[天皇]52 嵯峨天皇。色んなベースの始まり。

天皇シリーズ

嵯峨(さが)天皇

お兄さんの平城(へいぜい)天皇から譲位されて即位。
その後、平城太政天皇と対立し、勝利した。

元の派手派手路線に逆戻り
筋金入りの文化人

後に源氏物語のモデルになったと言われるほどです。

ただ、和歌が一般的になるのはもうちょっと先です。
嵯峨天皇は中国が大好きということもあって
勅撰漢詩文集『凌雲集』を編纂します。

それ以外にも何から何まで、唐風化します。
仏教も保護
特にこの時期の大きなトピックとして
最澄と空海の、天台宗と真言宗が起きるのです。

政治的には、蔵人頭(くろうどのとう)や検非違使(けびいし)といった令外官(りょうげのかん)を置いた
令外官とは、律令制度で決まっている組織に加え、天皇みずから選任して、自由に使える組織
初代蔵人頭は、藤原冬嗣だった。
後の摂政関白も令外官なので、布石になったと言える

源氏の始まり
桓武天皇は派手派手で女性関係も頑張り屋さん
子供が何十人もいたので、後続から民間に臣籍降下させ、平という姓を与えた。
桓武平氏と言います。

今度の嵯峨天皇も負けず劣らず頑張り屋さん
記録で分かるだけでも、男子23名、女子27名
桓武天皇と同様に、臣籍降下。源の姓を与えます。
嵯峨源氏と言います。

院の始まり
在位14年で、弟の淳和天皇に譲位します。

平城天皇の事があったので、譲位後は一切政治には口を出さないようにします。
この慣習は随分長く続きます。

嵯峨天皇としては、政治には興味が無かった訳じゃないけれど
それ以上に文化的な事の方が好きだったのでしょう。

平安京の外に冷然院(後に冷泉院と改名)と嵯峨院という離宮(別荘)を設け
色んな文化的宴
この「院」という存在が後に大きな意味を持つようになります。
おそらく嵯峨天皇自身が意図したものではないでしょうが
院という場所が特別の意味を持つようになり
経済的に様々な特権を取得して強大な力を持つようになります。

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

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