竹の塚から寺社巡り

4連休だというのに理由があっておでかけしていません。
よし、行くぞ

竹の塚
足立区行ってみましょう
どの辺が良いかな
うーん、竹の塚
保木間や花畑と言われる地区

白旗塚遺跡公園
足立区は遺跡が豊富なんです。
見沼代親水公園から歩いた時、行ききれなかったのがここ
このあたりの地区で遺跡がちゃんと残っているのは白旗塚だけらしいです。

東京は大分歩きましたので、名前だけで土地のいわれが分かります。
「八幡太郎義家が東北征伐に向かうとき、必勝祈願した。白旗をここに立てたので白旗塚です」
でしょ
はい、やっぱりその通り

白旗は、今だと白旗をあげるとか言って負けちゃう事だけど
源氏は白旗で平家は赤旗

白旗をあげる事が降参の意味なのは、西洋から入ってきた習慣で
最初に使われたのは戊辰戦争。ややこしいね

東京を歩いていると、実にあちこちで八幡太郎義家が、白旗挿してます。
東北で挿すなら分かるけど、何でこの関東の地で白旗挿すのか意味分かりませんが
それだけ人気があるってことでしょう。
ここに旗挿した事にして村おこし
頼朝なんてほとんど出てこないし、
2番人気の平将門や3番人気の太田道灌にも大きく差を開けている


この埴輪、良い表情してるなあ。不安ですけど頑張ってます、みたいな

あら、こんなところに文字が


噂の神代文字ってやつかなあ
中国から文字が伝わるまで、言葉はあっても文字は一切無かったと考える方が不自然なので
何らかの文字は、少なくとも仲間内では使っていたんじゃないかな

秋の七草コーナーでは
歌があげられていました。
山上憶良の歌は定番です。向島百花園でも町田の薬師池公園でも見ました。

花も植えてあります。
オミナエシ

あさがお(ききょうのこと)

延命寺

延命寺山門は、もともと新潟県の佐渡島にある円通寺の山門で、
宝暦4年(1754)の創建といい、昭和51年(1976)に延命寺へ移築されました。
延命寺の山号にちなんで如意門と呼ばれています。
飛騨高山の名工、梶浦某が5年の歳月を掛けて、創建しました。

見事


寳積院
この次の保木間氷川神社の別当寺です。

山号は北斗山と言います。妙見とは北斗七星のことなんですが、妙見信仰があったのだと思います。

保木間氷川神社

出ましたっ
今回のウォーキングの前半戦のハイライト


富士塚


さあ、なぜハイライトかというと
田中正造の保木間の誓い、がこの場所だから
まさか田中正造のゆかりの地が東京にあったとは感激です。

田中正造と足尾銅山の話は御存知の方が多いと思うので、全体的な事はざっとだけ紹介
群馬県の足尾銅山で公害問題が発生。
自然豊かだった渡良瀬川は死の川となり魚は死に絶えます。
さらに洪水が発生。渡良瀬川の川の水が田畑に溢れ
田畑の作物も林も枯れて全滅するという最悪の事態になります。
地元選出の議員、田中正造は、この問題の解決に生涯をかけることになります。

その中で、保木間の誓いの部分

明治30(1897)年9月、請願のため、雲龍寺を出発した被害民約1万人
阻止されますが、そのうち2500名は警察官の警戒網をくぐりぬけ
東京府南足立郡淵江村保木間の氷川神社に到達しました

この神社の境内に2500人が集まったという事です。

このままでは暴徒と化すかも知れないし
警察に逮捕されて、何をされるかも分かりません。

大慌てで田中正造が駆けつけます。

頼む待ってくれ。このやり方が得策とは思えん

でも、今まで目に見える進展がない。我々も我慢の限界だ

分かる。全てわしの力不足。
何とかもう少しだけ、わしを信じて
ここは代表者以外、帰ってはくれまいか

田中正造が今までやってくれた事も分かっているので
みんな涙を流しながら演説を聞き
代表者以外は帰りました。

この事件に関してはいつかちゃんと取り上げたいと思います。

ウォーキングはまだまだ続きます。
続きは明日ね

[お出掛け]シリーズはこちら(少し下げてね)

竹の塚から寺社巡り」への2件のフィードバック

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