[首相]23-3 近衛文麿。一旦引いて証拠づくり

[首相]23 近衛文麿。信じがたい事ですが。
[首相]23-2 近衛文麿。ヒトラーに扮する
の続きです。

日中戦争
第一次近衛内閣の発足を待っていたかのように、昭和12年7月7日、盧溝橋(ろこうきょう)事件が起きます。

これは、「事件」に過ぎず、事態の収拾に向かっていた。
近衛文麿としては、ぐずぐずしていると終息してしまう。
これをきっかけとして、まずは中国と戦争。第一ステップ
政権の中枢にいる共産主義者の風見章としても
この時中国で国民政府と中国共産党が凌ぎを削っているとき
なのに、国民政府と中国共産党が手を握って日本に対抗しようとしていた
これは困る。
ロシアとも連携したアジアにおける共産主義革命で、
日本が主導権を取れるかどうかの分かれ道

軍をあおるだけあおる。

ここは、中国にきっちり分からせる必要がありますね

近衛文麿としては、中国に戦争で勝つことが目的ではない。
むしろグダグダになって長引くこと

和平案提示に対し、蔣介石率いる国民政府が応じないことを原因として、
交渉打ち切りの声明を発表した。
声明の中で「国民政府を対手とせず」と述べ、
同時に川越茂駐華大使に帰国命令を発した。
これに対し国民政府側も許世英駐日大使の本国召還を決定した
戦争終結の手がかりを失う。

グダグダは国家総動員法の布石

ここは、国民が気持ちをひとつにして戦争に当たらないと
下手すれば負けてしまいますぞ

昭和13年4月1日、国家総動員法の成立
政府の権限が大幅に強化された法律
民間のあらゆる活動に国家が介入できる
特に、政府が議会を経ずに法律を決められる
近衛の目指す独裁国家へ大きく前進

一旦引いたあと、第二次近衛内閣での大政翼賛会へと繋がっていきます。

極めて危ない橋を渡っています。
目的である、アメリカと戦争してこてんぱんに負けたとして
アメリカから問われる責任が自分に及んではいけません。
責任は天皇と軍の首脳部にだけ及ぶようにする必要があります。

そのために、明確に証拠の残る形で、戦争に反対する必要があります。
自分はずっと戦争には反対していたんだけど
軍が暴走しましてね

日中戦争の始まりの時点では、ちょっとやり過ぎた感があります。
一旦トップから退く必要があります。
戦争反対という立場を明確にします。
ところが、軍が言うこと聞いてくれない。
やってられん、総辞職だ

大芝居です。
絶対にまた自分に声がかかると分かっていての行動です。

このあと、3人の短命内閣が続き
近衛の予定通り、第二次近衛内閣になります。

ところで、この第一次近衛内閣の時、
東京オリンピックが中止になります
昭和11年の事です
幻の東京オリンピック

一旦、3人の首相に話を移し
第二次近衛内閣、第三次近衛内閣で
「近衛文麿の野望」の続きと致します。

[首相]シリーズはこちら(少し下げてね)

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