日暮里からウォーキング

今日は日暮里から歩いてみましょう。

延命院

日潤のお寺です。
詳しい事件の内容はこちら
[大奥]11 家斉。とんでもないお美代

日潤の墓がありました。
歌舞伎で延命寺事件を題材にした「日月星享和政談」が大当たりしましたので
尾上菊五郎とかの歌舞伎関係者が供養塔を建てたようです。

横に解説がありました

事件は捏造だと書いてあります。
もちろんその可能性もあると思います。

お寺は取り潰しにならなくて、今もずっと続いているんですね
むしろその事に健全さを感じます。

シイの巨木がありました。

樹齢600年を超えるのではないかと思われるもの。
全てを見てきたんですね。

全生庵

東京中ウォーキングしていると、何かにつけて出てくるのが山岡鉄舟
三田、播磨坂、銀座、上野・・
西郷隆盛と勝海舟の無血開城の世紀の会談の前の下打ち合わせ
幕府側の代表として望んだのが、山岡鉄舟
明治維新後は、新政府からも重用され、天皇付の重要ポスト
特に書に優れているので
この字は、山岡鉄舟の書いた、というのがいっぱい
木村屋のあんぱんの看板や、上野の彰義隊の墓の字や。

山岡鉄舟は禅の世界でも明治においてリードしていた。
明治16年に、臨済宗の寺を作ったのが、ここ全生庵
明治に寺が出来るのはかなり珍しいんです。

自身の墓もあります。

碑も立っています

山岡鉄舟の禅の弟子になったのが、初代三遊亭円朝
円朝もまた、ウォーキングしているとお馴染みさん
どっかんどっかん笑いを取るというのじゃなく、人情話や怪談が得意
『牡丹燈籠』『真景累ヶ淵』『怪談乳房榎』

墓の字は山岡鉄舟です

おおおっ。でっかい観音様
金ぴかじゃありませんか


青空に金色はとっても映えますね

須藤公園
意外なところに大名庭園

元、大聖寺藩の下屋敷。あの加賀藩の支藩なので前田家です。
明治になって、長州藩の品川弥二郎が住んでおりました。
新政府軍が江戸に侵攻するとき歌いながら進んだ「トコトンヤレ節」は品川弥二郎の作詞です。

♪宮さん宮さん お馬の前に
ヒラヒラするのは 何じゃいな
トコトンヤレ トンヤレナ
あれは朝敵 征伐せよとの
錦の御旗(みはた)じや 知らないか
トコトンヤレ トンヤレナ

そのあと、実業家須藤吉右衛門さんの屋敷になり、東京市に寄付。そして文京区に。
だから須藤公園

崖の場所にあるので高低差がすごい


今日だけなのかいつもなのか
こんな騒がしい大名庭園は初めて見た。
何がかというと子供たち
20人くらいいたろうか
鬼ごっこでこの高低差をギャアギャア言いながら、走り回るのなんの
今時の子供もこんなに体力あるんですね。
息切れしている様子がない。
日本の未来は明るいぞ

光源寺
駒込大観音とありました。
何でしょ。教会のような

おおおっ
期待以上。なんて大きいんでしょう。
写真じゃなかなかこのど迫力は伝わらないかなあ

間違いなく今まで見た中で最大の十一面観音

新しい感じですが、これは平成5年に再建されたもので、
元禄10(1697)年に同じものがあったらしい。
夏目漱石の三四郎にも出てくる
江戸の町人、丸屋吉兵衛が作ったもの
恐るべし。

横に千手観音もありました。
翼のような手が可愛い

さらに横に庚申塔
これもでかい
私が今まで見た中で最大だと思う。

何と明和9(1772)年、行人坂の大火の年
250年も経っているのに、何とこの保存状態の良さ
こんなくっきりした庚申塔は初めて見ました。

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

日暮里からウォーキング」への1件のフィードバック

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