[天皇]59 宇多天皇。佐々木家のご先祖様

天皇シリーズ

宇多天皇
887~897年

息子を全て、臣籍降下させ
おかしな欲は持っていませんよ、と示していた、光孝天皇
でも、いよいよ自分の命が危ないとなってその内一人を皇籍に戻させた
藤原基経が一番、まあこの人ならと思っているんじゃないか、という人物
源定省(みなもとのさだみ)という名前にしていた人物
宇多天皇です。

基経が外戚って訳じゃない
仕方なく

宇多天皇からすると、臣籍降下していたのに戻してもらえたわけで
基経には恩がある
最大限に尊重しよう。
ただ、外戚じゃないというのは大きい

「宜しく阿衡(あこう)の任を以て卿の任となすべし」
と基経に実質関白職を命じたんだけど
この阿衡という言葉にいちゃもんをつけた。

その弱味のある基経側からの先制パンチ
はっきり言って言いがかりとしか思えないんだけど
ストライキとかされて、宇多天皇が完全屈服
阿衡事件と言います。

基経としてみては、最初が肝心ということなんでしょう。

逆に屈服させられた宇多天皇には、今に見ておれ、という気持ちが芽生えます。

逆襲
意外に早く、逆襲の時がやって来ます。

そこまでして、思いのままの流れを作った基経が3年後に亡くなるのです。

その子供はその時点で、まだ21歳

よっしゃ今だ!

宇多天皇が気に入っている人材を思い切り引き上げます。

出ました
菅原道真です。

天神様です。
このたびは、ぬさもとりあえず手向山 もみじのにしき かみのまにまに

菅原道真を使いつつ、自らも積極的に政治に関与して
さまざまな政策を打ち出します。

行政改革として、大幅な官司の統廃合や官員の削減
昇殿制と言って、内裏で天皇の周りで諸役を勤める殿上人(でんじょうびと)を明確に制度化
地方政治としては、受領(ずりょう)と言って、今でいう県知事みたいな役人を明確に制度化
そして外交面では有名な、遣唐使の廃止です。
菅原道真が助言。
この頃、唐がかなり弱体化
莫大な費用と、危険を侵して、唐に渡っても
もはや得られるものは何もない

ここから、日本独自の文化が大きく花開いていくことになります。

元号が寛平(かんぴょう)なので、後に「寛平の治」と言われます。
寛平(かんぴょう)ちゃんです。

このまま、宇多天皇が後ろ楯になりつつ、菅原道真が諸政策を進めれば、ずいぶん変わったでしょうね

ところが宇多天皇、息子が13歳になって元服すると、
まだ若いのに、引退して、譲位してしまうのです。

寛平御遺誡(かんぴょうのごゆいかい)という
天皇としての心構えを書いたものを、息子に残して去ります。
さらに、くれぐれも菅原道真を引き続き重用するように、と言い残して。

それ以外には、天皇が国を治めるにおいて注意すべき点
なかなか良くできた内容で
それ以降も天皇家では代々この教えが大切にされ、
後々まで守られることになります

それまで、藤原時平を押さえ込んでいたわけではない。
時平と菅原道真をほぼ同じスピードで昇進させていった。
宇多天皇のときは、時平がまだ若かったこと、菅原道真が極めて頭が良かったこと
宇多天皇自身が積極的に政治に関与したことがあって
うまくバランスが取れていた。

いくら、寛平御遺誡を残したとは言っても、息子(醍醐天皇)はまだ13歳
このバランスをうまく保てる筈がありません
悲劇に繋がる訳ですが、その辺は次回の醍醐天皇の方に譲りましょう。

佐々木
そのあとの時代で、どんどん藤原氏が強くなっていって、摂政関白の時代が続くことになります。
ただ、その裏では、脈々とさらに次の時代の芽が息づいていきます。

そのあたりを次の次の天皇の辺りで話していくことにしますが
平氏と源氏です。
武士の時代です。

桓武天皇の時にお話ししたように、
天皇家を途絶えさせないように、男の子をいっぱい生ませるのが天皇の大きな仕事
桓武天皇をはじめとして、頑張り屋さんの天皇には何十人と子供が出来る
世継ぎは皇太子となり、皇族なので姓は持ちませんが
それ以外は、姓を与え、家来の方の立場に回りなさい

その姓を平と源のいずれかに統一していく
平さんと源さんはバンバン増えます。
一大勢力となっていく。
先程お話した地方政治の長、受領となったりしていく。

ひょっとすると桓武天皇は
藤原氏に対抗できる勢力として
平や源として作り上げたかったのではないかと思います。

平や源は複数の息子を持ち、ねずみ算式に増えていく。
そうすると自分達も訳が分からなくなるので
天皇からもらった正式な姓、平や源とは別の通称で呼び合うようになる

親戚であったときに、大阪のおばちゃん、と呼ぶようなそんな感じ
地名に由来したり、地形や位置関係や職業に由来したりします。

村の中で中心地の田んぼを持っていれば田中さん、って感じ

正式な方を「姓」通称を「名字」と言います。
明治になって統一されるまでは両方持っていたんですね。

姓の方は、どの天皇の息子から始まったかによって、
桓武平氏、清和源氏、というような言い方をします。

宇多天皇も頑張り屋さんだったので、宇多源氏はいっぱいいます。
宇多源氏の中で、今の滋賀県の近江に渡った者が
佐々木という名字を持ちます。

田中等は、田んぼの位置関係なので全国津々浦々で
同時発生的に生まれますが

わが佐々木(でーこんの本名)は
珍しく、ただここだけ。
近江の沙沙貴(ささき)神社の近くだったという名字のみに集約され
そこからどんどん全国に散らばっていくのです。

即ち、佐々木ははっきりしています。
ご先祖様は、宇多天皇。

おお、有り難き幸せ

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