白金台の瑞聖寺で寺社建築のお勉強

東京の寺社建築という本を読みました。

神社仏閣のウォーキングをしていて、それなりに楽しみ方が分かってきた。
仏像の見分け方シリーズで仏像について大分分かるようになったし
名僧シリーズで、各宗派も分かってきた
神社シリーズも、八幡に始まり、断続的に主たる神社の歴史が分かってきている

次は、細かなアイテム
寺院で言うと、建築の細部が分かればかなり面白くなってくる
それは前から分かっているんだけど、
かなり覚えるのに時間がかかっている
何せ漢字が難しい
チャレンジしては時間が開いて、ということを繰り返している。

今回のこの本、何が良いって、例が東京に限定してくれている
浅草寺、武蔵国分寺、寛永寺、正福寺、増上寺、瑞聖寺、湯島聖堂、根津神社
瑞聖寺以外は全て行ったことあるので、
本に書いてある細かいことは分からないながらも
何とか門の、とあれば、頭の中に画像が浮かぶ

なかなか無いんですよ
例が上がるのは全国の寺社で
やっぱり多いのは京都奈良

ウォーキングで楽しむ事が目的なので
本に書いてある事を、行って確認して
うおおお、ほんまや
となりたいわけです。

今日は祝日。あいにくの雨
だいたい雨の日用に、屋内ものをとってあるんですが
今、屋内ものはごとごとく休館中
仕方ない。一ヶ所だけなら、傘さしてでも何とかなるっしょ

瑞聖寺で、寺社建築のお勉強だ

瑞聖寺
瑞聖寺は江戸で初めての黄檗宗(おうばくしゅう)の寺
黄檗宗は、隠元が江戸時代に中国から取り入れた最後の宗派

日本の寺院建築は元は全て中国から渡ってきたものだけど
長く時が経つにつれ、日本独自の特色を持つようになっていく
まず、「和様(わよう)」と言われる、もともとの日本の建築様式だった
奈良時代に大仏殿を作ったとき、どどっと中国流が導入される
これが「大仏様(だいぶつよう)」
また、徐々に日本独自らなっていき、中国は中国でまた改善が図られていく
鎌倉時代に、栄西と道元により、中国から禅宗を取り入れ
この時、また、どどっと中国流が導入される
これが「禅宗様(ぜんしゅうよう)」
その後いいとこ取りで混じり会って、「折衷様(せっちゅうよう)」

黄檗宗が入って来たときは、なんとか様と言うほどまでには全体に影響は出なかったものの
黄檗宗の寺院に限定すれば、当時の中国色が強い

■宝瓶(ほうびん)
まず、あれ何だろう、と思うのが、屋根の上。
写真を拡大してみました。

■基壇(きだん)

土を固めて盛り上げ、その上に建物を立てる

ずいぶん昔は一般的だった
床が木の板になるより前は
生活は土間の上だったと考えられ
雨の侵入や、湿気を避けるため高くしたと思われます
土の上に塼(せん)という瓦状のものを敷く

これが塼(せん)なのかは不明
今はタイルなのかな

なぜこの考え方が黄檗宗で残っているかというと
黄檗宗は立って法要を行うので、
他の宗派のように、畳や板敷の上に座ることが不要

平安時代になり、床が板敷になり
建築物の周囲に廻り縁を巡らすようになると、基壇は不要となります。
基壇の代わりに、「亀腹(かめばら)」というものを床下に設けるようになりました

■月台(つきだい)


これは、私も色々お寺を回りましたが初めてかも
礼拝する人がここに集まって中の仏像を拝む

■礎石(そせき)
柱って昔は柱の先を地面に埋め込んで立てていました。
掘っ立て柱(ほったてばしら)と言います
そうすると、地面に含まれる水分で柱が腐ってくるというデメリットがありました。
それで作られたのが礎石

瑞聖寺では基壇があり、その上に礎石があるので、とても分かりやすい

亀腹の場合は、亀腹の上に作られるので、床の下で良く見えません

続きは建て具の話に入っていきますが、
長くなるので明日ね

[寺院]シリーズはこちら(少し下げてね)

白金台の瑞聖寺で寺社建築のお勉強」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: [寺社建築]寺社建築の基礎と建具 | でーこんのあちこちコラム

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です