縄文時代に行ってきました。赤いっ

八国山緑地で緑のシャワー
でお話しした、八国山たいけんの里、についてです。

八国山たいけんの里
小学生相手の自然体験学習を行う場所かと思っていましたが
全くそうではありませんでした。

奥に、縄文時代の出土品が展示してありますので
ご覧ください

はーい

縄文だったのか
なるほど、ここで出土したわけね
下宅部(しもやけべ)遺跡というそうです。

それならそれで、よくあるパターン
郷土資料館は時代順で展示されるので、
大体、出土された土器や、貝塚から始まります。

そう思いながら見ると
いきなり心捕まれました。

漆(うるし)の技術がうんぬん

えっ、どういうこと?
縄文だよね、縄文
弥生時代より前

そんな時に漆の技術があるとは思えない
漆って、あの、お椀に塗ってあるあれでしょう。

教科書とか各博物館で置いてある縄文式土器と、
繊細な漆のお椀がどうしても結び付かない。

赤いっ
ほんまに赤い

お恥ずかしいのですが
漆に関する知識が無さすぎて、呆然とするばかり

弥生時代にも至っていない縄文時代
食っていくためにギリギリなんじゃないの?
なんでまた漆を塗る?

解説の中で、ひとつ書いてあったのが
補修するため
なるほど、土器に穴が空いたとき、
漆を塗ると、塞がるのか。

でも、接着剤だけでなく、補強剤としても使われたと思われます。
長持ちするってこと。

でも、この重要文化財に指定されている漆塗りの櫛やヘアピンなんて
本当にそれだけ?って気がする
赤い、ってことに意味があるように思う。
縄文時代の女性が、ある男性に恋をしたんじゃないか
お洒落をしたかった。
ヘアピンには、細かい模様が描かれています。

そう思いながら見ると
今までの縄文時代に対する認識が一変してきます。

そもそも、漆って漆の木の樹液から取るって初めて知りました。

縄文式土器の作り方
それではここで、一緒に縄文式土器を作りましょう

まず砂と粘土を用意してください。

混ぜてコネコネ

粘土遊びをするときに、みんな得意気に作る、あれ、を作りましょう
「へび」です。

床にあたる部分を作ったら、そのふちに、ぐるっとへびを一周させます。
さらに、その上にへびをまた一周
崩れないように、ペタンペタン

繋ぎ目から崩れないよう、手やヘラで丁寧に整形

お好みの形に仕上がったら、ここからは、センスが左右します。
外側に模様を書きましょう。
縄文っぽいのがおすすめですが、子供ウケするアンパンマンを書くのも斬新です。

ある程度乾いたら、内部を丁寧に磨きます。
これで水が漏れにくくなります。

急な乾燥は禁物です。
日陰で干しましょう。

十分に乾燥したら、焼きの作業に入ります。
焚き火をしましょう

♪さざんかさざんか咲いた道
焚き火だ焚き火だ落ち葉焚き

縄文時代から伝わる、焼き工程の歌です。

いきなり放り込むと割れてしまいます。
入れたり出したりで徐々に温度を上げていき、
ここぞというときに、ホレッ

はい完成ーっ

高床式住居を作るための木材加工技術

屋根の木材をはめ込むためのほぞがあります。
その加工するための道具

それ以外にも、食料確保のために、魚を取ったり貝を取ったりの道具
狩猟の道具
ドングリをどう食べていたか
繊維として麻をどう利用していたか

豆を育てていて最初は、ツルマメと呼ばれる小さな豆
時代とともに、ダイズに変わっていき、
そのダイズの大きさも、ある時期以降、急激に大きくなります。

この下宅部遺跡の面白いところは、複数の違う時代のものが出土されていること
縄文時代よりあとの古墳時代や、平安時代のものも

瓦塔
お隣に宅部山遺跡というのがあるんですが
そこでこんなすごい、瓦塔というのが見つかった

いつの時代のものかが書いていなかったんですが
明らかに仏教のものなので、仏教伝来以降でしょう。

その屋根の一部が、250m離れた、ここ下宅部遺跡で発見された。

不思議だ
誰が何の目的で運んだのか
燃えないゴミの日に、ゴミとして運ばれたんでしょうか

あと、池を祭祀の場として使った遺跡も発見されたようです。

いやあ、面白かった。

帰ろうとした時に、スタッフさんを発見
チャンス!

スタッフさんと話ができると、とても楽しいウォーキングになります。

すごいですね、縄文時代に漆があったんですね

そもそも漆の木って日本にはほとんどなくて、大陸のものだから
日本に伝わったあと、日本で栽培されたみたいです。

接着剤って書いてありましたが

元々はそうで、防腐剤的な事は後々発見されていったようです。
接着剤的なものは、全国各地で、色んな方法があるんですが
例えば東北では、天然アスファルトが使われていたようです。

アスファルトが天然なんですか

砂の中に含まれている油分から取り出して、みたいな事だと思います。

漆の赤いのは、元々ですか

ある成分が含まれていると赤く変化するんですが
赤い顔料を混ぜるという方が一般的だと思います。

ということは、わざわざ赤くしたということですね

一番多く取れたのは、朱です。
でも、朱が取れたのは北海道です。
それが運ばれたと考えられます。

わざわざ赤くするために、
北海道から運んだんですか
縄文時代に北海道からここまで運べる船も作れないでしょうし

陸路だとは思いますが、詳しい事は分かっていません。

弥生時代になると漆文化が突然消えたと書いてありましたが

全国的に消えたという事ではないと思います。
少なくともこのあたりでは、出土されなくなり
古墳時代以降でまた出るようになる
縄文時代の漆技術はとても発達していて
今の漆技術と基本的なところはほぼ同じというレベルに達していました。

当然文字なんて全くない時代だから
口伝えしか方法はないと思いますが
そこまで技術を進化させていけるもんなんですね。
北海道に朱があるなんてどうやって分かったんだか

おっしゃるとおり、文字がないので
全ては現象から想像するしかない。
麻から繊維を取るなんて、とても大変な作業なんですが
やっているんですよね。

ありがとうございました。
とても面白かったです。

はっけんのもり
下宅部遺跡をテーマにちょっとした公園もあるというので足を伸ばしました。


縄文時代にやって来たーっ
縄文時代の川


ここで焚き火
♪さざんかさざんか咲いた道

古墳時代以降で、祭祀に使われた池
のはずだったんですが
崩れちゃったようです。

長くなりました。
このあと、八国山緑地のハイキングで、そのあと、新田義貞関連の遺跡巡りと続きます。
八国山緑地は昨日お話しましたので、
明日は新田義貞の話と致します。

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

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