芝から高輪へ。の続きの続き

芝から高輪へ。チントンシャン
芝から高輪へ。の続き
の続きです。

高野山真言宗 総本山 金剛峯寺 東京別院
えっ、まさか
全くのノーマーク
真言宗の総本山、高野山 金剛峯寺(こんごうぶじ)がこのようなところにあろうとは
東京別院ということは、まさしく金剛峯寺そのものの出張所


弘法大師 空海様

四国八十八ヶ所巡りだって出来ます

味の素食の文化センター
味の素の研修センターの中に、一般公開スペースとしてミュージアムが作られている
一階には結構広いスペースで食の文化に関わる書籍の図書館
入らなかったけど、レシピ本とかも思いきり置いてあるらしい

2階がまず、食の文化展示室
出ました。今より一回り大きい握り寿司。華屋与兵衛が開発した

豆腐百珍や卵百珍の話
それぞれ、豆腐料理だけ、卵料理だけだけで100種類ものレシピ本
江戸時代の大ベストセラーです

江戸時代の花見の弁当
豪華でしょ

北区の郷土資料館にも、展示があったので、その時はこんな豪華なもの本当に食べていたの?
と思ったけど
また展示があったということは、本当だったんだなあ

鰻の蒲焼きのルーツは、室町時代にまで遡る
写真の右上の蒲(かば)という植物に形が似ているから
開くようになったのは、江戸時代からです

もうひとつの部屋は、味の素の開発秘話の映像も流れていた。
池田菊苗がうま味を発見。グルタミン酸こそがうま味の素

豊田佐吉などと共に、堂々の日本の10大発明のひとつ。

企業家、鈴木三郎助が池田菊苗のもとを訪れる
別の事を聞きに来たのに、池田菊苗はうま味の事ばかりを話す。

鈴木三郎助としては得るものがなく帰ったのだが
池田菊苗は、そもそも企業家が自分のもとを訪ねてきてくれる事などなかったので
鈴木の家に訪ねていって、うま味の商品化をしてくれないかと頼み込む

池田は「味精」と名付けていたが、鈴木は「味の素」を提案
かくして味の素は誕生した。

鈴木は多額の金をかけて徹底的に広告戦略
ところが、「味の素」が何者か誰にも理解できないという難問が立ちはだかる
ある人は、洗髪に使い、ある人は水に溶かして化粧水として。

一流料理店にただで使ってもらうとか、各地で料理講習会を開くなど
地道な努力で、少しずつ少しずつ

高輪プリンスホテル
次の目的地は、高輪森の公園
地図で見ると、グランドプリンスホテル高輪の隣
プリンスホテルを横切っていけるのかな
日本庭園があるみたいだけど、見学できるのかな

きれいなお姉さんが入口にいたので

すみませーん、お庭を見学とか出来るんでしょうか

はい、もちろんです。






毎回思いますが、ホテルってすばらしい。
こんな風にお客さんじゃないおじさんにまで、手入れの行き届いた庭園を見せてくれる。

すみません。
ここの高輪森の公園というのはここから行けるんでしょうか

ごめんなさい。こちらはホテルの敷地とは違いまして
一旦出ていただいて、ぐるっと回っていただくことになります。

高輪森の公園

元々は薩摩藩島津家の下屋敷で
明治になって、土佐藩出身の後藤象二郎の屋敷になり
朝香宮邸という経緯をたどる

ここになぜ来たかったかというと、勝海舟と西郷隆盛の江戸城無血開城の会見の場所だから。
あれれ
最初にその場所は丸い碑が立っていて、ということではありませんでしたか

はい
実はその場所は二日目
ここは、一日目
二日目に交渉ごとを話し
一日目は顔を合わせて、世間話や昔の思い出話

森というよりは山


幕末って目の前が海だったので
見晴らし良かったんだろうなあ

高輪ゲートウェイ駅
高輪森の公園まで行っちゃうと、まるまる品川駅なんだけど
敢えて一駅分歩いて、高輪ゲートウェイ駅へ向かいます。
開業後、まだ一回も利用していないのよね


そうか、この前の大開発工事現場で、陸蒸気の築堤跡が見つかったのか

向こうのへんにチラッと見えているような見えていないような

まだ、大規模開発の施設がオープンしていないので、
第一京浜から奥まっていて、ちょっと不便
これが、山手線の駅なのかと思うくらい誰もいない


オープンしたら大人気になるんだろうけど。

無人のタッチアンドゴーの店があった

試しにイカフライ煎餅を買ってみました。

思ったほど、木のイメージは前面に出ていませんでした。
プラットホームやベンチは木でしたけど

[お出掛け]シリーズはこちら(少し下げてね)

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