[明治]大久保利通その3。遅かったじゃないか。

[明治]大久保利通は用心深い妻
[明治]大久保利通その2。岩倉具視使節団で行ったり来たり
の続きです。

征韓論
途中だったのに、岩倉具視使節団から、三条実美に呼び戻されました。
待っていたのは、

征韓論や組織間のゴタゴタ

大久保自体、西洋諸国を回って考え方や性格まで変わった。

幼馴染みでずっと一緒にやって来た親友中の親友の西郷に対して

ずれてるなあ
今、朝鮮に戦争をしかけるなんて

西郷としてもすぐに戦争しようという訳ではなく
自分が最初に行って交渉しようという案
ただ、裏では、努力はするが決裂するだろう
その時、相手から行動を起こすだろうから、対応して戦争になるのはやむ無し、と考えている。

心のどこかで、西郷とは普通の仲でもなし
まあ、ちゃんと話せば分かってくれるだろう的に軽く考えていた。

自分が呼び戻されるほどの事じゃない
使節団全員もうすぐ帰ってくるので、それからでも良いんじゃない?

箱根から富士山、関西の方まで旅行に出掛けている

もちろん大久保の事なので、その間、日本をこの先どうしていくか、熟慮していたのでしょう

そもそも、西郷の派遣は、使節団の留守中に閣議決定されちゃっている。

使節団が帰ってきたあと
大久保の反対派は、それは仕方ないとして、実施を延期すべしと議題を提出

ここで、西郷が強く抵抗
決まった事を今更云々言うような事なら私は辞める

これには、みんな参った。
西郷は一番人気。やめてほしくない

結局最後に採決してみると、延期に賛成したのは大久保独り

大久保完敗
完全なる正式決定

この間のゴタゴタで、最高位の三条実美の精神が壊れた。
どうにも何にも出来ない。

仕方ないと、No2の岩倉具視が代理でトップに立ちます。
元々やりたがりの岩倉具視。独裁可能状態。
動きます。

大久保利通と密談。

完全なる正式決定ではありますが
実施に移すためには天皇の承認が要ります。

天皇に承認をもらいに行くのは、本来三条実美
代理で岩倉具視

書類には、
これこれこうと決まりました。
ところがちょこっとB案を付け加えた
反対意見もあったんですがね、と

で、ここからが岩倉具視の凄腕
何だかんだで、反対意見の方をうまく説明
個人的にはこちらの案の方が良いと思うのですが、いかがでしょう

よきにはからえ

はい、ひっくり返りました。

これには西郷がキレた
大久保謀ったな。卑怯者。
辞職

誰がどう考えても、大久保と岩倉はおかしい
それでも、大久保は日本の未来のため、卑怯者を選んだ。

幼馴染みで親友中の親友と決別する選択だった。

当時アメリカに留学していた息子に遺書めいた手紙を送っている

何としてもやめさせなければならない
西郷との全面対決の結果、
陸軍や不平士族によって命を落した、という「変」を外国で聞いて驚くであろうが。

この時すでに、自分が暗殺されるであろうことを覚悟している
その前に西郷を、自分の決断で「殺す」ことになるまでは考えてなかったとは思うが。

独裁
西郷が下野し、木戸孝允は病院が悪化してほぼ業務を取ることができなくなる。

大久保の独裁状態。

ありとあらゆることに手をつける

どんどん成果をあげ、評価が高まる
そのためにますます、大久保に集中していく

当初は木戸孝允が急進派で、大久保はじっくり時間をかけるべし、という主張だった。
完全に逆転

その急激さ故に、反発も大きい。

君民政治
ヨーロッパを視察したとき、イギリスに圧倒され、自信をなくし
ドイツに行ったとき、こっちだ、と思った。

経済だけでなく、政治のあり方も同様につぶさに研究し
急激すぎるイギリスより、ドイツの君主制が日本に馴染むと思った。

ところが、西郷と決別し、覚悟を決めたこの時
イギリスに焦点を当てなおしている

君と民が共に政治を行う君民政治
急激かも知らんが何とか追い付くんだ。
民の力をあげていけばいける
民主主義はまだ無理。
でも、真ん中のこの君民政治なら

評価が上がっていくのに、人気は下がっていくという不思議な現象
覚悟した自分の「最期」が近付く予感

西郷を自分の心の中で「斬った」時
自分だけがのうのうと生きるわけにはいかんと思ったのだろう。

全ての、嫌われ役の必要な政策、は率先して前に出てやっていった。
強大な権力を持った、内務省の創設
その長官に大久保が就任

樺太問題の解決
台湾で起きた事件のため、出兵し、
あわや日清戦争になりそうになるところを清と粘り強く交渉し、回避

そして、征韓論の元となった、朝鮮問題まで解決させます。
朝鮮との平和的国交樹立
これで、征韓論自体意味をなくすことになります。

新たな農業の形を探るため、今の新宿御苑の場所で農業試験場を開設
富岡製糸場など殖産興業を徹底的に推進

廃刀令
廃刀令
旧士族の家禄の廃止
旧士族は全面失業です。
今まで、新政府に協力して革命をやり遂げた仲間たちと言えます。

裏切られた!

西郷とともに征韓論政変のときに下野した江藤新平が
佐賀で、反乱を起こした
即座に武力制圧
そして、西南戦争

暗殺
暗殺現場に行ってきました
長女の前撮りをやったホテルニューオオタニの真ん前です。

清水谷公園という公園があり、

その中に大久保利通のでっかい追悼碑があります。

西南戦争終結の一年後、明治11年5月14日

早朝6時から、自宅で福島県権令山吉盛典の訪問を受けていた

山吉は、起業公債による華士族授産に批判的

大久保は反論
先の家禄廃止は、やむを得ない事情で行ったのであり
哀れむべきは彼ら。
華士族に特別の保護を与えるべきだろう

激論の末、8時になったので山吉が帰ろうとした。

いや、良い機会だから話しておきたい、と引き留めた

明治維新の「盛意」を貫徹するには30年を要する。
明治元年から10年は「創業」の第一期であり、
11年から20年までの第二期が最も「肝要」である

8時過ぎ、フロックコートと山高帽子で、
赤坂仮御所に向けて馬車で自宅を出発した。

その前の7時40分ごろ、島田一良ら暗殺をもくろむ6名が、
決行場所と決めた紀尾井町の清水谷に到着し、
道路をはさんで二手に分かれて大久保を待ち構えていた。
大久保こそが諸悪の根源、成敗が必要という彼らなりの正義

思い残すこと
山ほどある
もっともっとやりたいこと

でも、この日を待っていた気がする
天国で西郷に会いたい

遅かったじゃないか大久保
まあ座れ

許してくれるのか

馬鹿言え
それ以上言うな
飲み明かそうじゃないか

[明治]シリーズはこちら(少し下げてね)

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