芝から高輪へ。の続き

芝から高輪へ。チントンシャン
の続きです。

福沢諭吉
次は、っと
福沢諭吉旧居あと

あっ、ここ慶應義塾大学
かっこいいっ

位置的にはこの裏辺りかな

回り込もうとしたけど、あれれ、慶應義塾大学広すぎる

分かった、そういうことか。
慶應義塾大学の敷地内なのね
福沢諭吉だから、そりゃそうね。
残念!

ちょっと待てよ
東京大学も、早稲田大学も、学習院大学もキャンパスの見学はできたぞ
慶應義塾大学でも入れるかも。
この時期だからダメ、ってのはあるでしょうけど
警備のおじさんに聞いてみよう。

すみませーん
一般の人でも見学できるんでしょうか

はい、ここに書いていただいて、検温していただいて

ありがとうございまーす

さすがは慶應
天は人の上に人を作らず、っちゅうぐらいのもんでございます。

おおっ
かっこいいっ

慶應大学なんて、受験の時
雲の上の、もひとつ上だったもんなあ

一応赤本は見てみたけど、パタンと閉じました。

なのに、うちの娘たちときたら、滑り止めで受けるなどという失礼なことを。
こんな娘に育てた覚えはありませんっ

三田演説館

日本で初めての、演説のための建物

諭吉先生ーっ

なまこ壁がかっこいい

かっこいい建物ばかり


若き日の諭吉先生は貧乏したのかなあ
パンツもはけなかったんだろうか

あった。旧居跡

ここで、学問のすすめ、とか書いたんだなあ

はい。どんどんすすめちゃって下さい。

おっ。マンホールも慶應義塾仕様だ

品川方面に向かいます
通る道は、以前、幕末の大使館巡りで歩いた道
幕末の公使館跡を歩く(高輪)
面白いものがいっぱいあるのですが、今日はすっ飛ばしながらずんずん歩きます。

承教寺
赤門だ

グーグルマップに上がっている写真で一番多いのが、この狛犬


こりゃまた何とも個性的

ここは、梵鐘が有名です。
矢部豊前掾重正の作。江戸時代中期に活躍した有名な鋳物師です。

日蓮宗の大檀林(だいだんりん)でもあります。

檀林は、宗派別のお坊さんの養成学校
その中でも、大檀林は一番メインの学校。
この承教寺が発展して、今の立正大学になっています。

そして、英一蝶(はなぶさいっちょう)の墓

英一蝶は、江戸時代、5代将軍綱吉の頃の画家

狩野派でありながら、自由な作風にチャレンジして波紋になってしまう。

遊びが大好きで、吉原で大豪遊

普通に考えると金が続くわけないのですが
一蝶には芸があった。

画家のみならず、あらゆる風流な芸術に長けているマルチ人間で
たいこもち、という仕事もやっていた。
ハイレベルな芸を持っていたようで
他人の金で遊べちゃう。

そんな一蝶があるとき、幕府から罪に問われ
三宅島に島流しにあってしまう。

原因には諸説ある
三宅島への島流しというのはよほどの事だと思うのだけど

絵で綱吉を批判した、というもの
生類憐れみの令に違反したというもの
馬がしゃべるという歌を流行らせて人心を惑わせたという、訳の分からない説まで。

三宅島での過酷な生活は12年にも及ぶ
その間も、画材を送ってもらい、世話になっている島の人や
残された家族のために絵や文章を書き続ける
その時の絵のひとつ

12年後、将軍が6代家宣に変わる
家宣は綱吉の事が大嫌い、ということがあるので
一蝶も代替わりの恩赦という事で釈放

元通り、絵師等のマルチな才能で大活躍
たいこもちとしても大活躍で、
大豪遊も再開

高輪消防署 二本榎出張所
レトロな建物マニアの中では、超有名

でも、大失敗
内部まで見学できたらしいです。

ちょっとした消防関連の展示もあったようです。
絶対また行くぞ

ウォーキングはまだ続きます。
続きは明日ね

[お出掛け]シリーズはこちら(少し下げてね)

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