要は叔父さんと結婚したということです。

その後、天武天皇が亡くなったので、天皇を引き継ぐことになります

天武天皇と自分との間の子供、草壁皇子に引き継いでも良かった訳ですが
まだ若かったということもあって、役割分担した。
前回お話ししたように、祭祀と政治を分けたんです。
祭祀は自分が行い、政治は息子にやらせた。

それに先だって、吉野盟約ということを行っています。
天武天皇はいろんな奥さんとの間にいっぱい息子がいたので
その息子たちを一堂に集めた。

日本書紀では、こんな風に書かれています。
天皇は、皇后および草壁皇子・大津皇子・高市皇子・河嶋皇子・忍壁皇子・芝基皇子に詔して、
「朕は今日、そなたたちとこの宮の庭で誓いを立て、
千年後までも争いごとが起きぬようにしたいと思うが、いかがであるか」

はーい
異議なーし

要は、自分の息子の草壁皇子を立ててね、と

ところが、草壁皇子に健康上の問題が起きてきた

となると話は違ってくる
次なる実力者、大津皇子が皇太子(政治のトップ)の座を狙ってくる

まずいっ
計画が台無しになってしまう。

計画とは何かというと、自分から真の天皇を開始しますよ計画

天武天皇は、始めて「天皇」という称号を使った。
それまでは大王(おおきみ)
天皇とは、中国で絶対的な世を治める人な訳ですが
高宗という人が一代限りで自分をこう呼んだ。

天武天皇も一大限りのつもりでこの称号を使い
自らを神であるように言ったのだけど
持統天皇からすると、この理屈はとっても弱いと思っている

天武天皇は弟だからです。
直系の系譜ではなくあくまでも亜流

それに比べて、自分は天智天皇の娘。
天武天皇の妻というより、天智天皇の娘という意識の方が強い

大津皇子が反乱を起こした事にして排除する

愛する息子の死も薄々は元から覚悟していた。
一旦は政治のトップとして、腕を振るってもらう事もできた

あとは計画の完成

自らをアマテラスオオミカミと位置付ける
高天原広野姫という名称は、まるまるアマテラスです。

草壁皇子には、やはり天智天皇の娘、阿閇皇女(後の元明天皇)を嫁に迎え
見事男子が誕生していた。珂瑠皇子(軽皇子)、後の文武天皇です。

そうなると完成は目の前
アマテラスの孫、ニニギノミコトの天孫降臨へ
文武天皇への譲位です。

古代最大の内乱(壬申の乱)を天武天皇と共に戦い、
天智天皇の指名した大友皇子(弘文天皇)を自殺に追い込んだことで
天武-持統ラインと天智ラインが対立していたと見る向きもある

ただ、それであれば、日本書紀を自由に書かせられる持統天皇は
天智天皇の事をボロクソに書いても良かった筈
乙巳の変では、殺人実行犯である天智天皇を悪者にしないため
相手の蘇我入鹿を殊更に悪く表現

天智天皇を「天命開別」という「中国的王朝の中興の祖」の表現を借りて讃えています。

その後も墓を都の真ん中に作ったり、命日は国家的法要を行う「国忌」にしたりと
権威付けを行います。

政治面では、天智天皇が始めた法治国家の総仕上げ
律令制度の完成

今までは律(りつ)と令(行政組織作り)のうち、令だけでした

飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)
これは、次なる大宝律令へのステップ

大宝律令は手掛けはしたが完成までは至らず
文武天皇に、
あとはお願いね

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です