[天皇]57 陽成天皇。9歳から17歳まで。狂気か純粋な恋か

天皇シリーズ

陽成天皇
876~884年

その前の清和天皇が
かのプレイボーイ在原業平と浮名を流した、藤原高子(たかいこ)を実質皇太后とした。
9歳の幼帝が17歳になるのを待って、その時、25歳の高子
そして、陽成天皇が生まれる
高子は藤原基経(もとつね)の妹

高子は天真爛漫で奔放な性格
おそらく陽成天皇は、その性格を受け継いだ。

清和天皇が不思議なことに27歳の時、譲位を発表
その時、陽成天皇は9歳
2代続けての幼帝ということになる。
自分も9歳で苦労したのにね
よほど疲れたんだと思います。
その後は、一切政治を省みず
出家して、極めて過酷な仏道の修行に励みます。

藤原基経とすれば、子供は扱いやすい。
望むところです。

譲位に当たって、そもそも清和天皇から
基経さん、摂政として、よろしくお願いします。

基経も最初の頃はかなり良い政治をしたようです。

ところが、陽成天皇が成長してくると、
だんだん基経とそりが合わなくなってくる。

清和天皇は大人しい性格だったから、ただハイハイと言ってくれたが
陽成天皇は、母親似の奔放な性格


陽成天皇は歴代の天皇の中でもすこぶる評判が悪い。

おかしな噂が立つようになる
奇行
動物虐待
女中を琴の糸で縛り上げて木から吊るしたとか

そして、宮中で、何者かに殺されるという事件が起きた。

大事件だが、結局捜査らしい捜査は行われなかった。

ということは、真実が明らかになってはいけない人が犯人なんじゃないの?

そう
陽成天皇が殺したんじゃないかと。

結局、基経に引導を渡された

はい、この紙に書きなさい

私は、天皇を譲位します。

17歳の時です。

疑問
これらの奇行話や殺人疑惑は複数の文書に書かれています。
ただ、全て、基経側の人物が書いたもの

本当だろうか

百人一首に、陽成天皇の歌が採用されています。
筑波嶺(つくばね)の 峰よりおつるみなの川 恋ぞ積もりて 淵となりぬる

(筑波山の峰から流れ落ちる男女川(みなのがわ)の水が
少しずつ溜まってやがて淵となるように
私の恋心も積もり積もって淵になったよ)

恋の歌です。
狂気の感じはしませんね

天皇自身の歌った歌が百人一首に採用される事はそれほど多くありません。
8首だけ
後の時代の百人一首の選者、藤原定家は少なくとも、この狂気説を信じていなかったんじゃないでしょうか。

この歌の恋のお相手は
譲位させられた次の天皇、光孝天皇の娘
綏子(すいし)内親王

次の天皇のさらに娘って年齢的に不思議な気がしますが、大丈夫です。
グッと遡って、光孝天皇はおじいちゃんですから
年齢的には釣り合います。

この恋、成就します。
二人は結婚。

光孝天皇の身になって考えましょう
殺人容疑者のところに、可愛い娘を嫁にやりますかね。

真相は闇の中です。

陽成天皇
とても長生きします。
85歳まで。
本人しか分かりませんね
人生として良かったのか悪かったのか。

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

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