[首相]17 浜口雄幸。名前がひっくり返っちゃった。

首相シリーズ17人目

浜口雄幸(おさち)
立憲民政党(元憲政会)

土佐藩の足軽の子として生まれる。
名前を届けるときに、父親が泥酔し「幸雄」と書くところ、雄幸と書いちゃった。
そんなことあるかなあ
あったとしても訂正したり、通称は幸雄で良いと思うんだけど
雄幸でもいっか

とっても真面目で勉強家
官僚となっても最初のうちはエリート街道を進んでいた。
ところが、頑固で上司とぶつかることが多くなり
地方を転々とする不遇の時代を過ごす

目をかけてくれたのが後藤新平
後藤が桂太郎内閣で逓信大臣となったとき、逓信次官に
桂太郎が中心になって結党した立憲同志会に入党し
政党政治家へと転身する。
その後、立憲同志会は憲政会に名前を変える
長く野党であったが、ようやく加藤高明内閣で与党となり
浜口は大蔵大臣となる

首相に
政友会の田中義一内閣となると、憲政会は政友本党と大接近
合併して、立憲民政党となる
総裁には全会一致で浜口が推され
健康上の理由で固辞したものの
みんなに説得され受ける事になる

風貌や真面目な性格で人気が出て「ライオン」とあだ名される
強硬外交を進める田中義一を激しく非難
結局、張作林爆殺事件の対応を誤った田中義一は退陣
いよいよ、立憲民政党の浜口に組閣の大命が下る
「ライオン宰相」の誕生です。

井上準之助蔵相のもと、大幅緊縮財政と金本位制への復活を実現する
浜口首相は「ともに痛みに耐えよう」とラジオで国民に呼び掛ける

さらに海軍軍縮条約を成立させる
軍が拡大していく流れの中で、抵抗すると、過去の例でも嫌な予感。

東京駅
昭和5(1930)年、11月14日朝
東京駅から、特急つばめに乗ろうとしていた。
突然銃声がし、浜口の腹部を直撃。

このあと、5.15事件、2.26事件と
軍拡に反対するものは殺してしまえ、という
恐い世の中への前兆でした。

重症ではあるが、意識ははっきりしていた。

男子の本懐だ
予算の閣議も片付いたあとだから良かった。

その場では一命をとりとめる

回復しないうちにも、国会に出る

これは国民との約束だ
これを守らなければ、国民は何を信じれば良いのか
自分は死んでも良いから国会に出る

無理がたたって、そのあと亡くなってしまう。
加藤高明首相急死のあと、同じ憲政会の若槻礼次郎がピンチヒッターで首相を勤めたが
今回のピンチヒッターもやっぱり若槻礼次郎

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