[天皇]80 高倉天皇

高倉天皇
1168~1180年

平清盛が病気になり、もしもの事があると政局が混乱すると判断した後白河法皇は
幼い6歳の六条天皇に譲位させ、8歳の高倉天皇に譲位させる
高倉天皇は後白河法皇の息子で、六条天皇のお父さんの前天皇二条天皇の弟
母親は、平清盛の奥さんの妹です。

清盛の地位がぐんとアップ
その勢いをかって、3年後、11歳で元服するとすぐに、清盛の娘、徳子が入内(じゅだい)
後の建礼門院、6歳年上です。

清盛の権力をもってしても、入内で最も重視されるのは家柄なので、厳しい。
どうしたかというと、徳子は後白河法皇の養子に入り、娘だということにする
それ、逆にまずいんじゃないの?
兄妹で結婚ということになりますよ
まあまあ、そこは

男の子が産まれて天皇になれば、晴れて清盛は外祖父(天皇のおじいちゃん)
藤原氏がさんざん使った手です。

でもなかなか子供が産まれません。
そりゃそうでしょう。
11歳じゃそんな難しいこと。

7年後、ようやく子供が産まれます。
後の安徳天皇です。
清盛これで完璧

ところが、それは終わりの始まりでした。

権力を持ちすぎるということは
敵を多く作ることにもなります。

一時期密月時代を築いた後白河法皇とは完全に敵対することになってしまいます。
親戚となり本来なら運命共同体になるはずなのに。

そして以仁王の乱、福原遷都の失敗と続いていきます。
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